「戦場でワルツを」
アカデミー賞外国語映画賞を「おくりびと」と争ったとされるドキュメンタリータッチのアニメ「戦場でワルツを」を見る。
ドキュメンタリーは苦手分野であるが、リアル映像で描くとあまりにも残酷すぎるということで作者がアニメ表現を借りて作り上げた映像という触れ込みも興味があったのです。
いきなり圧倒されます。映画が始まると路地から飛び出してくる一匹の犬。その犬はまるで狂犬であるかのように目は血走り、息も荒々しく疾走していきます。やがて二匹、三匹と次第にそんな犬が増えていき、恐怖におののく人々の間をすり抜けていくのです。そして背後に流れるハイテンポながら不気味な音楽。このショッキングな映像と音楽のマッチングが見事。そして26匹になった犬たちが向ったひとつのビル、その一室には一人の男が。
と、一気に引き込まれるオープニング。そして主人公がこの夢を毎晩見るという語りから、映画は本編へと入っていきます。
主人公であり、この作品の監督であるアリ・フォルマンがかつてかかわったヨルダンでの大量虐殺事件。その記憶がどうしても思い出せないという告白から、やがて世界中に散らばった戦友たちを訪ねることで記憶を思い起こそうとする物語が、ドキュメンタリーとしてのアニメでつづられます。時にフラッシュバックを交え、夢のシーンを交え、船にあがってくる巨大な裸の女性などのシュールな映像も交え、しかも背後に絶妙にコラボレートする音楽をはめ込みながら展開する映像世界はまさに傑作の名にふさわしい非情に独創的で、又ある意味美の頂点のような美しささえあります。
大量虐殺の現実をおおい隠さんがための記憶の欠如。しかし次第にその現実が明らかになると、その毒々しいほどの黄色を中心にしたアニメ映像は次第に現実の中に溶け込み、ラストで見るも無残なリアルな写真映像となって映画は締めくくられる。
映像芸術とはこれだといわんばかりの映像と音楽そして組み立ての秀逸さは最近見た映画の中では群を抜いていて、とても比肩できる作品はないといっても過言ではないと思います。ただ、会話や語りを中心に進むドキュメンタリーであるがために、映像と音楽が見事であったとしてもシュールであることにも捕らえられ、正直、体調も悪かった私はしんどかった。周りの観客の様子も終盤かなり疲れていたようですね。しかし一本の傑作に出会えたと思います。
「千年の祈り」
「スモーク」などの名匠ウェイン・ワン監督の最新作を見てきました。
といってもこの監督の作品は「スモーク」と「ジョイラッククラブ」しか見ていないのですが、その手腕はかっているので、期待で見に行ったのです。
監督自身が小津安二郎監督作品を意識したと言っているように、まさに小津映画で取り上げられるような、父と子、夫婦、家族などのテーマが切々とかたられ、動きの少ないカメラワークでじっと俳優たちの演技を長廻し捉えていきます。
しかもカメラアングルがどこかしら小津作品を思わせるところなんかもあるのはちょっとニンマリです。
やや斜めからアップで会話する姿を捉えたり、真正面から左右対称の画面構成を作り出したり、しかしその効果がこの作品のテーマにぴたりマッチングしていて、静かな中にしっかりとした主題がひしひしと伝わってくるあたりさすがウェイン・ワン監督見事です。
中国からアメリカの娘を訪ねてきた父(フェイ・ユー)が出会うアメリカという社会、そしてそこに集うさまざまな人の世界、そこにはかつて中国で身についていた良き風習はアメリカの自由という名の下に少しずつ失われている娘の姿を見ます。
このまま消えてはいけない物をもう一度思い出してもらうべく、娘を思うあまり必死でコミュニケーションを図ろうとする父の姿。娘が仕事で出かけた後、一人、近所を散歩して、同じようにイランからアメリカにわたり息子と暮らす夫人と語らい、プールサイドで若い女性と明るく会話しながら、この国の姿を知ろうとします。
何かを失いつつある娘をひたすら思う父、しかし娘はそんな父がうとましい。まさに今の日本の姿、いや昔からの父と子の姿なのかもしれませんね。
しかし、娘が妻子ある男と付き合っていることを知るや、父が自分の過去を切々と語るエンディングは二つの部屋を平行で捉えた画面がなんとも説得があります。徐々に溶きほぐれてきた父と娘の姿がそれとなく伝わってくるあたりの計算はウェイン・ワンならではですね。
そして、娘にもらったアメリカ見物の切符を持って、列車で旅立つ父の姿でラストを迎えますが、さらにつづく父と子の未来への余韻は、私の胸になんともいえない暖かいものを残してくれました。