くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夜の大捜査線」「私だけのハッピー・エンディング」

夜の大捜査線

夜の大捜査線
昔テレビの洋画劇場で見て、そのラストシーンの感動だけが印象に残り、是非スクリーンでみたいと思っていたが、とうとう実現した。

今回改めて見直してみて、やはりすばらしい。特にシドニー・ポワチエロッド・スタイガーの演技が抜群なのである。二人の間のとり方というより、それぞれがさりげなく見せる仕草に見事に心の中が反映しているのだ。しかもノーマン・ジュイソンの細やかな演出がさらにその人間ドラマに拍車をかけるように盛り上げる。

一度帰りかけ駅で待つバージルシドニー・ポワチエ)にビル・ギレスビー署長(ロッド・スタイガー)がやってくる。いままで横柄に前をあけていた上着をさりげなく閉じてジッパーをあげる。少しづつバージルに親密さを感じさせてきた姿を見事に見せるシーンである。

さらに、逮捕されたもののバージルが刑事だとわかり、本庁の署長の意見で協力するように言われたバージルがいったん断ってそっぽを向くが一度振り向きそしてまたそっぽを向いて了解する。このかすかなショット、監督の演出かそれともシドニー・ポワチエの演技か、このほんのわずかなショットにもうならせるものがある。

もう一つ、脚本の見事さである。微に入り細に入るプロットの数々。そして背後に流れるレイ・チャールズの歌声、クインシー・ジョーンズのあまったるいようなメロディ。そして、殺人事件のミステリーのおもしろさとバージルとビルの二人の人間ドラマとの微妙なバランスで描き分けるノーマン・ジュイソンの見事な演出。さらに背景に黒人差別を頻繁に盛り込んだ社会性、未だ残る北部と南部のアメリカ社会の矛盾。単純なひとときの物語なのに、実に奥の深い見事なドラマに仕上がっているのである。

一台の列車が夜の町に入ってきて、一人の男が駅に降り立つ。一方、寂れたカフェで軽食を食べた巡査のサムがパトカーで巡回にでる。いつも全裸で窓にたつ女を眺めて路地へ。そこで死体を発見。ビル署長の指示で怪しい人物を捜すと、たまたま列車を待っていたバージルを見つけ逮捕。署長のビルはやたらクチャクチャとガムをかんでいる。ビルの人間性を的確に見せる見事な演出である。

こうして一気に物語の本筋に入る、すばらしい導入部である。

結局犯人は冒頭で登場したカフェの男で、妊娠させてしまった女(いつも全裸で窓にたつ女)の中絶費用のためにコンバートという実業家を殴り殺したのだ。

最初は誰からも憎まれたバージルが一人また一人と自分に好意を持っていく。しかし、町全体としては決して黒人としての彼を認めない。このシリアスさも妙なヒューマンドラマにならず、またビル署長と部下たちのさりげない確執なども交え、あくまでビル署長とバージルの人間関係から視点をそらさなくて実にいいのである。

ラストシーン、事件を解決し列車で旅立つバージルの鞄を持ってやるビルの仕草がほんとうに暖かい。そして、「元気でな」と声をかける。これこそが名作たるものの余裕である。やはり何度みてもすばらしい作品でした。

「私だけのハッピー・エンディング」
いわゆる難病ものである。こういうジャンルは苦手なのですが、時として驚くような一品に出会えるので見に行きました。

が、実に平凡な作品でした。主人公マーリーはやり手のキャリアウーマン。最近やせてきたという声に病院に行くと
すでに手遅れのガンだと判明。必死で空騒ぎしながらも担当医であったジュリアンと恋仲になる。

瀕死の状態の時に雲の上で実名のウーピー・ゴールドバーグが神として登場、彼女と話をするくだりや、ラストシーン、マーリーの遺言で葬儀はにぎやかにということで開かれたパーティの中でマリリンが踊るというファンタジックな映像に監督の意図があると思われるが、いかんせん、そのほかの部分は全く平凡で、時に友人や両親に当たり散らすし、いらつくし、といってバカ騒ぎをして陽気になるしこの手の難病ものの典型的なシーンが次々と登場、何とも想像力のない演出だとまいってしまいます。

主演のケイト・ハドソン、こんなにぽっちゃりしていたかと思うほどにやや小太りになってしまって、バカ騒ぎする姿がうっとうしくさえみてくるから良くないですね。

まぁ、結局、この物語を通じて語りたい作品への思いが今一つ伝わらなくて、これで終わりかといわせてエンディング。これも映画なのだと自分を納得させて映画館をでてきてしまいました。