くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ソーシャル・ネットワーク」「棒の哀しみ」

ソーシャルネットワーク

ソーシャル・ネットワーク
人並みはずれた創造力と才能が突っ走っていく姿を見事に映像化した傑作。しかも、突っ走る課程で描かれる孤独と人間ドラマ、その奥の深い演出はまさにデビッド・フィンチャーの才能の証明でもある。

物語は今をときめくSNS「フェイスブック」を創設したマーク・ザッカーバーグの物語である。しかし、主人公がまだ健在であり、物語が現在進行形である中で描かれるドラマはリアルである一方でフィクションのおもしろさ、映画としての娯楽性を兼ね備えないといけない。でないとただのドキュメントになるのだから。

この映画の優れている点はデビッド・フィンチャーの特異な才能がそのコラボレーションをこの作品で見事に生み出したことではないかと思う。

この作品には主要人物が三人、そしてマークを訴える存在としての双子の優等生がでてくる。主要な三人は主人公のマーク、そして彼の親友でフェイスブックの共同創設者となるエドゥアルド、そしてフェイスブックを飛躍的に拡大させるきっかけを作るナップスターという音楽ダウンロードサイトを立ち上げたショーン。そして、彼らを演じる役者が見事にステロタイプ化されている。主人公のマークを演じる人以外はかなりスマートなイケメンであること。そして取り囲む女性たちも魅力的かつ美形であることである。この設定がまず、この作品が実話を元にしたとはいえあくまでフィクションだと訴えているのである。もちろん、実在の人物に全く似ていないということはないと思うが、主人公のマークが浮き上がるような設定になっている。

そして、さらに音楽の使い方がすばらしい。それはデビッド・フィンチャー鋭い感性がなせる技であり、ネットというハイスピードな物語の中に人間ドラマとしての心の動きを表現するために最高の演出をなしている。
出だし、エリカという彼女と機関銃のように会話するマークの姿から映画が始まる。次々と話題が変わる人並み以上の頭の回転をするマークの会話についていけず、果ては言葉の端々からの誤解が増幅して別れるという言葉を口にしてしまう。

落胆するマークは酒を飲みながらあるサイトを作る発想を思いつく。そこへ至るシーンで、マークは夜の大学構内をかけていく。背後に流れる音楽は軽快なリズムを繰り返すアップテンポの音楽である。

そして、次に音楽が効果を見せるのがフェイスブックが飛躍的に拡大するきっかけになるショーンとの出会いの場面。今まで押さえ気味の音楽が、一気の音響を拡大し胸に響く迫力で迫ってくる。まさにショーンのずば抜けた感覚に感化されて興奮するマークの心の動きを見事に演出している。

そして最後に、物語の最後の盛り上がりでかつやや退廃的なムードを呼び起こすのが、ショーンが女子会でらんちき騒ぎをする場面でのド派手な大音響の音楽。この後、警察が踏み込み、ショーンは失脚、マークは一人になって、後に起こされるエドゥアルドに起こされる裁判の待合室で静かにかつての恋人エリカのページに入り「友達申請」をしてひたすらその返事を待つようにページの更新を繰り返すエンディングへ続く静かな音楽である。

映画の展開はマークがフェイスブックを立ち上げる課程、その拡大の過程が、後に親友から起こされた裁判の口述の席で語られながら交互に映像が繰り返されるというスタイルをとっている。そして、その中に描かれるのはたった一人の恋人と別れ、それがきっかけで友達を作るというネットのサイトを立ち上げ、成功はするが、一方で親友にさえも疎遠になり、たどり着いた孤独な自分、そして、最初に戻るという寂しさの中で描かれるまーくの人間ドラマである。

映像の展開はめまぐるしいほどにハイスピードで、次々とシーンや場面が変わっていくが、決して混乱させない絶妙の脚本が練り込まれている。そして、冒頭に書いたステロタイプ化した配役のうまさ、それは主人公である天才的な才能のマーク、やや冷静で現実的に押さえ気味なエドゥアルド、ちょっとはじけているが並外れた発想をするショーンとそれぞれの性格も分かりやすく描かれている。

そして絶妙の音楽効果がモダンな中に泥臭いドラマを埋め込んだ一品として完成させた。これぞ傑作と呼べる一本だと思う。


「棒の哀しみ」
神代辰巳監督の劇場公開最後の作品。
晩年の作品ながら、傑作でした。特に主人公田中を演じた奥田瑛二が抜群に素晴らしい。この作品でキネ旬の男優賞を取っているのもうなずける見事な演技でした。

一人の暴力団の幹部のどこか哀愁に満ちた生き様を人間味あふれる演出で描いていく人間ドラマです。神代辰巳はこのドラマを長回しと独特の語り口で語っていきます。
延々と登場人物の会話にカメラを向け、会話の中に動きを演出してその様子をじっとカメラを撮るかと思えば右に左にと振りながら撮影していく。そして、神代映画独特の独り言を奥田瑛二に語らせることで’棒’のように生きるヤクザの男のもの悲しい生き様を表現していく。

時にこのヤクザは自宅では一人で部屋の掃除をし、洗濯をし、さらには撮れかけたボタンさえも付ける。そして刺されれば自ら針と糸でその傷口を縫うという行動を取らせる。この演出が秀逸で、一人の男の人間味あふれる姿を叙実に語っていきます。
組の幹部でありながら親分から分家になることを言い渡され、自らの才覚で生き残るすべを必死で探って生きていく男の姿、たわいのない一人の人間でありながら、もがくように生き延びようとする主人公田中の姿は時に今にもこわれてしまいそうな弱ささえも見せてくれます。そして一方では不気味なほどのヤクザの顔を見せるショットも挿入されるあたりは絶妙と呼ばざるを得ません。

作品全体に哀愁があふれ、奥田瑛二の抜群の存在感がストーリーをぐいぐいと引っ張っていく。まさに傑作中の傑作と呼べる一本だったと思います