くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ベニスに死す」

ベニスに死す

今まで見た作品で究極の映像芸術と呼べる一本がこの作品です。そして、素直にその完成度の高さに涙が止まらなかったのもこの映画なのです。30年ぶりくらいに見なおした「ベニスに死す」は初めてふれたとき同様に新鮮にそのすばらしさに涙してしまいました。

物語は大作曲家グスタフ・マーラーをモデルにトーマス・マンが書き上げた原作を元にしていますが、その活字の世界がルキノ・ヴィスコンティによって映像芸術として昇華しているのです。

主人公の心理状態が極度に高ぶったときに挿入される若き日の主人公の物語のフラッシュバック、さらに不気味なほどの不安定な心理状態を描写していく登場人物の数々、どこまでか現実でどこまでが主人公の幻影かその境目が一見無いようで実に見事に描き分けられた映像。そしてズームイン、ズームアウトを繰り返すカメラワークの妙味。そして、主人公を演じたダーク・ボガードのどこか異常な精神様態であるかのような微妙な演技とビヨルン・アンドレセンのこの世のものと思えないような美少年。なにもかもが見事のハーモニーを奏で背景に流れるマーラーの調べが映像に陶酔感を生みだし、ワンシーンだけ挿入される「エリーゼのために」が主人公の心を揺り動かしてしまう。

朝靄の中静かに蒸気船がフレームインしてくるファーストシーン。そしてベニスの港についた船から主人公アシェンバッハ教授が降りてくる。
彼はすでに心臓を病んでおり、休養のためにベニスへやってきたのである。

降りる寸前に甲板で酔っぱらいの男に絡まれたり、リドの島へ行くためのゴンドラの船頭は無免許の男でアシェンバッハの思うようなところへ運んでくれない上に、荷物は別のところに送られてしまう。なにもかもの出来事を丁寧に畳みかけながら主人公の不安な心を見事に描写していく。

ホテルへ着いたアシェンバッハはそこで美の極致であるかのような完璧な美少年タジオに出会う。そして物語が幕を開けるのである。

この作品、前半の三分の一まではやや単調でしんどいのであるが、荷物の到着がさらに遅れ、ホテルでの滞在が長引くことになりタジオとあえる日が増え、内心喜ぶ主人公のショットから後がいわゆるクライマックスなのである。

究極の美少年タジオの姿はいわゆる主人公の老いから逃れ、若さへのあこがれであり、町中に蔓延してくる伝染病の噂は彼の病に対する恐怖を暗示している。

時折映される若き日のアシェンバッハの姿、失った子供への失意、才能が枯れていくのではないかという不安、そのそれぞれが、時に薄汚れたベニスの町並みや歯の抜けたギターを奏でる大道芸人などに表現していくヴィスコンティの感性の鋭さにも脱帽してしまいます。

そして、クライマックス。伝染病の真相をタジオたち家族に告げようと、理髪店で若作りをし、髪を染め、化粧をして涙ぐましい思いの姿になってタジオたちを付け回す。
しかし結局、苦しくなってよるの街角の井戸端に倒れる。

やがてタジオたちが旅立つ日、浜辺で若者と戯れるタジオの姿を見ながら涙し、しまいには笑いだしてしまい、そして息絶える。
髪を染めていた染料が顔を流れ見るもむごい姿で氏を迎える主人公の姿がとにかく悲しい。

彼方には海には行って左手をゆっくりと持ち上げるタジオのシルエットと右手にはまるで過去を残し終えたかのような三脚に乗ったカメラが配置されている。

カメラが大きく引いて、アシェンバッハを担いでいく人々の姿が映されエンディングとなる。

もう涙があふれてきました。これが芸術です。しかし、ゴッホやモネの絵画をみてここがどうであそこがどうでと文章にすることができないように、ここまで究極の作品になると果たしてここに書いた文章が正しいのかさえ不安になります。それでもこの作品はすばらしい。