くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「青い山脈」「続・青い山脈」

青い山脈

青い山脈」「続・青い山脈
キネマ旬報のデータベースでは前後編として一本でくくってあるのでまとめて感想を書きます。一応時期を一週間ずらして公開してるので二本の作品としてみていいと思いますが。
いうまでもなく現代に至るまで学園ドラマの基本形となった名作である。20数年ぶりに見直したが、なるほど、これは傑作だ。制作された1949年という時代背景を考えるとさらにうなってしまう。さらに、物語の視点が封建社会に対する民主化の波から自由恋愛の物語へと移っていくストーリー展開の見事な脚本にもうならされてしまうのです。

戦後、一気に日本人の考え方が変わり、昔ながらの封建的な思想が一気に民主的な思想へと変わる。その現実を学園ドラマという形式でまるで楔を打ち込むように描いていく今井正の演出はどこか恐ろしいほどに主義主張を徹底してくる。

物語の設定にある登場人物の名前、そして人物の生活背景にさえ徹底的にそのディテールにこだわっている。杉葉子扮する女学生新子の母親には産んだ母と育ての母が違うという設定、さらに前の学校で恋愛沙汰で騒ぎを起こして転校してきたという経歴もある。そして友人のめがねの女の子和子は姉が芸者、さらに男子学生の中心になる池辺良扮する金谷はおそらく在日韓国人である(名字にそのこだわりがある)、そして原節子扮する島崎はみるからに現代的な教師として登場する。

対する側は昔ながらの地元の名士たちであり、何不自由もない典型的な日本の資産家層なのである。このはっきりと描き分けられた設定を中心にした脚本のすばらしさにもめをみはる。名脚本家小国秀雄と今井ただしの手腕に拍手したい。さらに中井朝一のカメラもまた美しい。

島崎が新子とダンスをする場面で島崎が口笛を吹く。当時女性が口笛を吹くことの意外性にさえ細かな演出が施される。さらに新子が男子高校生の更衣室でぼんやりたたずむシーンもある。縫うように半裸の男子学生を捕らえ、その隅こ新子がたっている横の構図が実にリアルでさえある。このショットもドキッとするほどに当時としては驚くべきな演出だろう。

もちろん原作が石坂洋次郎であるから、どこまでが映画としてのオリジナルかはわかりにくいが、それにしても、カメラが捕らえるワンシーンワンシーンのカメラアングルや構図がそれぞれのシーンを的確に映像として命を与えているのである。

物語は新子が金谷が留守番をする荒物屋に卵を持ってくるところから始まる。広角レンズを利用したほぼパンフォーカスの画面で手前の杉葉子と奥の池辺良の姿を捉える。

前半部分で一通のいたずらの手紙から巻き起こる学園の事件が封建主義の塊のような田舎町でただ一人近代的な思想を押し通そうとする女教師によって対立が起こり、女学生同士の諍い、さらには地元の有力者たちの陰謀にまで盛り上がって理事会開催になるまでが描かれる。後半で理事会開催のシーンで雨傘を持つ島崎のショット、きらきら光る傘のカットの美しいこと。明らかに彼女をスポットにしたカメラの演出である。
理事会では女教師島崎の主張が何とか通ったものの次第に事件の物語から学生たちそれぞれの恋愛の物語へと膨らんでいき、さらには島崎に好意を寄せる沼田の物語、一方で沼田にひそかに思いを寄せる和子の姉梅太郎(小暮美千代)の切ない心のドラマにさへ踏み込んで大団円を迎える。細部のデティールにこだわり奥の深いドラマに仕上げどこにも隙がない実にすばらしいストーリー展開を見せる。

ラブレターの張本人浅子が新子に仲直りを求め、校庭で抱き合うシーン。さらに有名なサイクリングで学生たちが走る場面を見上げるカメラで捉えるシーン、そして沼田が島崎にプロポーズするシーン、さらに浜辺で金谷が「新子が大好きだ」と叫ぶシーンと今でこそ当たり前の青春映画の常道がすべて語られてエンディングとなる。(キネ旬のデータベースが間違っているのはこのラストの説明である)

背後に入道雲が捉えられ大きく空を含んだ俯瞰のショットが実に美しい。

ぎゅっと閉鎖空間に閉じ込められた前半の展開から一気に開放されていく後半部の演出、そして一気に広がるサイクリングシーンとテーマ曲、そしてエンディング。何度書いてももこのストーリー構成の見事さは語りつくせない。まだまだ細かいシーンやせりふに繊細な演出が施されていたのだがいかんせん記憶量の限界を超えてしまった。また機会があれば見直してみたい、そんな傑作でした。