くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「灼熱の魂」

灼熱の魂

これは重い。ここまでするかと思えるほどの驚愕の物語でした。

何人かの少年たちが収容所でしょうか、順番に丸刈りされているシーンから映画が始まります。そして一人の少年にカメラが寄っていってその少年がじっとこちらをにらんでタイトル。

画面が変わるととあるオフィス、この物語の主人公ナワル・マルワンが死んで、その公証人から二人の子供ジャンヌとシモンに遺言書が渡されるシーンに移る。その遺言に寄れば、遺体は裸にして世間から背を向けてうつ伏せにして埋葬してほしい。墓石も墓石名もいらないとある。そして、行方不明の兄と父にあてて手紙がしたためられている。どうやらこの女性はプールで死んだらしく、そのとき一緒だったのが姉のジャンヌであるらしいとフラッシュバックで語られる。

反対するシモンを残して一人母の出身の中東へ兄と父を捜しに出発するジャンルの物語が本編となり、その探す過程でで、かつてのナワル・マルワンの半生が描かれていく。

現代と過去が交錯し、時にナワルとジャンヌが重ね合わされて混乱しそうになるのを何度も繰り返される名前を呼びあうせりふの妙味で見事にストーリーを語っていく脚本が実に秀逸である。

ナワルは許されない男性と恋に落ちるがその逃避行の途中でその男性は撃ち殺される。宗教的な対立か政治的な敵対者かは不明だが、すでに身ごもっていたナワルは祖母の元で男児を出産、目印に祖母はかかとに入れ墨をしてすぐに孤児院へ送られる。

やがてナワルは町の大学へ進むがそこで政治運動の中、分かれた息子を捜すべく紛争地帯である南部へと旅立つ。そして、政治運動の中で敵対するキリスト右派のリーダーを射殺したために監獄へ。そこで「歌う女」のあだ名で収監。数々の拷問の中で一人の拷問官アバウ・タレクがやってきて彼女をレイプ、彼女は監獄で双子を生む。

そんな壮絶な母の物語がジャンヌの追跡の中で見えてくる展開が恐ろしいほどに残酷である。

そして、自分たちが監獄で生まれ、その父親は拷問官であったという真実に狂ったようになるジャンヌとシモン。そして、次にナワルが生き分かれた兄を捜すことに。

兄はニハドの名前で孤児院にいたが、そこをおそったセクトの指導者から彼は一流の狙撃手になったことを告げられる。しかし対立するセクトにとらえられ、洗脳された上に名前をアバウ・タレクと変えて拷問官としてナワルが収監されていた監獄へ送り込まれたという展開に至るや、さすがにやるせなくなってくる。

つまり、兄でもあり、父でもあったという現実に驚愕。そしてその男に二通の手紙を渡して去るシモンとジャンヌ。
そして、その後に開いた手紙には、墓石を掘って埋葬してほしいとつづられていた。

なぜ母が彼の存在を知ったか。父は後に海外へ脱出。ふつうの生活をしていた。ある日ナワルとジャンヌがプールで泳いでいるときにナワルは足首の入れ墨から父の姿を発見、近づくも彼はナワルに気がつかなかったという展開がクライマックスのエピローグとしてつづられる。

あまりにも壮絶なストーリー展開に、正直息をのんでしまった。レイプされ監獄で生まれた子供がジャンヌとシモン出会ったというあたりでも十分だと思えるのですが、さらにもう一歩残酷な現実で幕を閉じるというのはやややりすぎていないだろうかとさえ思ってしまう。

舞台となった中東の地域の宗教的、民族的な対立の中に埋没してしまったふつうの道徳感が生み出した悲劇という訴えかけなのだろうとは思うのですが、ちょっと個人的にはいきすぎているという感想です。

作品自体の出来映えが見事であり、繰り返され、交錯させるシーンの組立の絶妙のバランスと、時にじっとバスが突然襲われ打たれるところでキリスト教であることを主張して逃れるナワルの姿など現実を見据えるような鋭いカットも挿入、父の真相を探るべくシモンが潜入する町で手持ちカメラによるリアリティあふれる映像などふんだんに交えた映像演出もすばらしい。

しかし、完成度が高いためによけいにここまでストーリーを練り込む必要があるかと思うのです。これだけの演出ができるならあそこまでしなくても十分一級品になった気がするのですが。

結局、物語は完結せず、父の姿と二人の子供のこれからには道は示されずにエンディングになる。これもまたつらいですね。