くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「小林多喜二」「マイウェイ 12000キロの真実」

小林多喜二

小林多喜二
蟹工船」の作家として有名な小林多喜二の半生を再現フィルムのごとき演出で描いた作品である。

昭和8年、小林多喜二が警察に捕まり拷問の末死んでしまうところから映画が始まる。遺体が放置された警察署の一室にギターを持った男が登場(笑)、この男がナレーションを始め、小林多喜二が死に至るまでの過去を語り始めるのだ。

書いた小説の再現と、現実の生きざまの半生、そして関わったプロレタリア運動の様子がドキュメント風に描かれていく。

特に意識的な映像演出は行われず、淡々と丁寧に小林多喜二の人生を追っていく展開はストレートで分かりやすい。その意味で映画作品を鑑賞するというより一人の人物の人生を秀逸な演出で映像化したものを鑑賞するという感じである。

時折登場するナレーションの人物が妙に滑稽でもあるが、これも制作された当時の流行みたいなもので、時代を感じるという意味で、あれはあれで受け入れればいいかなと思います。

この手の映画はどうしても主義主張が偏った形で描かれざるを得ない。この作品では当然、権力側と呼ばれる国家の存在が悪で小林らの運動が善であるかのように描かれざるを得ないが、果たしてそれでは日本国はなにもかも悪いのかといえば、それはあまりにも偏った感想になる。従って、あくまでこの映画はフィクションとしての映像表現であると割り切るべきであり、この映画を見て小林多喜二や当時の運動に興味を持つなら、あるいは感動したなら自分の目で客観的な視点は培うべきであると思います。

随所に様々な俳優さんの若い頃や、例によって北林谷栄さんがでていたりと映画を楽しむ一面もたぶんにあった意味で楽しめました。ただ、フィルムが完全に退色していて赤っぽかったのは残念でした。

「マイウェイ 12000キロの真実」
本当に良かった。もうラストシーンで涙が自然とあふれてきて、エンドクレジットの間も思い出しながら目頭が熱くなりました。いい映画でした。

手持ちカメラやさまざまな撮影機材を投入した上にデジタルカメラ、そしてCGの技術の利点、壮大なセットと本物にこだわった演出を最大限に利用し、0.何秒かのようなめまぐるしいほどに細かいカットを積み重ねていって緊張感がひとときも途切れない映像を作り出す。さらに、韓国映画の良い部分が全面にでた演出によって癖のある作品ではなくグローバルに通用するアクション映画にも仕上がった。

さらに、大きく歴史の一ページをとらえた冒頭部分から次第に主人公となる長谷川辰雄とキム・ジュンシクの二人の人間ドラマへ収束していく物語展開のうまさは絶品。

そして、見せ場となるノモンハンソ連侵攻シーンに始まって、ドイツ軍の市街戦の場面、さらにはクライマックスのノルマンディ上陸作戦の目を奪われるような大スペクタクルシーンまでその壮大な戦闘絵巻もすばらしい。

もちろん、今の世の中スペクタクルシーンはCGによって描かれていると思います。しかし、さすがにオンラインゲームの本家韓国ならではで、ゲーム映像で培われたCG映像のすばらしさに、戦闘機が群がってくる場面、墜落して炎上する中を逃げまどう兵士のショットや、見上げると空を覆い尽くすような落下傘部隊のシーン、海を埋め尽くす軍艦のシーンなど技術だけでは語れないそのアクション演出のすばらしさにも目を奪われるのです。

ベルリンオリンピック、一人のマラソン選手の後姿が写されて映画が始まる。アナウンスが流れ、この無名のキム・ジュンシク選手がごぼう抜きにして先頭集団に入っていく様が語られる。

物語はさかのぼり日本軍が韓国を占領していた1928年頃の京城(今のソウル)、日本人少年長谷川辰雄がハイヤーに乗っておじいさんが住む京城へやってきた。そこで、使用人の息子であるが長谷川同様めっぽう足の早いキム・ジュンシクにであう。

こうして生涯のライバルとなる長谷川とキムの物語が始まる。

青年になりオリンピック代表選手選考レースで韓国人故に屈辱のままにとらえられたキムはそのまま日本軍人としてノモンハンへ。そこで、非道なまでに軍国主義を貫く長谷川と再会する。日本人の悪役ぶりがステロタイプ化されて描かれるこの導入部は正直、やはり韓国映画だなと思わざるを得ないが、ここからソビエト軍捕虜となった長谷川とキムの物語へと視点が移ってくると次第に人間ドラマとしての様相を帯びてくる。

ソビエト軍捕虜となるも、その捕虜集団のリーダーとなっている韓国人が、かつての日本人同様の非道を行う姿をキムが見るに及んで、次第にキムも人種同士の確執に疑問を持ち始める姿も見事な演出である。

やがて、脱出してドイツ軍に入らざるを得なくなる二人。ほんの0。めまぐるしいカットの連続で戦闘シーンのみならず人物のクローズアップを繰り返していくカメラ演出は疲れないというわけではないが、それによって生み出される緊張感と心理ドラマの迫力は生半可ではない。しかも、そんな映像演出が壮大な戦闘シーンと重なると恐ろしいほどのリアリティあふれるシーンになる。

カン・ジェギュ監督は「シュリ」でも「ブラザーフッド」でもこの演出法によってものすごい破棄力を生み出したが、スケールアップされた今回の映像の中ではさらにその効果を何倍にもなっている気がします。

ドイツ軍としてノルマンディ沿岸の保留構築をしていた二人だが、ある日、故国へ帰るべくまずシェルブールへ逃亡することを決意、その決行の日、なんと連合軍のノルマンディ上陸に出くわしそのまま、壮絶な戦いの渦中に入ってしまう。

しかし、長谷川はキムに一緒に走って逃げようと提案、爆撃の中一目散に走り始める。しかし、途中で近くに落ちた爆弾で二人は吹き飛ばされ、気がついてみるとなんとキムの胸には血が。余命いくばくもなしと判断したキムは自分の認識票を長谷川に渡す「日本人のままだと殺されるから、今日からキムになれ」と。

連合軍の兵士が二人と取り囲む中、キムは息を引き取り、認識票を受け取りキムとなった長谷川はキムを抱き寄せる。このシーンにもう涙が止まらなかった。

画面は再び冒頭のオリンピック会場。キムとなった長谷川が颯爽と陸上競技場を走り抜けていく。二人が出会った子供時代などがフラッシュバックで写され、暗転、エンドタイトルである。
最後に、この物語は日本、ソ連、ドイツの三つの軍服を着て戦った青年の物語をもとにカン・ジェギュ監督が構成したオリジナルストーリーであることも驚くべきことだと思います。

終盤までめまぐるしい編集で緊張感あふれる展開と壮大な戦闘シーンで見せていたアクションシーンがラストで一気に二人の友情として爆発するエンディングはもうすばらしいのひとことでした。よかった。本当によかったです。