くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「自由学校」(渋谷実監督)「チャッカリ夫人とウッカリ夫人

自由学校

「自由学校」
笑いの大傑作。ポンポンと弾むように展開される物語、シーン展開、せりふの応酬に画面の中に引き込まれてしまいます。
ホームコメディなのですが、どこか現実離れし、舞台劇を見ているようなおもしろさも随所に盛り込まれている。その軽快感が独特のオリジナリティを作品に生み出していくのです。

渋み俳優の佐分利信に出来の悪いぐうたら亭主役をやらせたり、笠智衆に椅子や机を投げたりして大暴れさせてみたりと、役者の個性を渋谷実監督なりに引き出した演出がとにかくおもしろい。

映画が始まると佐分利信扮する五百助が「自由・・」とつぶやいている。パッと画面が変わると高峰美枝子扮する駒子が画面に向かって「ふん」といって、向こうにダンスをする二人がいてタイトル。この導入部にドキッとさせられる。

クレジットが終わると五百助がパジャマで縁側に寝そべっていて、ミシン掛けをしながら駒子の機関銃のようなせりふが被さる。駒子は窓辺でミシンをかけている。正面に二つ並ぶ構図が斬新。業を煮やした駒子が五百助をつかむと五百助は宙に浮く。このシーンだけで、この映画がただものではないと伝わってきます。

これ以上早口はないというほどに言い合いをした後、五百助が勝手に自由のために会社を辞めたのだと白状する。さんざんの末にに駒子は五百助を追い出すところから物語が始まります。

ぼそぼそとしゃべりながら行くところのない五百助は浮浪者の仲間になる。一方の駒子は叔父さんのところへいって相談するが、そこへ甥の文が言い寄ってきたり、文の許嫁のモダンガールユリ(淡島千影)が絡んできたり、妻子のある男が言い寄ってきたりと、あれよあれよとばかりにストーリーが展開。仰々しいほどに派手でコミカルかつユーモア満点の演出が施される映像がとにかく楽しい。

舞台劇のような大げさな身振り手振りや濃い化粧でおかまのように振る舞う文のこうどうも楽しいが、モテモテになる駒子の姿もまた高峰美枝子のキャラクターからかけ離れたイメージが楽しい。

淡島千影は例によってモダンでしっかり者の女の子役で、派手な洋服に身を包んで飛び回る姿は爽快感そのもの。

浮浪者になった五百助は吸い殻を拾ってみたり、妙な仲間に引き込まれて訳の分からないままに警察に捕まってしまったりもする。ホームレスの集合住宅にもこの五百助に思いを寄せてくる女がいたりと、ここにも自由がない束縛が浮き上がってくる。

結局、駒子と五百助はすったもんだの果てにもう一度一緒に暮らすことになる。留置所からもどった五百助が駒子が開ける雨戸の音に留置所の鉄格子をかぶらせて、もう一度浮浪者に戻ると言い出すが、駒子が泣いてすがって、丸く収まり、以後、駒子が仕事にでて、五百助が主夫になるというエンディング。

笠智衆が暴れる場面が外は台風のように風が吹いている状況になったり、遊び感も満点の映像で、とにかく楽しかった。

当時、大映でも吉村公三郎が競作をした題材で、今回みたのは松竹の渋谷実監督版です。吉村公三郎版の脚本は新藤兼人でもあり、そちらも是非みてみたいです。

「チャッカリ夫人とウッカリ夫人 夫婦御円満の巻」
人気ラジオドラマを映画化した作品。四駒マンガのようなエピソードが次々と展開していく軽いタッチのコメディです。名字がチャッカリとウッカリというまさに「サザエさん」ワールドです。

お向かい同士のチャッカリさんとウッカリさんの夫婦が巻き起こすコミカルな日常ドラマに何の変哲もないし、なんの芸術性もあるわけではありませんが、とにかく楽しい。

次々と起こるエピソードについつい一緒になって笑っている。昔の映画館はこんな笑いに満ちていたんじゃないかと思うと、映画黄金期にタイムスリップしたような錯覚にさえ陥ってしまいます。そこには映像がどうとか、脚本がどうとかいう屁理屈など存在せず、ひたすら一緒にみているお客さん同士がスクリーンの中でどたばたするユーモア満点のお話に共感し、笑っている。こんなひととき、そう何度も体験できるものではないし、今のシネコンでは絶対に味わえない懐かしいムードでした。

脚本は笠原良三なので、この軽快なテンポは脚本のさせる技なのかもしれませんが、そんなことは完全に頭から離れて、スクリーンの中で展開する楽しいひとときのドラマに終始にこにこしていられました。映画を見ていて本当によかったなぁと思えるような楽しいひとときをすごせました。