くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「テザ 慟哭の大地」

テザ慟哭の大地

こういう映画を見ると、いかに自分が知っている世界は小さなものかと感じてしまいます。この作品はエチオピア映画です。しかもエチオピア映画が日本で公開されたのが初めてというのですから驚きますね。しかもこのハイレ・ゲリマ監督というのはアフリカの映画界では巨匠と呼ばれるほどの名監督、今回その作品に触れることができました。そしてその質の高さに驚いてしまいました。

映画が始まると一人の包帯で覆われた男が病院の廊下をベッドに載せられ搬送されている。「今夜一晩もつかしら」というスタッフたちの声がかなたに聞こえる中暗転、画面はエチオピアの片田舎の町。子供のように泣きじゃくりながら息子の帰りを待ちわびる年老いた老婦人。それを支えるようにつきそう家族。そこへ「アンベルブルが帰ってきた」と声が響く。片足を無くし杖をつきながら一人の髭を生やした男が母親のところに近づき抱き合います。

医者になるためにドイツへ行った主人公のアンベルブルは片足を無くして故郷の村に帰ってくる。時は1990年。軍事独裁政権が支配するエチオピア反政府軍と政府軍の対立が激化していて、村の少年たちはそれぞれの軍隊がやってきては自分たちの兵士としてさらっていく。村の男たちは近くの湖の島に隠れて軍隊に撮られることから身を隠している。息子たちがつらさられるのを身を呈して守ろうとする母親たちのシーンが映され、それをじっと見るアンベルブルの姿に寂しげな不安な視線が見られます。

アンベルブルは時に悪夢を見、かつてのドイツ時代の自分の姿やさまざまな恐怖の思い出に突然叫びだすようになっています。また一方で、連れ去られる少年たちに自分の姿を重ねたり、幻影のごとき自分の少年時代に語りかけたりと、少しずつ過去のいきさつが挿入されていく。そのカットが実に細やかにそれでいて繊細なタイミングで編集されていく画面作りは本当に見事なものです。さらに時折映される煙る村のショットや広い荒涼たる台地が帰って不安な感覚を生み出していく。

時は1970年代に戻る。ドイツの大学で衣料の研究をするアンベルブルの姿、沿い手彼の親友テスファエの姿、そして祖国の政情に不安を示し、政治談議を重ねる仲間たちの様子が描写されてくる。一方で白人社会であるドイツで執拗な黒人差別が横行しているという現実を示すアンベルブルの恋人カsナンドラのせりふなども挿入され、物語は一国の政治不安の状況だけを描いたものでないことが次第に表に出てきます。そして、ドイツの女性と結婚し、子供までできたテスファエの姿を通してさらに祖国の政情への不安からゆれる姿がどんどん浮き彫りにされてくる。

やがて、政変が起こり軍事独裁政権となった祖国の姿が描かれ、時は1980年代へ。祖国へ戻る決意をしたテスファエが苦渋の思いでアンベルブルに語る姿が知識層としての彼らのどうしようもない苦しさを見事に表現します。
そして、テスファエを追うようにエチオピアアジスアベバへやってくるアンベルブル。いたるところに立つ兵士たちの姿と新しい職場でのなにやら不気味なほどの緊張感に次第に研ぎ澄まされたような緊張感に蝕まれていくアンベルブルの様子が、ホテルの水道の水漏れにまでいらいらするショットを通して描かれていきます。

軍事政権への批判的な言葉を少しでも声にするだけで軍隊に拉致され自己批判を強制されるといういわば半拘束されたような毎日。学校内の不穏な過激集団の姿など、とても平和とはいえない毎日が続きます。知識層と労働者層との対立は単なる暴徒と化した集団を生み出し、東ドイツへもう一度戻るというテスファエの虐殺という結果を生んでしまう。そして、代わりに東ドイツへ行かされる事になるアンベルブル。

テスファエの死を伝えるためにテスファエの恋人ギャザと息子テオドロスのところへ行くが、そこで、かつて懸念した黒人差別の現実を語られる。祖国の不安だけでなく日常の不安煮まで忍び寄るこの物語の構成はやり場のない悲しみさえしだいに胸に迫ってくる。そして一方で村に戻ったアンベルブルは村人からさげすまれ、親しくなり恋心も生まれたアザヌは妊娠する。しかし、村人たちのアンベルブルたちへの視線は日々厳しくなり、どうしようもない抑圧に日々暮らす様子も描かれていきます。

やがて、ベルリンの壁が壊され、自由社会がひとつまたひとつと生まれていくかに見える希望にあふれるシーンが映されるにもかかわらず、ある日白人の暴徒にアンベルブルは研究所で襲われ窓から放り出されて大怪我をしてしまう。この後が冒頭の病院でのシーンである。なんともこれでもかと繰り返される暴力と差別、人間の偏見、欲望。いったいどこに希望を見出すのかと思われるが、物語は村のショットへ。

兵士に取られないように隠れている少年たちが暮らす市までアザヌは出産、一方、以前に教えていた先生が行方不明になり、その後そこの少年たちに教える人がいなかったのですが、アンベルブルは新たな先生となって少年たちに学問を教えることになる。子供たちがささやかにともった火種のようなものをもつ姿を映して映画は終わります。かすかな希望が見えたのでしょうか。圧倒的な映像演出によって過去と現代を緊迫感あふれるストーリー構成で描き出し、さらにかすかな希望をエンディングに示したハイレ・ゲリマ監督の手腕が実にすばらしい。作品もハイレベルながらこの物語に胸を打たれない人はいないと思います。見事でした