くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「シングルマン」

シングルマン

映像美に優れた久しぶりの秀作に出会いました。監督はトム・フォード、ファッションデザイナーでグッチやサン・ローランを世界的な企業に導いた立て役者です。めくるめくような陶酔感を味わえる独特のリズムに彩られたカメラワークと色彩演出が本当に美しい。元来、ホモ映画は嫌いなのですが、この映画に限っては純粋に一人の主人公の一日の物語に引き込まれました。

映画が始まると水の中に全裸の男が漂っています。静かに流れるような音楽をバックにタイトルが映されていく。色彩を抑えたモノトーンの水中シーンが不思議な世界に引き込んでいくような感覚を味わわせてくれます。
そして、タイトルが終わると、真っ白な雪原に一台の車が事故を起こして横転している。傍らに一人の男が血を流して倒れている。真っ白と真っ赤な色彩がまぶしい。そこへ一人の正装した男性が近づきそっとかがんで口づけをする。そこでいきなりベッドで目覚める主人公の姿を真上から映すショットへ。この導入部だけで、ただの映画でないことがわかります。

時は1962年、主人公ジョージは頻繁にこの悪夢に悩まされているという独り言が流れます。どうやら死んだ男性は彼の恋人であったと推測される映像が続きます。
こうして朝起きた主人公はトイレから隣の家を塀の隙間からのぞく。映像がスローモーションになり、隣の家族の様子が映されます。女の子、男の子、そして美しいお母さん。ふとお母さんと目があって思わず隠れる主人公。このあたりで、モノトーンの画面が時に主人公がときめいたと時に鮮やかなカラーに変わることに気がつきます。

そこへ、近所のチャーリーから今夜来てほしいという電話。密かにジョージに思いを寄せる彼女からの誘いである。約束をしたジョージは仕事に出かける。実は彼は大学教授で、最近、16年間つきあっていた恋人に死に別れたということが時折フラッシュバックのように過去の映像を挟み込んで説明されていきます。スローな映像展開の中で時に超スローモーションで見せる目のアップや唇のアップがドキッとするほど魅惑されます。

学校で秘書に一人の学生が先生の住所を聞いてきたことを知ります。そのとき、秘書の目や唇がクローズアップされ真っ赤に映る唇が印象的なショットになってスパイスになります。
そして授業へ。そこで再前列に座る一人の生徒ケニーの視線を受け、なにやら予感をするジョージ。帰りに車の脇に寄ってきて、一度飲みに行こうとケニーに声をかけられる。何かの予感を感じながらかつての恋人が忘れられず、すげなく断るジョージの演技がみごと。

途中、スーパーでも一人の青年カルロスに見初められるが、そこでもさりげなくいなしてしまう。このスーパーのシーンで駐車場に巨大な「サイコ」のジャネット・リーの絶叫シーンのポスターをバックにする画面演出がみごと。
そして自宅へ帰ったジョージはすべての書類を丁寧に机の上に出し、銀行に保管していた貸金庫の中の書類もすべてそろえて、ピストル自殺するべく準備を始める。ベッドの上で、あるいはシャワーの中でと迷っているところへチャーリーから催促の電話。あわててでかけ、チャーリーとほんのひとときの会話をする。ここでもベッドシーンは出てこない。ジョージに惹かれるこの女性の何とももの悲しい表情が切ないシーンです。

戻ったジョージは最後の酒を飲もうとしたところ、空っぽ。酒を買うために酒場へ出かけたところで昼間の学生ケニーに出くわす。実はジョージの住所を聞きにきたのは彼だったことがわかる。
迷いながらも次第にこの青年に惹かれていくジョージの表情が実に初々しいほどに美しい。画面は次第に色彩を帯びてきて、二人は夜の海で全裸で人泳ぎした後、ジョージの家に行く。

ビールをの飲みながらこれからの二人の未来が予感され、ようやく光が見えてきたように感じたジョージ。酔って寝たジョージが夜中に目を覚ますと、傍らのソファで眠る青年の姿。彼の手にはジョージが準備したピストルを隠すように握られている。そっとピストルをとり、引き出しに戻して鍵をかけ、準備した遺書も焼いて、ようやく過去を捨て新しい恋人との生活に未来を感じたジョージは自室に入るが、そこで突然胸に痛みが走りそのまま、床に倒れる。正装したかつての恋人がそっと近づき口づけをする。そしてジョージの命が終わる。

恋人に死に別れ憔悴しきった主人公が自殺を決意した一日を語る物語がまるで散文詩のようなリズム感でストーリー展開し、劇的ともいえる芸術的な演出で画面を飾り、モノトーンとフルカラーを駆使した映像演出がテンポのよいスパイスを生み出す。いつもの景色が違ってみえてくる様子が時に超スローモーションで描かれる主人公の心の動揺となり、次第に忘却の中に消えていこうとする過去を美しく演出してくれます。絶望の中の毎日への終止符を打つべく決心した日にようやく見えた未来の光、しかしその至福のなかで突然訪れた老いによる肉体の終末はある意味あまりにも残酷ですが、崇高ともいえるラストシーンであったのかもしれません。久しぶりに映像に堪能した映画でした。