くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「母なる証明」

母なる証明

韓国映画の未熟さについては、以前にも触れてきました。最初の三分の一ほどはとにかく耐えなければいけない。さらに韓国のお国柄というか、国民性というかはさすがにいまだに理解しきれないところがある。

そんな前提はさておき「グエムル漢江の怪物」の冒頭のつかみの場面、つまり怪物が少女を連れ去る辺りの演出は見事だったポン・ジュノ監督作品なので、それなりに心配は要らないものと思っていたが、今回は終盤までついていけなかった。

ススキが原で母(キム・ヘジャ)がたたずむ。突然、太鼓のような音楽が流れゆっくりと踊り始める。そしてタイトル。何やこれと思ってしまう。シュールな出だしというのとはちょっと意味合いが違うのである。もちろん、エンディングにつながる複線なのではあるが、それにしても唐突である。

続くシーンでやや頭の弱い息子トジュン(ウォン・ピン)が犬をあやしている。じっとそれを見る母、突然走り去るベンツ、悲鳴、犬の死。このつかみは見事。このあたりの展開のうまさはポン・ジュノ監督ならではですね。

しかし、その後に展開するストーリーと演出はなんとも幼稚である。もちろん韓国という異国の国柄がこうだといわれれば仕方ないが、異常に素人のような警察捜査、あまりにも稚拙な行動をとるトジュンとその友達。まるで娯楽のみを追及し、リアルさはそっちのけだったころの香港映画のようである。

そもそもこの映画はヒューマンミステリーとなる人間ドラマだ。殺人の罪を着せられた息子を救うために必死で真犯人を探そうとする母の姿を描いている。しかし、はたしてここが世界一のIT企業サムスン電子をかかえる先進国韓国の実態なのだろうかと思うってしまう。

経済成長が頂点を迎える前に国民の道徳心や人間性の成長が追いつかないまま廃れ始めているようにしか見えない。あまりに登場人物の低レベルの道徳心。それでいて最先端の携帯や今風の高校生などが出てくる。一方で異常なくらいの貧富の差、衛生面への心遣いも最低の針灸治療、一方で最先端であるにもかかわらず一方で第二次大戦以前の感覚の中で生活する人たちの姿は、ちょっと理解しづらい。

真相を暴くべく必死になる母の姿、そこに謎解きのヒントを持ってくるトジュンの友人の言葉、そして見えてくる衝撃のラスト。見事にだまされた観客の前にもうひとつの恐怖が見える。母の狂気的な場面である。ひとつ間違えばヒッチコックの「サイコ」を思わせるミステリーにならんとするのだ。そんな込み入ったクリアマックスを迎えそこでなぞが解けて、エンディングかと思わせると、さらに続くエピローグにこのポン・ジュノ監督が言わんとする本当のテーマがあらわになってくる。このクライマックス三分の一はさすがに見事である。ここだけを見ただけでこの映画を見た価値があるというべきかも知れない。

ポン・ジュノ監督はミステリーの形をとった別のドラマを描いたのだろうと思う。一級品のミステリー一級品のスリラー一級品の人間ドラマにならんとする作品。
グエムル漢江の怪物」にしても怪獣映画でありながら、別のテーマが前面に押し出された不思議な作品でしたが、この映画も同様に、一級品のミステリーのようでありながら、母の不可思議かつ強靭な人間としての問いかけのドラマであったように思う。このあたりの隠されたテーマ演出はまったく頭が下がる。