くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「悪人」

悪人

まれに見る傑作、そう呼んで間違いのない作品でした。見終わった後「告白」が衝撃であったのに対し、この「悪人」は隙のない充実感に浸りました。
原作を読んでいないので何ともいえませんが、おそらく原作の味を完璧に映像に変換した作品だと思います。小説という活字でしか描けないオリジナリティを、映像というこれまたビジュアル表現でしか描けないオリジナリティで消化した素晴らしい作品でした。

映画が始まると、車にガソリンを入れているノズルのアップから始まります。カメラが引くとこの物語の主人公祐一(妻夫木聡)が映され真っ白なスカイラインに乗り込んで夜の闇に消える。猛スピードで走る車の光源が映され、ハイウェイの中央線が右に左に移されます。まるでデヴィッド・リンチの「マルホランドドライブ」の冒頭シーンのごとしです。

一人の女性が父親に紹介されたお客さんに契約を取り付ける場面。そして久しぶりに福岡へ出てきた父親と娘(満島ひかり)との車の中での会話。いっしょにご飯でもという父に今夜約束があると断る佳乃の姿は映される。

場面が変わって、若い女性たちがとある居酒屋で飲み会をしている。そこに満島ひかり扮する佳乃が友達に出会いサイトで知り合った男、祐一の話をしている。この佳乃、悪女とまではいかないまでも小悪魔的ないわゆる今風の女の子で、今夜も長崎から佳乃の住む福岡まで祐一が会いに来るのだという。しかも、これから男と会うにもかかわらず平気で餃子を食べるという無神経さの持ち主。しかし、最近気になっているのは大学生の圭吾(岡田将生)で、老舗の旅館の息子であるという魅力もあって、本気で想いを寄せている様子である。

場面は変わって、とあるラーメン店で圭吾が友達と女の話をしている。最近しつこくつきまとう佳乃という女がいるという。
この圭吾も佳乃に劣らずの今時のいけ好かない学生そのままである。

場面が変わって、佳乃が友達と別れて、祐一と待ち合わせの場所へ。夜の公園、すっと止まる真っ白な車。鳴らされるクラクション。このショットで佳乃の相手が祐一であること、さっき猛スピードでとばしてきたのは長崎から福岡へやってきた姿であったことが一気に説明する。ところがそこへ車に乗った圭吾が通りかかり、あまりの偶然に大喜びで駆け寄る佳乃の姿。そして目の前で祐一とのデートをドタキャンして圭吾の車に乗ってしまう。狂ったようにターンして圭吾の車を追う祐一。

場面が変わる。朝方の長崎、現場へ行くワゴンに祐一が乗り込む。これから解体作業の現場へ行く仕事なのだ。車の視線で道を行くと、向こうに黄色いテープと警官。場面が変わり、車の視線はいつの間にか警察の車の視線へ変わっている。一人の娘(満島ひかり)が殺された現場である。

ここまでの導入部が素晴らしい。音と映像のオーバーラップが繰り返され、めくるめくように物語の本編へ入り込んでいく。そして、殺人事件の現場から、この佳乃の実家の場面、床屋で何気ない風景のところへ警察からの電話、死体安置所での対面、犯人が圭吾であるという目星の中で捜査するも、実は犯人は別にいて、圭吾は峠まで佳乃を乗せてそこで置き去りにしたという話が説明される。

一方で仕事から帰った祐一、夕飯の席で佳乃が殺されたことで祖母から警察が来たことを聞いて思わず嘔吐する。
感情が高まり、精神的な衝撃の中でたまたま一つのメールが来る。二ヶ月前に出会い系でメールをかわした光代。良かったら会いたいとのこと。また、祖母も妙なインチキ健康商売に引っかかっている

こうして光代と祐一の話へ展開していく。
物語の三分の一位を丁寧にドラマの背景の説明と人々の隠された生活を映し出し、主人公たちの逃避行の話にのみ焦点を当てることなく、それでいて、周りの人間のドラマをしっかりと描くことで、人々がとらえる悪人という観念を通じて、いかに人間がとらえる感覚は形式的なものであるのかを切々と訴えてくる。

物語の中では明らかに佳乃は悪女である。男を遊び相手にし、無神経に罵倒したり、自分勝手な行動もひとしきりである。さらに圭吾もまたある意味悪人である。人の感情など何とも思わずにすべて話のネタにして笑い飛ばす。愛情のかけらも感じないボンボンである。それでも彼らは世間からは非難を浴びることはない。しかし、殺人を犯した祐一は世間からは明らかに悪人として認識されてしまう。ただ、小悪魔である佳乃に罵倒され、衝動的に犯した罪であるにもかかわらずである。

そんなところへ登場するのが、とにかく素朴そのものの深津絵里扮する光代である。彼女は明らかに良い女性として描かれている。しかし物語は祐一が彼女と会ったことで改心したり、切ない逃避行に走ったりという感情的な展開で終わらない。ひとたび自首しようとした祐一を引き戻したのは光代であるからである。そこに光代の自分勝手な悪女ぶりもなきにしもあらずなのです。

この物語に完璧な善人は佳乃の父親であるかにみえるけれども、小悪魔のような佳乃をわずかの疑いもなく良い娘として育て認識しているのだからこれもまたおめでたいといえばおめでたいのだ。従って彼もまた非の打ち所のない善人でもないのかも知れない。

祐一の祖母にしても、自分が引っかかった健康グッズを人前で自慢し、結局、被害者を増やしている結果になっている。これもまたわずかに社会の悪に荷担したことに代わりはない。祐一の母は祐一を捨てて家を出たのだからこちらもいうまでもない。
こうした、それぞれの登場人物のそれぞれの背景があまりにも日常のドラマであるにもかかわらず、その陰に隠れる悪人ぶりを露呈させていく演出は全く見事といわざるを得ません。

中盤から後半、逃避行がストーリーの中心になったあたりから、冒頭のようなテクニカルな演出は影を潜めていきますが、対してじっくりと人物を画面に登場させ説明していく緻密な演出が施され、圧倒的な迫力でクライマックスへなだれ込んでいきます。

スパナで殴ろうと出かけた佳乃の父は圭吾に大音声を浴びせて自宅に帰り、健康グッズでだまされた祖母は事務所でお金を返してくれと懇願する。
そして、ラスト、灯台で警官に祐一は捕まってしまいます。

フラッシュバックされて灯台で祐一と光代が夕日を眺めるショットで映画は終わります。
非常に充実感を味わった見事な傑作であり、素晴らしい作品でした。