くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「マリリン 7日間の恋」「胎児が密猟する時」「性遊戯」

マリリン 7日間の恋

「マリリン 7日間の恋」
サイモン・カーティス監督長編デビュー作である。

コリン・クラークはイギリスの名家の三男で、映画関係の仕事に就きたくて、ローレンス・オリビエの事務所に熱意で入り、ローレンス・オリビエが手がける次の映画の第三助監督につく。オリビエに招かれた世界的な女優マリリン・モンローとコリン・クラークとの物語をつづった7日間の実話の映画化作品で、いわゆる裏話的なものです。

なんといっても、今や伝説の女優マリリン・モンローを演じるミシェル・ウィリアムスの演技でしょう。天才的な演技力を持ちながら、一方でセックスシンボルのような扱いしかされず、天才故の奇行かそれとも追いつめられての衝動かその微妙なバランスで行動する生身のモンローをミシェル・ウィリアムスは見事に演じきっていました。アカデミー賞ノミネートは納得の演技だったと思います。

物語は「ローマの休日」的な構成で進みます。雲上の人のような大女優と仕事ができることになる雑用係に近いコリン・クラークはなぜか、彼女に気に入られ、ことあるごとに呼びつけられる。自由奔放で平気でその裸体を見せるモンローにドギマギしながらもその純粋な心に曳かれていくコリン。

ただのお遊びかと思われながらも次第にモンローに曳かれていくコリンの姿が物語の中心ですが、画面の演出に独特の物はなく、細かいカットをつなぎ併せて緊迫感のある展開を試みたサイモン・カーティス監督の意図は見事に成功していると思います。時折、マリリン・モンロー独特のアングルとショットがわざとらしく挿入されますが、これはまたこれで実話ゆえに仕方のないことでしょう。

コリンが実際に声をかけて口説く衣装部の女性に大好きなエマ・ワトソンが扮していますが、めがねをかけていて気がつかなかった。

映画ファン、特に往年の映画ファンには実在の人物がどんどんでてくるので、違和感に縛られてそれが足かせになるかもしれませんね。ヴィヴィアン・リーやローレンス・オリビエさえまさに雲上の人なのですから、実物との乖離にちょっと戸惑う人もいるかもしれません。私は演技の付き人できたポーラ・ストラスバーグも気になりました。つまりあのリー・ストラスバーグの妻で夫は現代の俳優の演技手法の基本になっているメソッド理論を広めた人です。1950年代の俳優さんの演技やせりふ回しと現代の俳優さんのそれが違うのはこのメソッド理論が今の演技の基本になっているからです。

まぁそんなことはともかく、7日間の撮影が終わり、一旦は別れを告げたマリリンは1人バーで飲んでいるコリンのところへ立ち寄り旅立つについての別れを言いにくる。このシーンが実に映画的でいいですね。このシーンで、この作品があくまで商業映画なのだと納得します。

そして、その後の彼らをテロップで流してエンディング。

カリスマ的な存在感と、そして天才的な演技力故に常軌を逸した行動ばかりが目立つマリリン・モンローですが、彼女の映画を見れば彼女がいかにすばらしい演技者であったかは誰もが知るところです。その人並みはずれた才能が生み出す常人には計り知れない悩みの数々を裏話として描いたこの作品には十分な意味があると思うし、そんな彼女を見事にスクリーンに演じきったミシェル・ウィリアムスに拍手したいです。

ローレンス・オリビエがどこか凡人の俗物のように描かれているのがちょっと気になりますが、実際の彼はレストランのメニューを読み上げるだけで友人たちを涙ぐませるほど感動させたという逸話もあるほどの才人であったことを考えると、これもまたフィクションのなせる設定かと納得したりします。

「胎児が密猟する時」
キャタピラー」の若松孝二監督作品で、カルトムービーと呼ばれる一本である。ヨーロッパ等では上映禁止になったという曰く付きの映画なので、みてみました。

物語は実に単純。登場人物は男と女の二人だけで、どうやら男(山谷初男)はデパートを経営する会社の専務らしいし、女(志摩みはる)はその従業員らしい。激しい雨のシーンから車の中で二人が抱き合っているところから映画が始まる。

続きは男のマンションでということになり、二人はマンションへ。しかし、男は女に睡眠薬を飲ませ、朦朧としたところに鞭をふるう。どうやらこの女は別れた妻にそっくりということで、子供がほしいという妻と意見の対立で分かれたという過去があるようである。

男はいわゆる妾の子供で、人からさげすまれ、どうして自分が生まれたか、どうして母が自分を生んだのかが未だにわからない。つまり題名にうたわれる胎児とはこの男のことなのだ。

この男は女を縛り自分の飼い犬のような行動を強いるのであるが、いわゆるピンク映画でいうSM物とはちょっと違う。男のトラウマが女に向けられるが、些細な部分でこの女に妻、あるいは母をみている。自分を包んでほしいという願望と裏腹に女をむち打つ残酷さを示すイメージで、極端なクローズアップと横長の画面の一部にあてたスポットライトなどのライティングにどこか女性の恥部をも暗示させる視点はある意味グロテスクでさえもある。

男はこの世に生まれたことが憎く、母の体内で平穏に生きながらえたかったというせりふがでてくる。生まれさせたことに対し女を憎んでいるのか、そのあたりのメッセージは明瞭にならないもののイメージとしてバイタリティあふれる迫力の映像とカットでぐいぐいと描写する若松監督の演出に息をのむ。

結局、ナイフを手に入れた女は男を刺し殺し、血塗れにして脱出して終わるが、男が血塗れで横たわるショットはどこか生まれたばかりの胎児のごとくである。

まさに、カルトと呼べる一本であるが、その演出力の秀でているのは納得の一本でした。

「性遊戯」
先日足立正生の「銀河系」というシュールな映画を見たが、ピンク映画も一本見ておくべきかと見て来ました。

当時ではピンク映画だったでしょうが、今となっては普通のレベルのSEX描写です。

二人の女性と三人の男性の若者が戯れているのが横長の画面いっぱいに写って映画が始まります。SEXにおける強姦とはいかなる物かと蘊蓄をたれるせりふが被さりタイトル。そして三人の男は町へでていきます。

学生運動まっただ中の大学へやってきた三人は1人の運動家のような女学生を見つけ車に拉致して学校内の寂れたホールへ。そこで行為に及ぶ。

この女学生タエ子は彼らと別れて去っていくのですが、気になった1人健が後を追って彼女の家に。彼女の兄は火炎ビンのような爆弾を作っていたりする。彼女は妊娠していて、どうやら学生運動の仲間のだれかが父親らしい。その父親を突き止めるべく四人の男子学生を呼ぶ。ここで突然カラーになる。

結局、四人は逃げだし、タエ子の兄が作っていた爆弾を爆発させてしまう。そして再び冒頭のシーンのようになって、タエ子の子供の父親は兄だったというナレーションのあと、車道に下着姿で走り出る若者たちのシーンでエンディング。

学生運動家たちがSEXでつながっているという皮肉も見え隠れし、国内の学生運動への風刺を思わせるような監督のメッセージが見えなくもない作品ですが、どこか一本筋の通っている足立正生の作風の一端をみたような気がしました。