くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「SUPER8/スーパーエイト」「あぜ道のダンディ」

スーパーエイト

「SUPER8 スーパーエイト」
スティーブン・スピルバーグ製作総指揮、J・J・エイブラムズ監督となれば期待しない方が無理というものだが、宣伝フィルムを見る中で、それほどのものかという不安もあった。そして案の定、この程度の映画かという作品だった。

作品としてはスピルバーグが円熟期にあった頃の「E.T.」などと共通したテーマのヒューマニズムあふれるアンブリンの映画なのである。中心になるのは子供たちで、大人たちが隠蔽したミステリーの謎を追ううちにその真相が明らかになり、そして、ラストは愛の結末というべく平和なエンディングが待っている。いったい、いつまでこの手のテーマを作るのか?いや、これはスピルバーグが現代のやたら派手で現実社会の汚ればかり描いている映画界へのメッセージでもあるのかもしれない。

解説によるとスピルバーグ作品へのオマージュだというのだから、「E.T.」あり、「グーニーズ」あり「スタンド・バイ・ミー」ありというのも頷ける。というより、8ミリ少年だったスピルバーグそのものへのオマージュでもあるのかもしれないですね。

時は1980年初頭ぐらいでしょうか。ウォークマンが世の中に広まり、少年たちは8ミリフィルムで映画を作ることに夢中になり始める。ちょうど私もそんな時代に高校生、大学生を経験したm差に青春まっただ中が舞台である。

8ミリで映画を作っていたジョーたち小学生の仲間はある日列車事故に遭遇。そして、その事故を起こした張本人が彼らの理科の先生で、どうやらその列車には軍の機密物資が搭載されていたらしい。

その機密物資とは1958年に地球に飛来し、帰る宇宙船が破損した地球外生命体が乗っていたのだ。そして宇宙船を修理するためのルービックキューブのような無数のパーツも散乱。そのうちの一つを主人公のジョーが持ち帰ってしまう。

ジョーの母親は4ヶ月前に鉄鋼所の事故で死に、今彼は寂しい毎日を送っているという設定。彼の友人のアリスの父親はその事故に責任を感じているという状況。ジョーと父で保安官助手のジョンとはどこか親子の確執があるという、今時余りに古くさい物語設定がなされている。

結局、ジョーたちが事件の真相を解明し、目の前に現れたエイリアンに心が通じて、エイリアンは無事宇宙船を再構築し宇宙へ帰っていって映画は終わる。最後にジョーが大事に持っていた母親のネックレスが一緒に宇通線に引きつけられ飛んでいくファンタジックなショットも登場。

劇中、少年たちが作っているゾンビ映画がエンドタイトルに流されてタイトルエンドという完全な娯楽映画である。

スピルバーグならではの一昔前のヒューマニズムが全編にあふれ、J・J・エイブラムズらしいシャープな演出も複雑な画面構成も、手の込んだストーリー展開もない。ストレートな物語で、完全なファミリー映画と呼べ、特に秀でた作品ともいえない。

スピルバーグとエイブラムズがそろって、この程度の作品を発表しているのはどうかと思えるほどに物足りないといえなくもないのです。新人監督や駆け出しスタッフなら十分レベルは高いのだが、これだけのベテランかつ力量のあるスタッフが集まってこの程度というのは何とも寂しい。おもしろかったけれど物足りないとはこの映画のことをいうのですね。

「あぜ道のダンディ」
川の底からこんにちは」で一躍脚光を浴びた石井祐也監督最新作。

世の親は自分たちの子供はいつまでも子供であると思っている。しかし、実は親が思っているよりずっと大人であるということをあるときふと気がつくのである。

主人公宮田はすでに50歳。最愛の妻を胃ガンで亡くし、今年大学生になる予定の息子と娘がいて、世の常のごとく子供との会話はない。自分は最近胃の調子が悪いので妻と同じく癌だと思っている。いつもつとめている運送会社まで自転車であぜ道を走り、まるで自分が競馬の騎手であるような言葉をつぶやきながら毎日を暮らしている。

どこにでもあるような、そしていまさらというようなありきたりの設定と導入部であるが、物語はこの主人公宮田が実は癌ではなくただの胃炎であることが判明したところからどんどん石井祐也監督らしい独特の世界へ入り込んでいく。

宮田は幼なじみの親友真田がいる。ことあるごとに愚痴をこぼしたり飲んだりしていて、男はダンディであることが義務であるという信念でくらしている。真田は独身で先頃寝たきりの父が死に一人暮らしである。

宮田の子供たちは一見、今時なのだが、娘の桃子は友人に援交を進められても断ったり、息子俊也も友達の家でごちそうになったら帰りには友人の母にお礼を言わないと気が済まないというしっかりした子供たちなのだ。しかし、父親にはそんなことは当然わからず、ただ、何とかして親しくなろうとゲームを買って対戦してみようとしたりとあくせくしているのだ。

子供たちは二人とも東京の大学に合格、一人暮らしをしないといけなくなる。宮田はある日、妻が残したテープを聴いて、妻がウサギのダンスの歌を録音してあるのを聞いてなんともいえない胸の熱さを覚えたりする。

一方の真田はさりげなく宮田の息子と遊園地に遊びに行ったり、娘とプリクラを撮ったりと当の父親以上にうまくつきあってしまう。そんな宮田と真田の絶妙のダンディズムがなんとも心地よい。

そして東京に行く前夜、酔っぱらって娘のベッドで寝てしまった宮田は夢の中で妻を含め家族でウサギのダンスを踊る夢を見る。このシーンが実に微笑ましく、思わず胸が熱くなってくるのである。

やがて、子供たちを東京へつれていき、一人になった宮田と真田はいつもの居酒屋で酒を飲む。
いつものようにあぜ道を走る宮田、冒頭の同じシーンとは違い、最後まで後方を走っているというアナウンスをつぶやく宮田のショットで映画は終わる。冒頭のシーンでは最後にはムチをいれましたとつぶやいたせりふがなくなったことはつまりはすべてが丸くなり、焦りもなにもなくなったことを示すがごとくである。

石井祐也監督らしく、居酒屋で突然声を高くして自分の主張を訴える演出は「川の底からこんにちは」同様である。

最初は例によっ暗い父と子供たちの確執の話かと思ったが、子供たちが本当にいい子供たちで、実は世の中のほとんどはこうなのだという救いと希望が徐々にストーリーが進むにつれて表にでてくる展開が本当に心地よかった。非常に凡々たる物語ですが、必死で父親として男としてダンディで生きていこうとする男の純情さにほのぼのと感動できる一本でした。