くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「春の山脈」「こころの山脈」「東北の神武たち」

春の山脈

「春の山脈」
東北映画特集の一本でシネヌーヴォーで鑑賞。野村芳太郎監督作品です。

名匠川又昴のカメラが映し出す日本の原風景を描いた水彩画のような景色が実に美しい。
背景に山々が広がる中、汽車がすーっと走り抜けていく。中に主人公友子が東京から故郷の会津若松へ帰ってくるシーンから映画が始まる。この導入部が本当にすばらしいのです。
さりげなく登場人物の境遇とこれから起こる物語の発端を見せる野村芳太郎ストーリーテリングのうまさに頭が下がるのがこの導入部です。

物語は故郷会津若松で繰り広げられる主人公友子とその幼なじみ君子、さらにその周辺の人々と友子の母の若き日の恋、酒造会社の社長粟村の物語などがつづられるほのぼのした人情物語である。
しかし、こんなさりげない物語がさりげないままにしかも最後までぜんぜん飽きさせずに描かれていく。これこそ野村芳太郎の演出手腕のなせる技である。
エピソードの一つ一つが次々と先んじて展開していく小気味良さ、淡い濃淡で映す山間の景色の構図の美しいこと。

ラストもさりげない物語の終演であっさりとバスが走り去って終わる。この締めくくりのうまさ、出だしとエンディングに流す鰐淵晴子の陽気な歌声の効果。これこそ古き日本映画の秀作なのかなぁと感じ入った映画でした。

「心の山脈」
吉村公三郎監督作品です。

産休で三ヶ月のお休みになる先生の代理で、すでに教職を離れていた主人公本間秀代が先生に赴任する。そこで出会った問題児の清との心の交流を中心に描いていくいわゆる学園ドラマと言うべき一本である。

1966年作品だから今から40年以上前の映画ですが、扱うテーマ、起こるべくして起こるエピソードは現代と全く変わらないと言うのは、やはり教育というものの難しさをまざまざと見せつける。

大きく俯瞰でとらえるカメラからゆっくりと古い山間の町中へ進んでいく。民謡が流れ、町の風情を映した後カメラはさらに学校へ。仰々しいほどの導入部ですが、こういうダイナミックな冒頭シーンこそが日本映画の迫力でもあったと思う。

起こる出来事は今更ながらということであるが、主演の山岡久乃さんを始めすべての俳優人がしっかりとしているためにさりげないショットに非常に充実感を生み出す。

「春の山脈」とはまた違った田舎の風景が濃淡をくっきりととらえるカメラでつづられる様がまた一興で楽しめます。

一人の生徒との物語に終始するのでやや奥行きが足りないといえなくもないのですが、教室で秀代先生のことを議論する先生たちの背後にさりげなく童謡がかぶってくるといった見事な演出に舌を巻く。吉村公三郎の真骨頂といえる見事な映像演出である。

物語は三ヶ月の代理を追え、自分の送別会へと廊下を歩いて去っていく秀代先生のショットでエンディング。清との最後の出会いも含め、ほんのひとときの学校ドラマとはいえ、当時どんどん教育現場が変わりつつあった現状を見事にとらえた脚本はすばらしい。

今の映画のように安易にとらえる横長のシーンではなく一つ一つに丁寧にこだわりながら作り上げていく本物の映画人の心意気が見え隠れする秀作だったと思います。

「東北の神武たち」
市川崑監督作品で、東京のフィルムセンター所蔵のレア映画です。

1時間足らずの作品で、「楢山節考」の原作者による民話的な物語である。
東北の田舎ではかつて家を継ぐのは長男だけで、次男以降はヤッコと呼ばれ結婚することもかなわずひたすら奉公人のように田畑を耕すだけの生活を強いられた。長男と見分けるために髭を剃ることも許されず、いわば乞食のような風体だったというお話である。

舞台演劇をそのままロケーションで撮影したような映像演出で展開していくが、市川崑らしい映像テクニックは目立たず、解説がなかったら彼の映画とも気がつかないような一品でした。

映画が始まり、主人公の利助が向こうから乞食のような風体でやってくる。パッと画面が変わるとヤッコたちが山肌にたっている。どこかコミカルなシーンでこの映画は始まる。

妻をめとることもできない彼らヤッコたちの悲劇的な話なのだが、なんとも非現実的なファンタジーであって、ちょっと滑稽でさえもあるという不思議な感覚を体験する映画です。

ラスト、女だけの村に旅立っていく利助のショットで、彼方に絵で描いたような月がどーんとあがってきて、セットの彼方へ去っていく。

待てど暮らせどヤッコ仲間のところへは帰ってこないというせりふが流れて映画が終わるというなんともいえない映画でした。

隠れた傑作という解説ですが、お世辞にも名作とはいえない珍品に近い一本でした。正直、これが90分もあったら寝ていたかもしれない。でもこれで市川崑作品として一本埋めることができたのだから映画ファンとしての満足感で締めくくりたいと思います。