くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ザ・ウォード監禁病棟」「あしたのパスタはアルデンテ」

ザ・ウォード

「ザ・ウォード監禁病棟」
ジョン・カーペンター監督が10年ぶりに監督をしたホラー映画、私のような年代には待ってましたという映画である。

映画が始まると、とある巨大な精神病院が映る。このファーストショットぁらもうカーペンター映画にわくわくしてくる。カメラがその病院の廊下を映し出し、不気味なズーミングでゆっくりと一つの部屋へたどり着くとタミー」の文字が、中で部屋の隅でふるえる一人の少女、カメラが正面からとらえたかと思うと突然背後に化け物のような影、次の瞬間彼女は後ろからつり上げられぐったりとなる。これこそB級ホラーの醍醐味とも呼べる導入部である。

場面が変わる一人に少女が森を逃げている。時は1966年と表示され、この少女は精神不安定で逃げまどっているので創作してほしい旨の無線の声、その少女は一軒の家にたどり着きそこに火をつけてその場に崩れ落ちると、そこへパトカーが到着、暴れる彼女を拘束し逮捕する。彼女の名はクリスティン、この映画の主人公である。

そして、クリスティンがつれてこられたのは冒頭で登場した精神病院、なぜか一般病棟ではなく奥の監禁病棟へ収容される。不気味な看護婦やマッドサイエンティストのような医師がうろついていて、5人の同年代に近い少女たちが収容されている。これこそ、ホラーの定番の設定である。

初めての夜、誰かに毛布をはがされ、朝目覚めるとブレスレットのロゴの飾りのようなものが床に散らばっている。時折現れる顔が化け物のようになった殺人鬼のような何者かに襲われるがなぜかすんでのところで助かる。

そして、収監されている患者が退院するときになると行方不明になるという逸話を聞かされ、クリスティンがやってきて最初に退院するアイリスが例の化け物によって目にピックを刺され殺戮されるショットが挿入、この病棟の中にある不気味なムードが高まってくる。

脱出の必要に迫られるクリスティンは収監されているエイミーと脱出を試みるもなぜか今一歩で捕まって、元の部屋へ。どうやら不気味な怪物の正体はかつて、ここの病棟の少女たちが寄ってたかって殺したアリスであるらしいことが明かされ、このアリスが復讐のために彼女たちを襲っているらしい展開となるが、なぜクリスティンも?という疑問がよぎる。

そして、万を期してもう一度脱出を試み成功したかに思えたとき、化け物が登場、斧でたたき殺したクリスティンは逃げ込んだ担当医のデスクであるカルテをみる。そこには一人の患者の治療記録が、そしてアリスに始まったそのカルテは最後にクリスティンへ。つまり、同じ病棟の少女たちはすべてアリスでありクリスティンである。多重人格のそれぞれの人物がでては消えているという展開だったことに気がつく。そして、アリスの人格に襲われたクリスティンはもろとも窓から落下。命は助かり、すべての人格はアリスに戻る。両親がかつて行方不明になったアリスが農家の納屋で見つかり、異常者に監禁されて瀕死の状態で見つかったものの、人格異常になって、その治療にこの病院へ入っていたことが語られる。

そして、すべてが解決、退院の日、鏡の前でアリスの姿になった彼女がじっと鏡を見ていると鏡が開いて中からクリスティンが襲いかかって映画は終わる。

決してグロテスクなショットは多用しないというジョン・カーペーンター流のショッキングシーンの連続と、ストーリーテリングのうまさはやはりさすがである。身の毛もよだつ怖さというよりじわじわと迫ってくる不気味さが彼の持ち味であり、音楽センスの抜群の良さが不思議な映像のリズムを生み出すのが彼の作品の魅力でもあります。そのあたりを堪能させてくれる一本でした。

「あしたのパスタはアルデンテ」
本来ゲイを扱った映画は苦手なのですが、この作品、実に明るくて爽快な展開で感動してしまいました。
作品全体がとても陽気にリズムを醸し出してくれます。その心地よいテンポがじめっとした部分を払拭し、明るく前向きな希望あふれる映画に仕上がっていて見終わって壮快な気分になりました。

物語の主人公は父親がパスタ会社を営むいわばセレブに近いファミリーの跡継ぎの兄弟アントニオとトンマーゾ。
ある日、トンマーゾは兄アントニオに自分はゲイであることを家族に告白すると話す。しかし食事の席で告白したのは兄のアントニオ、ショックを受けた父はアントニオを追い出してしまう。

もともと小説家になりたかった弟のトンマーゾは仕方なく父の会社を手伝うことに。

こうして物語が幕を開けますが、映画始まってのファーストシーンで祖母の回想するショットで始まりますから、どこか、孫たちの本当の気持ちを理解する祖母の視線を通じてストーリーが展開していくのがわかります。

やがてトンマーゾにも女性の彼女アルバが現れ、このまま順風満帆に進むのではと安心する父の表情とは裏腹に、自分の気持ちをこらえて生活するトンマーゾの苦悩がじわじわと物語の表ににじみ出てきます。

そんなとき、ローマのゲイの友達が知り合いを連れてトンマーゾのところにやってきます。トンマーニの家族はまさか彼らがゲイだとは疑うこともなく、時にイケメンの友達のごとく色目さえ使ういとこたちの視線さえ伺える雰囲気になる。しかし、どこかおかしい。その微妙なムードがみている私たちに笑いを誘うし、背後に使われる陽気なメロディや浜辺での彼らのダンスが実に陽気で、燦々と降り注ぐ太陽のような映像を思わせる楽しさがでてきます。

そして、彼らが去った後、トンマーゾは一大決心をし、父にパスタの会社を次ぐことは無理で、やはり小説家を目指すと告白、一方糖尿病で甘いものを必死で我慢していた祖母も抑えていた欲望を捨て、ケーキなどの無茶食いをして翌日ベッドで死んでしまう。そして、家族には思いのままにそれぞれが生き、そしていつも家族が一つになっているようにという内容のメッセージを残します。

祖母の葬儀の場に兄アントニオも帰ってきて、久々に家族が集うひととき、かつて思いを貫けなかった恋の末に結婚をした祖母の過去のシーンが被さり、自分のかなわぬ過去が孫たちを祝福することで大団円を迎えるというなにもかも一つになったシーンでみんながダンス。そして映画が終わります。

過去と現代のシーンが絶妙に絡み合い、一つになりながら、人間の本来の気持ちに対する素直さの大切さ、希望を捨てない大切さをしっかりとそして明るく描ききったこの作品は久々に見た前向きな秀作であったかなと思います。いい映画でした。