くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「風の中の牝鶏」「夜の女たち」

風の中の牝鳥

「風の中の牝鶏」
小津安二郎監督作品である。
戦後間もない時期を背景に、子供の入院費を工面するために、一夜他人に身を任せた妻と復員してきた夫のドラマを描いています。

小津安二郎作品としてはちょっと異質な物語で、主人公の田中絹代の夫役佐野周二演じる堅物の男の人物像が他の小津安二郎作品にはあまりみられません。
とはいえ、独特のローアングルのカメラ、そして画面を平面でとらえる構図、せりふの繰り返しによるストーリーテリングという小津映画ならではのオリジナリティは見事であるし、時折挿入される一見無意味なカットが生み出す映画のリズム、さらに人の存在しないカットからフレームインする人物の動きを見せる独特の演出も、さすがに冴えています。

さりげない所々のシーンにやはりワンランク上の芸術が存在するのはさすがで、とりとめのない物語をその芸術性で最後まで引き込んでくれる完成度はさすがに小津安二郎であると納得してしまいますね。
ラストシーン、仲を取り戻し、抱き合った田中絹代の手が夫の背中であわさり、さらに組んでしまう演出はさすが、それに続く表で遊ぶ子供たちのカットも見事。これが凡人と巨匠の違いでしょうか?


もう一本は「夜の女たち」
正反対に女の情念を描いた溝口健二監督作品。
小津作品とはうってかわって、縦の構図によるぐいぐいと押してくる迫力が見られる作品です。

画面の奥に人を配置し、前方とパンフォーカスで結んだ中での会話、交差する路地で頭上を通る人の流れをとらえながら、下でたむろする女たちの描き方、このあたりはさすがに溝口健二ならではのアングルといえます。さらに、縫うようにカメラがパンしながら、会話の全貌をとらえていくダイナミックさは全体を平面でしっかり据えて撮る先の小津作品とは対照的です。

物語はこちらもお金に困り身を堕としてしまう田中絹代扮する主人公、そしてキャバレーで働きながら、姉の愛人とできてしまう妹、さらには世間知らずで向こう見ずな義理の妹の堕ちていく姿を通して女の生き様を戦後間もない荒廃した大阪を舞台に描いていきます。

主要人物たちがあれよあれよと堕ちていく様はかなり強引といえば強引ですが、中途半端な課程を完全にカットして、いきなりどん底の女性像を徹底的に描かんとした溝口健二監督の意図ははっきりと伺え、さらにとらえる女たちの姿はあまりにも厳しいけれども、力強さを感じさせる演出はさすがに溝口健二といわざるを得ないものでした。

ラストシーンの廃墟での女たちの未来へのかすかな希望を口にする姿に、じんと来る自分に気がつきました。
さすがに圧倒的、この迫力はまさに小津安二郎の静に対する動ですね。