くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「遠い明日」「黒薔薇昇天」「恋人たちは濡れた」

遠い明日

「遠い明日」
19年前の父の殺人事件の真相を探るために北海道から九州へやってきた主人公多川明。調べるうちにえん罪であることが明白になり始め、真犯人との接点もできた中で真相が判明。
ようやく証した父の冤罪。そして助け出した父親は出たとたんにピンクサロンへ行ったりとあまりにも自堕落な男であることがわかる。それでもそばに寄り添い歩いていくラストシーンが何ともせつない。

苦労の末に助け出した父親の姿に、殺伐としたむなしさを漂わせるラストシーンはまさしく当時の日本映画の一つの典型的なスタイルであった。高度経済成長の結果たどり着いたものはいったい何だったのかという人々の不安を写しだした作品の一本である。
例によって、巧妙な音楽をバックに流し、時にワンカットのようなフラッシュバックのシーンを挿入しながら次第に前後の時間をつないでいく演出は神代辰巳ならではの世界である。どこか寒々とした画面作りであるが、演技人たちのしっかりした語りかけが作品に箔をつけている一本であったと思います。


「黒薔薇昇天」
出だしから女のよがるアップから始まる。ブルーフィルムの撮影現場に始まるこの作品は完全な日活ロマンポルノであるが、なんせ主人公に岸田森が扮し、何とも奇妙な作品に仕上がっているから見物である。

セリフの端々や対話の中に延々と語る岸田森扮する監督のエロ映画芸術論はしつこいほどにくどいもののそれがこの映画の個性を醸し出してくるというおもしろさも見所の一つである。例によってこてこての演歌が背後に流れたりと神代節が炸裂する一本で、低予算、即興演出のごとくぽんぽんと展開していくもののどこか男と女の悲哀がSEXシーンを通じて描かれるおもしろさもある。しかも1970年代の大阪の町並みが適当に映し出されるあたりも楽しみの部分でした。

結局、自分の愛人が人に抱かれるシーンを撮っているうちにがまんできなくなり飛び込んで助けてしまうエンディングの何ともコミカルながらほほえましいラストシーンが最高である。


恋人たちは濡れた
神代辰巳監督の代表作の一本である。
映画が始まると一人の男が自転車に乗ってフィルムを運んでいる。主人公の克である。彼は5年ぶりに故郷に帰ってきて、いまは映画館でフィルム運びや雑用をこなしている。そんな彼は地元の幼なじみと出会ったり、館主の妻と不倫関係になったりと何ともすさんだ毎日を送っている。言葉の端々になげやりなセリフが飛び出してくるのがなんとも退廃的なこの作品を象徴している。

枯れた草原でのSEXシーンをのぞき見たことから同級生の光夫とそのガールフレンド洋子と親しくなり、彼らと行動を共にする中で何とも行き場のない若さがますます増長されてくる。しかし、克には過去があり、かつて殺人を犯したことがあるという。そんな克と洋子、光夫との行動の末に、突然車から飛び出してきた男に克は刺されてしまい、ふたり乗りしていた洋子と海へ消えていくシーンで映画が終わる。

次々と背後に流れる演歌の数々は例によって神代節である。さらに、ほんの些細な遊びのような短いショットがストーリーのスパイスとなって挿入され、ドキュメント的な即興のカメラが回りの人々からのさめた視線を生み出す。これといって目的も希望もない若者たちの姿のみをSEXシーンをふんだんに盛り込んで描くこの作品は、物語の中心にほとんど大人が登場しないことが最大の特徴であるかもしれない。いわゆる日活青春映画の系譜をさりげなくたどるという物語の骨子がこの作品の優れている点ではないかと思う。

たびたび登場する郊外でのSEXシーンが実に自由奔放で開放感のある姿を表現していて、やり場のない若者たちの姿である一方で内に秘める欲望が草原や浜辺など開かれた空間でのSEXシーンによって非常に広がりを見せる画面作りになっている。語るテーマと濡れ場のシーンの対比で見せる演出がこの作品の優れた点でもあるのではないかと思います