くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「顔のないスパイ」「アフロ田中」

顔のないスパイ

「顔のないスパイ」
ミステリーのおもしろさもさることながら、非常に良質な人間ドラマとしても出色の出来映えの秀作でした。特にさりげなくとらえるカメラ映像が美しいし、色彩にこだわった画面づくりも好感、さらに無駄な演出を施さずシャープで切れのいい演出で畳みかけて物語を語っていく演出が見事なのです。監督は「3時10分、決断のとき」の脚本家マイケル・ブラントで、今回初演出です。

映画が始まるとメキシコとアメリカ国境、ロシア人たちが国境から警備兵を殺してアメリカへ。中人になる人物がボズロフスキー(と終盤で明らかになるロシアのスパイ)らである。

そして六ヶ月後、アメリカに冷戦時代に潜入していたカシウスというロシア人スパイがかつて行ったのと同じワイヤーによる殺人で上院議員が殺害される。カシウスは死んだと思われていたためにかつてカシウスを追っていた元CIA捜査官ポールにかつての同僚ハイランド(マーティン・シーン)が捜査を依頼する。相棒に選んだのがFBIの秀才でかつてカシウスの修士論文を書いたことのあるギアリー捜査官。

二人がカシウスを追いつめるべく様々な情報を求めていく。ポールが現役時代に殺したはずのブルータスというスパイが収監されているということで彼に接近、ポールの策略もあり、まんまと脱獄したブルータスをカシウス(実はポール)がワイヤーで殺す。前半でポールがカシウスであることが明らかになるのだが物語はさらに深みのある展開へと進んでいく。この展開が実にスピーディで無駄がないのである。

ポールがカシウスとはわからずギアリー捜査官はカシウス捜査へと迫っていく。その家庭で六ヶ月前にメキシコから潜入したロシア人スパイ集団の中にさつじんマシーンと異名をとるボズロフスキーを見つけたポールは執拗に彼に接近していく。その異常さと次第にポールがカシウスなのではないかと疑い始めたギアリー捜査官は同僚の分析官に知恵を借り、ポールがカシウスであると確信する。

一方、自分の正体がばれたことを感じたポールは妻も子供もいるギアリー捜査官に深入りしないようにうながしていく。一方のギアリー捜査官はカシウス(ポール)の妻と子供がボズロフスキーに殺されたことを知り、ポールの殺人の動機が復讐であると知る。しかし、真相はそれだけではなかった。この二転三転に張り巡らされたミステリーが終盤の見所なのですが、これも見事な構成なのです。

ポールはギアリーが何気なく捨てた新聞のクロスワードパズルから、ギアリーがロシアのスパイであることを見破るのです。なんとギアリーがロシア語を話したりするのは大学で学んだのではなく生まれがロシアであったためであるという細かな前半の伏線にもつながる展開に息を呑んでしまう。

ボズロフスキーを追い詰めたポールの本に駆けつけるギアリー。そしてギアリーはロシアからアメリカに占有するスパイを守るためにFBIに潜入したことを白状する。銃撃戦の末にポールはボズロフスキーを倒すが自分も撃たれてしまう。
かつて同じような境遇で妻と子供を失ったポールはロシアからの償還命令が来ているギアリーに妻と子を捨てずに残れと伝えて死んでいく。だらだらとお涙頂戴シーンなどを描かずに、歯切れよくシーンを入れ替えていくカットつなぎのうまさは名脚本家でもあるこの監督の個性なのかもしれません。

ポールの正体を明らかにせずにボズロフスキーがカシウスの正体だったとハイランドに報告したギアリー。
エピローグ、自宅の前で妻と子供が郵便を取り中に入る様子を見て、ロシアに帰ることをやめ、ポールの勧めどおり家族の元に返っていってエンディングとなる。

出だしのタイトルバックのハイテンポな音楽と映像の見事さ。そして一気に物語りに引きこみ、ひとつのなぞをあっさりと冒頭で暴いたにもかかわらず、それが帰ってサスペンス色を強めていく本編の展開から、人間ドラマへと進む中盤、そして終盤、更なる真相が明らかになってエンディングにいたる脚本構成の組み立てのうまさは絶品で、繰り返し映されるホワイトハウスのモニュメントとアメリカ国旗をアメリカ国家の象徴として描写しながら、いとも簡単にロシアのスパイを潜入させている現実を鋭くえぐっていく奥の深い訴え賭けにも脱帽してしまいます。

娯楽映画の面白さと妙な皮肉交じりの物語が絶妙で、しかも無駄のない編集でどんどん描ききってしまう。秀作という言葉がぴったりの良質のサスペンス映画でした。

アフロ田中
人気コミックの実写映画版でなんと松田翔太がアフロヘアーでおバカなキャラクターである主人公田中を演じるという移植コメディである。
それほどに期待もしていなかったが、全体に、非常にこじんまりとまとまって、もう一歩吹っ切れたらものすごく楽しい映画になっていたような予感がする惜しい映画でした。

原作を読んでいませんが、どちらかというとギャグコミックの部類だと思うのです。だからおもいっきり吹っ切れて「モテキ」のごとく映像として遊んでみればもっと楽しい映画になっていた気がしますが、それにしてもなかなかまじめに作ったというか、時々ほろりとさせるのですが、すぐに引き戻されてしまう。時々笑えそうになるのに、一歩手前で後ろ髪を惹かれるようにまともな世界に引き戻される。そのなんともいえないもどかしさが次々とストーリーを運んでいくという感じですね。

ぶつぶつと心の声でつぶやく松田翔太がなかなか見せてくれるのですが、脇役から浮き出ているところが見られない。すべての登場人物がどんぐりの背比べのように横並びに見えて、主人公田中が浮き上がってこないのでいまひとつストーリーにメリハリが見えないのがなんとも残念。人形のようにかわいらしい佐々木希をヒロインにして演技をさせる等ものすごい冒険を試みているにもかかわらず、演出にいまひとつ冒険がないのは初監督である遠慮でしょうか。

子供のころ、いじめられるのがいやでアフロになり、ノリで高校を中退する主人公ですが、学生時代からの悪友たちとはなんとも心温まる友情を保ている。そしてある日その友人の一人井上から結婚式の招待状が来て、かつての約束で始めての結婚式の招待にはそれぞれが彼女を連れてくることにしていたのを思い出し、探りを入れてみると田中以外はみんな彼女がいる。そこで彼女作りに奮闘する田中をコミカルに描いていくというのが本編になります。

いまどきはやりのCGを使った吹っ飛んだ映像なども登場せず、ひたすら松田翔太のキャラクター頼みのところがちょっと弱いのですが、それでも丁寧に演出しているのか途中で間延びしたりだれたりしないのはこの監督の生真面目さを見せられているようでとっても好感。しかも佐々木希もそれなりに演技をしているし、かわいい。

ラストはなるようになって不思議とハッピーエンドで元の木阿弥へ行くというエンディング。予想はつくもののこれはこれであっさりと終わったので良かったかもしれません。ありきたりの映画ですが、ほんのわずかに羽目をはずせば傑作になった予感の刷る映画でした。