くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「婉という女」「キクとイサム」

婉という女

「婉という女」
大好きな岩下志麻主演の今井正監督作品、女性の性をテーマにした時代劇です。なんといっても岩下志麻の迫力を堪能いたしました。凛としたたたずまいと気品、そして、さりげなく見せる乙女の恥じらい、かつて東映のスタッフたちがデビュー当時の彼女を見てこれからの日本映画を背負ってたつ女優になるといったのは間違いではなかったと思います。

土佐藩の家老であった父野中兼山が死後、政敵によって野中の親族が40年間幽閉される。映画はその幽閉が解かれることになったとして、役人がどしゃ降りの雨の中やってくるところに始まる。土足で上がった役人たちの濡れた足跡が畳に残る演出が、当主によっていかに無造作に二人を裁くかを見事に表現している。そして、それを丁寧にふき取る姉寛の姿にも不気味なほどの憤怒の心がにじみ出ている。

物語がさかのぼり、時に4歳だった次女婉たちが幽閉されるところから映画が始まります。やがて、兄弟たちは徐々に成人となり成熟していく。そこに浮かび上がってくる思春期の性という本能。巻きを割る兄希四郎の筋骨隆々たる背中を執拗にカメラでとらえそれをじっとみつめる婉のショットが熱い。そして心のざわめきが障子に映る竹のシルエットなどで語られていく。

前半部分は幽閉された住まいで、次第に閉塞的に退廃的に崩れていく男と女の心が、じわりじわりと描かれていき、あわや近親相姦の危険までにおわせるくだりが実に冷酷である。ところが父兼山を慕う谷秦山がはるばるたずねてくるようになり、面会はできないものの手紙のやり取りをするようになり徐々に心が救われていく。そしてそんな谷に次第に曳かれていく婉の姿が映されるに及んで物語りは徐々に外の世界へと広がりを見せてきます。

後半、藩主が変わり、谷秦山を敬う藩主が立つと婉たちは幽閉を解かれます。貧しいながらも心根をしっかり持ち生きる婉の姿。彼女にしっかりと使える弾七の姿。そしてことあるごとに谷への想いを胸に秘めて手紙をやり取りする婉の描写にひと時の安らぐシーンが描かれていくのです。強い意志を見せながらも谷への想いを恥らうように見せる岩下志痲の演技が抜群に見事なのはこの部分のくだりです。「世間でうわさになっている」と弾七に諭され、思わず首をうなだれて恥ずかしそうにうつむく岩下志痲のさりげないワンカットのドキッとする初々しさがすばらしかった。

やがて、藩主が再度変わり、谷秦山が今度はかつての婉のように幽閉される。谷の幽閉先に向かう婉の前に、今の藩主の城代たちのかごと出くわす。道を譲れというのを凛として「前家老野中兼山の娘である」と自らの道を突き進む婉のシーンでエンディングになります。

一人の女の半生を描いた実話を元にした作品ですが、実に一本筋が通った骨のある作品に仕上がっていました。見応えのある映画というのはこういうのをいうのでしょうね。満足感に浸れる一本でした

「キクとイサム」
噂通りの傑作でした。なんといってもすばらしいのがそのカメラワークの美しさ。一点にとどまらずに流れるようにストーリーに沿って移動する。そしてその画面の背後に流れるピアノの曲もまたすばらしい。詩編を奏でるように画面を彩り語っていく。

映画が始まると校庭、級友の倍ほどにでかい黒人の少女キクが手鞠歌を歌って鞠で遊んでいます。髪の毛はアフロのようでしかもその体型に見合うほどに力もあり男の子もたじたじ。にもかかわらず、とても優しい少女である。このキャラクターが何ともほのぼのするほどに感情に訴えかけてくる。
鞠をとった男の子を追いかけるキクの姿を移動撮影のカメラが追う。実に美しいファーストシーンです。

キクはまもなく70歳になろうというおばあさんと弟イサムと三人暮らし。キクとイサムの母は彼女らを産んで後死んでしまったらしく、父はアメリカに帰ってしまっていない。田舎の農村で暮らす彼らに村人たちの視線が本当に暖かい。お調子者ではあるが心優しいキクはみんなに慕われ、年老いたおばあちゃんと暮らす姿が何ともいえないほどに叙情たっぷりに描かれる。

一方弟のイサムはまだ幼く、自分が黒人であること、ほかの友達と違うという意味さえも理解できていない。それでもキクを慕い、おばあちゃんを想うかつて日本のどこにでもいた少年なのです。

たわいのない日常の中で描かれるキクたちの姿が時に美しいピアノ曲をバックに語られるところは「禁じられた遊び」のナルシソ・イエペスのギターをバックに流れる詩情豊かな悲しいドラマにどことなく似ている。

おばあさんの悩みは自分が死んだ後の孫たちのことである。
ある日、町の病院へ腰の治療に行ったおばあちゃんはそこで外国人の養子の斡旋をする人がいることを知らされる。そして、おばあちゃんはキクとイサムを養子に出すべく手続きを進め始める。

町に出たときにさりげなくつぶやかれる町の人々の言葉にキクとイサムへの差別意識が描写され、学校で同級生たちにからかわれるシーンなどにも当時、こういった駐留米軍兵士と日本人との間にできた子供たちの存在の現状が語られる。

やがてイサムに養子の話がまとまる。強がりを言ってお婆ちゃんに接するキクの姿が本当に切なくて思わず涙があふれてきました。不貞寝したように囲炉裏の横になるキクの姿にそっと近づくおばあちゃんのショットがたまりません。
アメリカに行くことにはしゃぐイサムでしたが、いざ汽車に乗ると泣きじゃくって行きたくないと叫ぶ。ホームの端まで追いかけるキクの姿にカメラが後ろから捕らえるショットにまたまた涙があふれた。

そしてここから映画は後半にはいりますが、ここから物語の中にアメリカにも存在する黒人差別の問題やキクのようなハーフの子供が生まれた当時の現実に対する社会批判の場面がやや多めに映し出され始める。養子にももらってもらえず、売れ残りだなどとはやされるキク。次第に大人になっていくキクの心の変化と、どうしようもなくなってきて尼寺へ行けと諭すおばあちゃんの姿に次第に物語は前半の叙情的えコミカルな展開からややシリアスに。そして感極まったとき、キクは自らの命を絶とうとし納屋で首をつるが縄が切れてしまう。そこへ駆け寄るおばあちゃんの前で、キクは初潮を迎える。

大人になったキクの前でおばあちゃんはキクに百章を告がせる決心をする。ラストで、学校を休みおばあちゃんとキクが野良姿で明るく歩いていくショットでエンディング。真横の平面でカットし、二人を中央に配置した画面が本当にすがすがしいほどに美しい。二人の未来も見せる一方で、どこか現実問題への含みを持たせたラストシーンは見事でした