くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「地下鉄のザジ」「ボヴァリー夫人」

地下鉄のザジ

地下鉄のザジ
ルイ・マル監督が1960年に描いたコメディ映画である。ルイ・マル監督といえば「死刑台のエレベーター」がまず上げられるが、あの独特の雰囲気のフィルムノワールとは一転した完全にシュールなドタバタ映画でした。

コマ落としをはじめとするフィルムトリック(突然消えたり、現れたりする初期のトリック)を多用したノンストップのドタバタ劇は、いわゆるアメリカ映画のチャップリンキートンなどのサイレント喜劇に多用されてきた映像手法である。

その面白さにどこかシュールなストーリー展開を交えてルイ・マル監督は独特のヨーロッパ喜劇の世界を作り出した。

ルイ・マル監督といえばヌーベルバーグの旗手でもある。この作品の発表の少し前に「死刑台のエレベーター」を発表して映画界で脚光を浴びた彼だけに、この作品が単調なコメディに終始することはない。しかし、古典的なトリックをこれでもかと駆使して描く映像世界は、当時としては非常に斬新かつユニークなものであっただろうと思われるのですが、さすがに現代のように格段の進歩をした映画世界では若干その取り方も違ってしまいます。

それでも、次々とスプラッター的に展開するエピソードの洪水、それをこなしていくフィリップ・ノワレ以下フランスの名優たち。地下鉄に乗ることだけを楽しみにパリに来たおてんば少女のザジの36時間を描いたタイムリミット的なコメディは、今となってもかなり斬新な作品として十分に通用するものでした。

消えたり出たりというトリックの合間に見せる繰り返しによる笑い、これでもかと壊しながらもその影に見え隠れするザジを飛び回らせて描く映像リズムの卓越さはさすがにただものではない才能を感じざるを得ないかとも思います。

しかしながら、さすがにラスト近くになるとそのドタバタ劇にも少々食傷気味に疲れてきて、しんどかったことも事実です。
ルイ・マルらしいオリジナリティは感じられるものの、個人的にドタバタ劇があまり好きではないせいか、「死刑台のエレベーター」のイメージが強すぎるのか、結局、電車に乗って去っていくザジの視線を見てほっとしたことも正直な感想といえますね。


ボヴァリー夫人
名だたる映画監督が何度となく映画化してきたフローベールの名作をロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が1989年に160分以上の大作として完成させたものを今回二時間あまりに監督自ら再編集したものが公開された。

アレクサンドル・ソクーロフといえば「太陽」の監督である。
あの独特の静かなシーンの連続と芸術性あふれる映像が良かった印象があったので、とりあえず見に行った。
とはいえさすがに40分近くカットしたためなのか、物語がつかみにくい。そもそも原作をまったく知らない上に、主演のエマ(ボヴァリー夫人)のセシール・ゼルヴダキという人、どうも感情移入できないほどおばさんなのだ。惜しげもなく裸体を示すものの、すっかり垂れ下がった乳房とおしりにげんなり。
これで、欲望に飢える女性役にしてはあまりにも醜悪すぎるのです。大変失礼ながら、中盤近くまでどうものめりこめませんでした。

しかし、物語や女優さんはともかく、作品としては良い映画であることは納得できます。
情事の場面で背後に聞こえるぶ〜〜んという蠅の音が不気味なくらい効果的に挿入され、汚れた窓ガラス越しに見る景色が単純なレンズを通しての景色以上に殺伐とした田舎の農村を映し出します。

さらに、場面ごとの構図が実に美しい。下から俯瞰に捕らえる建物が、微妙に斜めに傾き、そこにかぶさる登場人物の配置がなんともいえないバランスを保つのです。そのほか、荒涼とした風景を捕らえるカメラのアングルも見事で、このあたり、一級品の品格十分といえるでしょうね。

狭い馬車や囲まれた小さな部屋で惜しげもなく交わる主人公たちの姿はとても美しいとも官能的とも見えませんが、そのリアルさがかえって不満の捌け口として堕落していく主人公の性生活の日々を見せ付けるようで、哀れにも見えてきます。
ただ、突然エマが叫ぶ場面が妙に耳について嫌悪感を感じるのも確かでした。

見て損のない映画ではありますが、それ以上ではなかったですね。

そうそう、今日20年来の映画友達の田中茂樹さんに劇場であいました。