くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「レイン・オブ・アサシン」「一枚のハガキ」

レイン・オブ・アサシン

「レイン・オブ・アサシン」
ジョン・ウー監督が台湾のスー・チャオピン監督と共同で演出した武侠映画である。

達磨大使のミイラを手に入れたものは武術の覇者になれるという伝説、しかしその遺体は上下に分割され奪われていた。
それまでのいきさつや物語の流れがデジタル映像でショートフィルムのように描かれる導入部は「イップマン」と同じ映像になっていて、連続ドラマのダイジェスト版かと思えてしまう。
中国の謎の暗殺集団”黒石”に属する細雨はその上半身を奪い姿をくらます。その際、遺骸を所有していた宰相とその息子の命を奪った。

年月がたち、追っ手から逃れるために顔を整形し曽静と名を変えた彼女は平凡な毎日を送っていた。やがて、ありきたりの青年阿生と結ばれ幸せの生活を送っていたが、銀行で強盗団を倒したところから彼女の素性がばれ、”黒石”の首領転輪王に見つかってしまう。

各地から黒石の凄腕の刺客たちが狼煙の合図で集まってくる下りが実にエンターテインメントでわくわくしてくる。
魔術のようにロープや炎の剣を操る男、転輪王に仕込まれた美しい美女の剣士、針のような飛び道具を放つ刺客などが一斉に細雨に襲いかかる。危機一髪で逃げおおせたのだが、瀕死の重傷で気を失う。そこへ容赦なく襲ってくる刺客たちに、今まで頼りない様子だった阿生は地面の煉瓦の下に隠した剣を取り出し応戦する。実は殺されたと思った宰相の息子だった。

実は細雨の素性を知った阿生が密かに細雨に近づいたのだったが、いつの間にか本当に愛情を持ち始めていたのだ。
かつての敵が夫婦となり、それぞれの運命を受け入れながらも逆らい生きていくすさまじい展開に剣劇のおもしろさと重なってわくわくして見入ってしまいました。

単純なストーリーと香港映画ならではのチャンバラシーンの華麗さは「グリーン・ディスティニー」からさらにレベルアップし、スピード感とリアリティがさらに高まり、まるで本当に切り合いをしているかのような迫力の娯楽シーンが展開します。

クライマックス、命を懸けた戦いで細雨は転輪王を倒し、瀕死の中で阿生に抱きかかえられ本当の幸福へ向かっていくラストシーンでエンディングを迎えます。

転輪王が実は宦官で、真の男に戻るために達磨大使の遺骸を望んでいたという真相や、香港映画ならではのコミカルな展開もさりげなく挟まれ、十分に楽しめる一本でした。
難をいうと、「孫文の義士団」ほどの完成度はありません。しかし、懐かしい香港映画のおもしろさでした。

「一枚のハガキ」
これだけの物語をオリジナルで書き上げ、これほどまでに演出できる新藤兼人の才能に感服する一本でした。すばらしい。さらに、最近の若い監督に是非、この作品のような枠をはねのけた演出に臨んでほしいと思います。近年の日本映画はなんともこじんまりと枠にはまりすぎていて面白味がない。そこをもっと勉強してほしい。

この作品、ほとんどが真正面からとらえた左右対称の構図であることに気がつきます。
映画の最初、100人の白い軍服に身を包んだ兵士が天理教本部の講堂に集まっている。そこで、最初の任務を終わった後、次の任務が言い渡され、くじによって次の赴任先が定められていく。

主人公啓太の同期の男定造に一枚のハガキを見せられ、万一自分が先に死んだらこれを妻に届けてほしいと頼む。こうしてこの映画が始まります。

一方の定造の村での出征のシーン、妻友子とのシーン、繰り返される出征と帰還のシーンもすべて左右対称の構図と繰り返しを徹底する。
そして終戦、啓太は家に帰るも妻は父親と逃げてしまい誰もいない。途方に暮れた啓太はブラジルに行こうと家と船を売る。この荒唐無稽な展開が、下手をすると凡々とした戦争映画になるところにスパイスになって最後まで引っ張る。このプロットの挿入が実にうまい。

定造の実家を訪ねた啓太はそこで友子に会う。もちろん、このシーンの前に定造が死に、弟も死に父も母も死んでひとりぼっちになるまでの智子が描かれるが、不運にさいなまれていく様を左右対称の構図を効果的に使用した画面構成で描いていく。近所の吉五郎の友子へのちょっかいも挿入されストーリーにさらに膨らみを持たせる脚本は見事。

さて、ハガキのことに気がついた啓太は友子のところへやってくる。最初は啓太の側から友子をとらえるカメラアングルで友子が異常に小さく見えるが、定造の話をする中で友子が次第に向こうへ遠ざかるところから再び同じ位置に戻るまでをワンカットでじっくり見せる。このシーンは圧巻である。いつものような大竹しのぶの鼻につく演技にならず、さすが新藤監督彼女を見事に使いこなしていることに気がつく。

そして、一夜を過ごすも、特に男と女の関係にするような安っぽい展開にしない。ここへちょっかいを出してくるのが吉五郎の存在。そして、友子と啓太が一緒にブラジルへ行くと決めたところへ飛び込んできてお祝いをいう上に、地元の祭りを披露して大蛇になる。この突拍子もないストーリー展開は見事で、これぞ映画である。はがきに書かれていた「祭りが・・・」というくだりがここで生きてくるのである。

そして、旅立つ日、夫の位牌の入った箱を燃やすも狂ったように焼酎をぶっ掛けた友子は、「死んでしまう」と突然わめきだし、家は炎に包まれる。それを見た啓太はブラジルに行くのをやめ、焼け跡に麦を植えようと友子に提案し、結婚を申し込む。
映画は麦が育ちたわわになった景色を背景に二人で水を運ぶ姿でエンディングとなる。

前半の落ち着いた左右対称の静かな画面の繰り返しから、次第に斜めからアップへとカメラアングルが多彩になり始め、まるでモノクロの絵画に紅一点の絵の具が落とされたような終盤の大蛇のエピソード、さらに、ワンカットで見せるロングシーンと細かなカットを絶妙のリズムでつなぎ合わせた見事な展開と、芸達者な俳優たちのすばらしい部分を決して鼻につかないように映画の中で見事に生かした新藤兼人監督の演技付けの卓越した手腕が結実した秀作でした。さすがです。