くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「水曜日のエミリア」「バビロンの陽光」

水曜日のエミリア

「水曜日のエミリア
何ともめんどくさいストーリーの映画である。主人公のエミリアはジャックという男性と結婚している。ジャックには前妻キャロリンとの間にウイリアムという息子がいる。エミリアはジャックとの間に赤ちゃんができたが三日の命で突然死んでしまい、未だにその娘イザベラのことが心から拭えない。そういう状況で、毎週水曜日は学校へエミリアがウイリアムを迎えにいくという約束になっているためにこの題名がついている。

イリアムは本当の母キャロリンはママとして慕っていて、当然のようにエミリアに生意気な口を利いて困らせるが、何事も厳しいキャロリンとは違った親しみをエミリアに持っている。

一方のキャロリンもエミリアに憎まれ口をたたきつける者の、ウイリアムに頼まれて、エミリアが自分の子供を謝って窒息死させたのではないかと悩んでいる疑惑を晴らすために尽力したりする。

結局は大人のエゴの中で振り回され寂しい思いをする息子ウイリアムの話のようでいて、ウイリアムはそれほどへこんでいなくて、結構ドライに見つめていたりもするから不思議。

ラストはキャロリンは別の男性と結婚し、一時、ジャックともめて離れたエミリアは再びジャックとよりを戻すような展開でエンディングを迎える。つまりハッピーエンドだ。

いったいアメリカの夫婦は家族はどうなっているのかと思うほどにごちゃごちゃである。
そんな面倒な関係のストーリーを描くに当たって、ちょっと変わったカメラワークが気になった。
ゆっくりと引いていくショットがあるかと思うと、ぐるりと回転させて寄っていく流麗なタッチも見せる。さりげないようでどこかスタイリッシュなのは出だしの赤ちゃんの姿のタイトルバックにもみられる。

揺れ動く男と女の結婚生活の物語を主に女性の視点から描いた作品で、ナタリー・ポートマンの今の心境を映像にしたくてプロデュースしたのではないかと思われる作品でした。
たわいのない作品ですが、前述したちょっとオリジナルなカメラワークが見逃せない一本だった気がします。

「バビロンの陽光」
時は2003年、フセイン政権が崩壊後8週間後を舞台に描かれる。赤くほこりっぽい大地の中の一本の道をアーメッドという少年とおばあさんが歩いている。ナシリヤの刑務所にいるという父イブラムに会いに行くのである。すでに母はなく、アーメッドと祖母だけの家族になってしまった様子である。

ようやくトラックに乗せてもらい、バスターミナルからバスに乗り、目的地へ着くが父は見あたらず、集団墓地を探してみてはどうかと言われて、まだ死んでいないと叫ぶアーメッド。

しかたなく、バグダッドへ向かうバスに乗ってみるもバスは途中で故障、ようやくたどり着いた集団墓地は骨とささやかな遺留品で肉親を捜すしかない有様。途中で知り合った気のいい男ムサと探すが見つからない。

やがて、祖母は次第に体力が衰え、何ヶ所めかの墓地で息子ではない骨を前にして涙する。そして、トラックの中でアーメッドを息子と勘違いしたりして後、息絶えてしまう。「一人にしないで」と叫ぶアーメッド。背後にはバビロンの遺跡がそびえ、真っ赤な太陽が輝いている。

戦後のイラクのあまりにもすさんだ悲劇が切々と描かれる内容はわずか90分とはいえ、正直しんどい物語である。アカデミー外国語映画賞イラク代表作品だけあって、それなりの質の高さはあるものの、やはりイラクの現状を映像として訴えかける内容が中心であり、広がるイラクの景色や主人公たちのドラマも手放しで感情移入できない現実の厳しさを感じられる。

映画として客観的な感想や評価より、国の現状、ある意味の悲劇を訴えかけてくるテーマ性はちょっとドキュメント的な感慨に耽ってしまう作品であった。ラストのアーメッドのクローズアップはこの戦争を仕掛けたアメリカを中心とした先進国への非難の視線ととらえられなくもないところが、アカデミー賞の出品作としてだしたイラクの正直な気持ちの訴えかけであると思う。