くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」

決闘鍵屋の辻

黒澤明の脚本のなせる技か、森一生の演出のなせる技か、これぞ時代劇の傑作、あらゆるクライマックスシーンのエッセンスがすべて凝縮されたようなすばらしい映画だった。

映画が始まると真っ白な装束に身を包んだ荒木又右衛門らが白塗りの顔で堅きの又五郎たちの一行へ切り込んでいく。編みがさが宙に舞い、次々と斬り殺されていく侍たち。世にいう三十六人切りの名場面である。しかし、ここでナレーションが入る「果たしてこれは事実か?史実によれば又右衛門が殺したのは二人だけ。わら人形のような侍を三十六人斬るのとなのある無精を二人斬るのとどちらが評価されるべきか」このナレーションにこの映画のテーマがある。

シーンが変わると、鍵屋の辻に集まってきた又右衛門等の一行。もちろん、白塗りの顔ではないし、汚れた着物を身にまとっている。まもなくやってくるはずの又五郎たちをここで迎えうとうとやってきたのだ。そして、ここでの待ち伏せシーンを中心に、ここまでのいきさつやら、それぞれの登場人物がフラッシュバックで描かれ、じわじわと緊張感が高まってくる。

茶屋の主人たちが次第に侍たちの緊張感にびくびくし始め、又五郎がこの道を通ると予測するまでのいきさつと、待ち伏せする計画を練った下りなどが語られてきて次第に見ている観客も緊張感が伝わってくる。

そして、いよいよ又五郎たちが見えてくる。ここからのショットの組立がすばらしい。
遠くに一行を見つけた加東大介は又右衛門にいわれたとおり鼻歌を歌って戻ろうとするが、言葉にならない。そして、その知らせを聞いた又右衛門たちも真剣を使って本当に人を斬るのははじめて、当然。異常なくらいに誰もが緊張してくる。その様子に思わずふるえてくる茶屋の主人たち。

しかも、すんなりと又五郎はやってこず、途中で止まってしまう。
「どうしたのか?」
又右衛門たちに不安がよぎるが、又動き出したので安心する。しかし、先立ちが宿場にさしかかると、又この男が神経質であちこちのぞいて回る。

これでもかと積み重ねてくる演出にうならざるをえない。
迫る一行、息をのむ又右衛門たち、茶屋の娘のおびえたクローズアップ。などなど、まさにエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段のシーンのごとくのモンタージュである。

そして、とうとう又五郎たちがさしかかり、斬り合いが始まるが、これも又、一筋縄で見せないところもすごい。
周りに野次馬が集まってくるし、騒ぎを聞きつけた近くの領主もやってきて問いただす。

命を懸けるきり合いなど初めての侍たちはめったやたら子供の喧嘩のように刀を振り回す。コミカルであるが、これぞリアリティである。

本懐を果たした後、又右衛門の顔が超クローズアップでどーんと画面を占領し、カメラはずーっとパンアウトして俯瞰で鍵屋の辻をとらえエンディングとなる。

クライマックスの緊張感はまさに「俺たちに明日はない」の名ラストシーンのごとく畳みかけてくるし、緊張の合間にふつうに挟むコミカルな笑いはかえって緊張感を高めるすばらしい対照として挿入される。

おもしろい映画を作るならこの作品を何十回も見て勉強すべき、これぞ娯楽映画の教科書のごとき大傑作であった。