黒いバックにタイトル、背後に車の行き交う音が聞こえているが次第に激しくなって急ブレーキの音とともにタイトルが終わりフロントガラスの割れるシーン、女性が飛び出すシーン、腕時計がはずれて飛び散るシーンが続いて物語が始まる。ショッキングなショットでいきなり引き込まれる。
場面がわかると一台の黒いベンツが渋滞の先頭で立ち往生。中からでてきた女が自分の車のタイヤをみるとパンクしている。後ろからきた車の男が罵声を浴びせ、ベンツの隙間をすり抜けて前にでる。そこへ、水をまき散らしながら老人が運転する一台のトラックが横を通り、水がフロントガラスにかかる。さらに、そこへビルの外につるしていた布看板がひらりと落ちてフロントガラスに張り付く。乗っていた男はいらついて車の外にでてその張り付いた布看板を引きずりおろそうとすると、つり下げていた金具がはずれビルのショーウィンドウのガラスが一気に割れて男の頭の上に。さらに固まりのガラスが頭を直撃、男はその場に倒れ、まもなく死んでしまう。
この男、闇の組織のボスで、実はこの死は偶然を装って依頼によって人殺しをする集団の仕業だったのだ。
余りにできすぎた偶然を組み立てて暗殺をするこの集団。そのリーダーがこの物語の主人公ブレインである。そして、冒頭で死んだのはこのリーダーの妻であるらしいとわかる。
ストーリー展開そのものが映像テクニックの演出であるという非常にこった構成が実に巧妙かつ見応えがあります。
そして次のターゲットへリーダーを中心の作戦が練られ、いざ実行。
おやじと呼ばれる老人が風船をもち、街角のテレビカメラを隠す役割。さらにタコをとばしてわざと電線にひっかける。ふとっちょとよばれる仲間が自転車でターゲットの車椅子に乗る男に近づく。そして接触、車いすが雨の中後ろへよろめき、電線から垂れ下がっている凧の糸に触れて感電死する。ところが次の瞬間、バスがなぜか傍らで首尾を見届けるブレインの方へ暴走。何とか逃げたもののふとっちょが巻き込まれて死んでしまう。
このあたりから、このブレインは誰かに自分がねらわれているのではないかと疑い始める。
おやじと呼ばれる老人はやや痴呆気味でその夜のことを覚えていない。メンバーの中の女も敵ではないかと不信に思い、仕掛けて殺してしまう。
そして、かつて自分が住んでいたアパートの下の男フォンが怪しいと盗聴器を仕掛け、電話を傍受。そして、なにやら保険金目的にうごめいている存在を突き止める。
おやじが二階から落ちて重傷、これも仕組まれたものと判断したブレインはフォンとその恋人を殺す計画を立てる。
当日、フォンと恋人が街角に立つ。あらかじめ止めておいた車のフロントガラスに工事現場のホコリが舞う。主人公がスイッチを入れるとフロントガラスのワイパーが動き、太陽の光が反射、それが街角のカメラに反射、まぶしい光が疾走してくる車を照らして、運転を誤らせ、男に衝突するはずだった。
ところが、太陽が反射したと思った瞬間、あたりは真っ暗に。そして、皆既日食が始まる。そこへおやじから電話。あのバスの暴走は自分がボールを落としただけの偶然の事故だったと思い出したことを告げる。そして、今まで疑っていたすべてのことが実はただのアクシデントだったと気づくブレイン。
再び太陽がでて、当初の計画通り、再度光が反射。ブレインはあわてて、車のフロントガラスの光を覆うため走り出す。それを見つけるフォン、ところがたまたま暴走してきた車はカメラの反射だけで運転を誤りフォンの恋人だけをひき殺してしまう。偶然が偶然を呼んで予期せぬ結末へ。
すべてを悟ったブレインはアパートの中を掃除し、すべてを引き払って部屋の外へでる。ところがそこへ恋人を失ったフォンがナイフで突進。ブレインはその場に倒れてしまう。そしてエンディング。
一時間半ほどのストーリーの中に凝縮されたサスペンスフルな物語は、いったん始まるとノンストップでどんどん展開していく。時にスローモーション、光や水、など様々な小道具がジョニー・トーの映画のように作意的に画面を飾っていく様は一種の映像の遊びであるかに見える。
そして、その遊びの中で語られる一人の男の疑心暗鬼の物語はとにかく娯楽性抜群の映画として完成されています。もっと枝葉をつけて深みを持たせても十分な作品なのに、エッセンスを集中させ、主人公が次々と変装をして真相を暴こうとするので、逆についていけないときもありますが、始まったとたんにあっという間にラストシーンというおもしろさにはまさに香港映画ならではのエンターテインメントと呼ぶにふさわしい作品でした。