くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「キャタピラー」「ぼくのエリ200歳の少女」「シスタース

キャタピラー

キャタピラー
若松孝治監督作品というよりも寺島しのぶがベルリン映画祭で最優秀女優賞を受賞したという話題で大入り満員の作品である。

手足を戦争でもがれ、耳も聞こえず言葉もしゃべれなくなって故郷へ戻ってきた夫久蔵を迎える主人公シゲ子(寺島しのぶ)。まさに「ジョニーは戦場へ行った」の日本版ともいうべき展開で始まるこの物語、痛烈な戦争批判というより戦争に対する皮肉が手いっぱいに盛り込まれている怪作である。

出だし、1940年日中事変のドキュメント映像がモノクロームで描かれ、日本の兵士がとある民家に中国の女たちを追いかけ暴行するシーンが続く。一方で片田舎、これから出生する兵士を見送る村人たちの姿が描かれる。

そして、物語は手足をもがれた夫を迎える妻のシーンへ。泣き叫びながら駆け出す寺島しのぶの姿。それを追いかける夫の弟の姿。やがて、あきらめた妻が直面するのは言葉はしゃべれないが執拗に体を求める芋虫のような夫の姿である。

世間からは軍紳とあがめられ、新聞にも載り、名誉の勲章を授与されながら、いざ、家の中ではただの肉塊となり果てた夫をひたすら世話をするも、それは自らの生きるすべを確かめるだけの世間体のみの生活である。

ほとんどが寺島しのぶの一人芝居であり、圧倒的な熱演で演じていく貞淑な妻の姿はある意味美しさを越えて、狡猾にさえ見えてくる。さらし者のように夫を連れだしては軍神の妻を演じる主人公のしたたかさが戦争に対しての嘲笑をまざまざと私たちに示してくる。

次第に主導権を握っていく主人公はご褒美として体を与えていくようになるが、当の夫は中国で女たちを暴行した過去がありその結果火事に遭遇して今の体になったという負い目が次第に画面の中に表現されてくるあたりは正直醜い。ここまで日本人を蔑んで反戦を風刺しようとする若松孝治監督の演出はかなりグロテスクでさえ感じられる。

結局、終戦を迎え、軍神である存在感さえもなくなった夫は自らの姿を水辺に映しそのまま自殺して映画は終わる。
キノコ雲を象徴的に映し、意味深な歌をエンディングに持ってきた物語構成はかなりカルトムービー的でさえある。これを話題性だけで見に来る観客も観客だが、後味の悪い反戦映画といわざるを得ません。作品の圧倒的な充実感は見事ですが、ひたすら暗い。


「ぼくのエリ200歳の少女」
スウェーデン映画で数々の賞に輝き、早くもリメイクが予定されているという作品、私個人としてもかなりの期待作でした。

この映画、とにかく個性的な映像に終始します。映画が始まると、ほとんど無音の画面にタイトルが次々と映し出されていきます。余りに長いので映写事故かと思うのですがやがて画面の右に真っ暗な背景に粉雪が舞い始める。とある部屋にカメラがよると一人の少年がオスカーパンツ一枚で夜の外を見ている。手にナイフを持って「豚のまねをしろ」などと独り言を言っている。

どうやら、この少年が昼間こういう言葉でいじめられているようである。やがて、外に一台の車が止まり、そこから一人の男と少女らしき子供が降りてくる。カメラは外からこの二人がオスカーのとなりの部屋に入ったこと、入ったとたん窓に段ボール紙をあてがっている様子を映し出します。まるでレイ・ブラッドベリの世界のような導入部です

この導入部から物語は不思議なファンタジー性を帯びて進んでいきます。
夜の白樺林に一人の男、出会った男を眠らせ、木につるして首を切って地を容器にためようとする。首をナイフで切る場面もこちらに男がしゃがむので切っている様子は見せない。あくまでも静観した映像である。そこへ一匹の犬がやってきてお座りする。それを追ってくる女性の声で男は血を採るのをやめて去っていく。

どうやらこの男は連れの少女のために血を集めている様子。あくまで静かに静かに映像が展開するので本当に奇妙な夢物語のごとくスクリーンにのめり込んでいきます。最初、この男は少女の父親かと思いますが、そうではないことはラストシーンで何となくわかります。

