くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「早春」「テイク・シェルター」

早春

「早春」
二時間を超える大作で、しかも物語は昭和30年代のサラリーマンの姿を淡々と描くだけのたわいのないお話である。にもかかわらず、全く退屈しない。これが小津安二郎の神髄である。

小津安二郎といえばフィックスで構えたカメラでローアングルでとらえる構図が最大の特徴ですが、さらにイマジナリーラインを無視した対話のカットの繰り返しとワンテンポずらした編集で見せる天賦の才能が生み出す映像リズムにあります。久しぶりに小津安二郎作品を見ましたが、やはりそのあたりの見事さは凡人ではまねのできない魅力でした。

タイトルが終わると、目覚ましが鳴って主人公正二(池部良)と妻昌子(淡島千景)の寝床のシーンから始まります。昭和30年代、高度経済成長まっただ中のサラリーマンの日常から物語がスタート。満員電車に揺られ、デスクワークをこなし、同僚と雑談をする。家では妻が食事を作り、近所づきあいをし、実家の母とたわいのない会話をする。

会社でのデスクワークのシーンの合間に廊下をゆっくりとカメラが進むシーンが挿入され、どこか寂しげなムードを生み出していく。また、人物が消えた後に残る無人のシーンも時折挿入され、独特の余韻を映像の中に生み出す。背後にささやくような音量で挿入される音楽の効果。まさに小津監督でしかなしえない感性が生み出すテンポです。

会社の同僚との気さくなピクニックシーンから、今回の物語の中心的な、そして最大の出来事である正二と千代(岸恵子)とのつかの間のアバンチュールへとストーリーが展開していく様は一見さりげなくシンプルな画面なのに今思い出すと非常に劇的なリズムが作り出されていることに気がつきます。シンプルでシンメトリーな構図の合間に加えられる斜のカットや対話の変化に事件の予感を生み出していく演出は本当に天才的といわざるを得ません。

でてくる俳優たちも豪華絢爛で、誰をとっても主役を演じられる名優たちがほんの些細なカットに目白押しにでてくるのは本当にうれしくなってしまいます。

正二の同僚の死、かつての戦友たちのと交遊、転勤というサラリーマンの悲哀などのエピソードが次々と写され、昌子と正二の夫婦の確執がさりげない波風を立てながらクライマックスへ進んでいく。

三石へ一人旅だった正二が家に帰ってみると追いかけてきた昌子が待っている。もう一度最初から始めようとさらりと言葉を交わして映画は終わります。東京へ向かう汽車が彼方に走り去っていくエンドタイトル。これが小津安二郎の世界ですね。

本当にたわいのない物語ですが、これ見よがしの映像テクニックを駆使するとかではなく、凡人が気づかないようなさりげないカットの連続で卓越した感性でカメラ演出し、俳優演出し、シーンを組み立てていく。唯一無二の小津安二郎演出の極みが様々なところに見え隠れする一品で、その完成度の高さに有無をいわせられない迫力を感じる一本でした。良かった。

テイク・シェルター
カンヌ映画祭批評家週間連盟賞などを受賞した話題作です。

不気味な雲が空を覆っている。それを見上げる主人公のカーティス。激しい雨が降ってくるが、その雨はオイルのような色と粘り気を含んでいる。一見、スペクタクル映画のようなファーストシーンですが、非常にシリアスな心理ドラマなのです。

主人公カーティスは愛する妻サマンサ、耳の不自由なハンナと三人暮らし。勤め先もしっかりしていてふつうの生活をしているが、最近、不気味な悪夢に目を覚ますようになる。

巨大な嵐が襲ってくる夢を見たり、その中で暴漢がおそってきてハンナを連れ去ったり、飼い犬にかまれて負傷したり。そのすべての原因が巨大な嵐だと思ったカーティスは庭にあるシェルターを改造する事に着手する。

何万羽という鳥が空に舞い上がったり、不気味な空が画面の三分の二を覆っていたりと非常に視覚的な表現を多用してカーティスの心理状態を描写していく。

カーティスの行動に周囲は異常な目で見るが、カーティスの母は30歳の時の統合失語症になり、以来施設で過ごしている。自分もそうなるのではという不安も重なって自分を見失っていくカーティスの狂気が圧倒的なビジュアル表現で描かれていく。

極限にきたカーティスの言動は、やがて会社を首になり、親友も離れていく。しかしサマンサは彼を支えようと決心する。そんなある夜、嵐が近づいた警報で家族はカーティスが作ったシェルターへ。

一夜の後、嵐が去ったことを確認したサマンサはシェルターの鍵を開けるようにカーティスにいう。この鍵を開けることがカーティスの心を開くことだと諭す。つまり、ここまでの話はカーティスの精神的な狂気がもたらしたもので、このシェルターに一緒に入り、カーティスが感じる嵐への恐怖を取り除くことが治療だと判断したという展開なのです。

無事、外にでたカーティスたち。精神科の医師の前で今後の治療を相談し、カーティスたちはビーチへ小旅行に行く。これでハッピーエンド?と思われたとき、浜辺でハンナは海の彼方に迫る巨大な嵐を指さす。サマンサが外にでるとオイルのような雨が。黙ってカーティスにうなずくサマンサのショットでエンディング。はたして、カーティスは病気でも何でもなかったのか?それとも、これもまたカーティスの悪夢か?現実と幻覚が入り交じるような不思議な感覚で締めくくられる作品。

一概に優れているとかどうとか評価しにくい映画ですが、作品全体に不可思議なムードが漂います。カーティスの母親の設定、娘ハンナがなぜ耳が聞こえないという設定なのか?様々な謎がどういう伏線なのか考え出すとめくるめく迷走世界に入り込んでしまう。そんな一本でした。