男が血を集めることに失敗したためにヴァンパイアである少女は夜、一人の男を襲ってしまう。突然獣のように襲いかかる姿は、それまでの画面が静かなためにぞくっとするほどに不気味な怖さがあります。

いつもいじめられるオスカーは一人中庭にでていると背後に一人の少女エリがたたずむ。
お互いがそれぞれに孤独を感じている二人はいつの間にか引かれあう。両親の別居と学校でのいじめに寂しい毎日を送るオスカーとヴァンパイアである故に友達もできないエリ。
二人はやがて急速に引かれあうが、一方でエリの吸血鬼としての飢餓をいやすためにおこる犯罪の恐怖が町を覆っていく。しかしその暗さは男が自殺してその血をエリに飲ませるショットでとりあえずさりげなく幕を下ろす。

そして物語は後半からクライマックス。この町にいられなくなったエリはやがてオスカーの元を去るが、オスカーがプールに沈められ手おぼれさせられようとするところ、引き裂かれた腕や首が漂うシーンだけで、エリが助けにきたことを表現して見せるのですが、何ともショッキングである。

そしてオスカーはトランクのような箱にエリを入れて電車で旅にでる。モールス信号でお互いの意志を通じさせるように物語の最初に設定した伏線がここで生きてきます。
こうして映画は終わります。

ホラーであるにも関わらず、徹底的に静かな画面づくりに終始し、雪の舞う夜の景色を中心にした舞台設定で、あくまで非現実的な世界をロマンティックに演出した映像は非常にオリジナリティあふれています。
ラストシーン、結局年をとらないエリが最初に連れ添っていた男も実は遠い昔親しくなったボーイフレンドなのでしょう。そして今回のオスカーもやがては同じ運命を迎えるのであろうと予感させるラストが本当に切ない。いい映画でした。


「シスタースマイル ドミニクの歌」
ドミニクの歌といえばヒットしたのは私がまだまだ小学生、しかも低学年の頃のはずである。しかしそのメロディは日本語に訳されたのはもちろん、様々なアレンジも出回っているせいか頭の中にしっかりと残っている。

この映画は作品の魅力よりも、そんな名曲を歌ったシスタースマイルという人物の半生に興味があったためにみたかった最大の理由である。しかし、この作品、一人の女性の半生を丁寧にしっかりとドラマとして描ききっていました。

さりげなくドミニクのメロディが流れる中、静かにタイトルが映され、久しぶりのコンサートで舞台からアンコールがかかるシーン、さらに後ろ姿の修道女にカメラのフラッシュが光って物語は1959年へバックして始まります。

ボーイスカウトの活動に熱心になる主人公ジャニーヌ、彼女は母親と性格がすれ違い、ふとした言い争いが原因で修道院へ半ば衝動的に入ってしまいます。そこで、様々な制約に反抗しながらやがてドミニクの歌を作曲し教会側の宣伝スターとして脚光を浴びていく下りが物語の前半。

そして、人気の絶頂の中、制約を嫌ったジャニーヌが修道院を飛び出し、還俗したものの、そういう彼女に教会側から圧力がかかり歌うすべてを失わされていくのが後半部分となります。

彼女を見初めた興業士がカナダでのツアーを企画、初日の大成功と冒頭でも映されるアンコールで大成功したかに思われるも、教会にそぐわない曲を歌ったために再び教会の圧力ですべてのツアーはストップ、全くの仕事からはじかれた彼女は、最後にたどり着いたのはかつての親友アニーのところでした。

なにもかも捨ててやがて二人は旅立っていくラストは、俗世間にそぐわなかった一人の女性の半生としてなかなか見応えのある映画に仕上がっていました。
好感なのは、シスタースマイルをスターとして描くのでもなく、世間に翻弄された世間知らずの女性として蔑むのでもなく、そのあたりの微妙なバランスを崩さずに丁寧に一人の実在の人物の姿をスクリーンに映し出したことでしょう。

見終わって、一人の人物の半生をまじめに描いた良い映画をみたという感動で気持ちよく映画館をでることができました。