くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「裸の島」「ハングリー・ラビット」

裸の島

「裸の島」
もう、この映画は本当に良かったなぁ。叙情豊かに描かれるどこか懐かしいけれど、どこか後ずさりできないほどの厳しさを交えた家族の物語。

新藤兼人監督の代表作。全編、登場人物にせりふがないというので有名な映像詩である。たった二言、子供が鯛を釣り上げ喜ぶ場面の笑い声、長男が死んだときの母の泣く声のみが登場人物のせりふ?として発せられる。しかも、太陽を水面に照り返す光が顔に揺れる場面の美しさ。彼方の島に点々と明かりが映る冒頭の夜明け前の美しさ。俯瞰で人物を見上げたときに背後に広がる空の雲のショットに見せる自然の大きさ。映像の極みと呼ぶべき徹底した演出スタイルに終始息をのんでしまいました。

俯瞰でゆっくりと瀬戸内海の孤島をカメラがとらえていきます。水際からその頂上まで美しく耕された姿。しかし、そこにすむのは一組の夫婦と二人の男の子だけ。夜明け前、ゆっくりと船がフレームインしてくる。飲み水も農業用の水もないこの島では夫婦で向かいの大きな島まで水をくみにいかなければいけない。

夜明けとともに島に戻り、田と水瓶に水を注ぎ、子供たちと朝食をして長男を向かいの島の学校へ船でつれていく。もちろんそのついでにまた水をくんでくる。今にも滑り落ちそうな斜面を黙々とタゴを担いで上る母、乙羽信子と父、殿山泰司。一歩一歩進むたびに水の重みが肩に掛かる姿がこちらまで肩が凝るような思いになる。

ある時、母が水をひっくり返す。駆け寄る父がいきなり母をビンタする。最初のドキッとするシーンだが、一杯のタゴの水さえも貴重な家族にとってはそれほどのものなのである。

ある日、子供が鯛をつり上げる。喜ぶ父。ここで初めて笑い声のようなせりふが発せられる。そして家族はその魚を食べるのかと思いきや町へ売りに行くのだ。この鯛を日用品に変えるべく家族で出かける姿がほほえましいというよりつかの間のひとときのようにみえる。町で売っているテレビに釘付けになる子供たちの姿。それほど昔の物語ではないのだとこのワンショットで語ってくれる。

食堂に入り、ロープーウェイに乗り、ささやかな家族の休日を満喫する。

夏が終わり、秋がきて、冬がきて、また春がくる。

この季節の移り変わりのシーンは実にさりげなく、作品全体に非常に短く取り込まれている。この家族には時の流れはそれほどに早く、ほんのひとときも無駄にできないのだと身につまされるシーンである。作品のリズムというのはこういうシーンの長短の見事なコラボレーションが生み出してくるのである。

ある日、長男が急病になり、父が必死で医者を連れてくるも間に合わない。思わず嗚咽する母の声。そして、学校の友達がやってきてささやかな葬儀。このあたりから涙が止まらずに、ハンカチをはなせませんでした。淡々と描かれる詩的なくらいに美しいシーンの連続の中に見られる生きることの厳しさ。その結果の悲劇が何ともいえない悲しさを呼び起こしたのでしょうか。

葬儀の夜、向かいの島では夏祭りでしょうか花火があがる。それをじっと見つめる母の姿。

そして再び水をくむ夫婦。田圃についてタゴをおろした母は突然水をひっくり返し、作物を引き抜き、地面にうつ伏せて泣きじゃくる。それをじっと見つめる父。やがて、母は立ち上がり父に視線を送ってまた黙々と水をまく。この家族に感傷に浸る暇はない。それでも生きていかなければいけない現実がある。カメラはそんな二人をゆっくりと俯瞰でとらえ、やがてファーストシーンと逆にゆっくりと島をとらえながらカメラが引いていってエンディング。

劇的な物語など全くない。ただ孤島で厳しい自然に刃向かうように黙々と生活をする姿を描いていく。差し込む太陽が照らし出す光はそのまま自然の厳しさを訴えかけ、大きく広がり向かいの島とを隔てる海、彼方に広がる空は自然の大きさを伝えてくれる。叙情的なカメラがその優しさとは裏腹に見せるどうしようもない厳しさ。そこで、淡々と日々を暮らす家族には将来の夢とかそんな生やさしいものはないかもしれない。ただ、日々をつつがなく暮らすことだけ。ただそれだけしか考えられない厳しさをこんなにも美しい映像で見せてくれた新藤兼人監督の手腕というのは並ではないなと思う。

これは傑作とか名作とかいうありきたりの表現で語れない一つの映像の到達点ではないかと思います。これもまた映画。本当に映画ってすばらしいなと思える一本に出会った気がしました。

「ハングリー・ラビット」
細かいカットとシーンを畳みかけるようにつなぎあわせて緊張感あふれる展開で描くサスペンス映画の秀作。とにかく、映画が始まってからエンディングまで全く退屈しないとってもおもしろい一本でした。

何かのインタビューを受けている男を隠しカメラでとらえる映像から映画が始まる。「空腹の兎が跳ぶ」という合い言葉の意味を追求されて言葉に詰まり、次のシーンでその男は屋上の駐車場から車ごと落とされて殺されてタイトル。

場面は変わって、主人公で高校の教師のウィル、妻との結婚記念日に食事にきている。そしてプレゼントのネックレスを渡す。シーンが変わるとウィルが友達とチェスをしている。このシーンに被さって、チェロ奏者である妻はいつものように練習している。カットが繰り返され、妻ローラが一人帰途へ。車に乗ったところで何者かが襲ってきて・・・。携帯を切っていたウィルが帰り道携帯に不在着信を発見。妻の病院へ。変わり果てた妻の姿にロビーで悲嘆にくれているところへ一人の男サイモンが近づいてくる。

こうして物語がどんどん先へ進んでいきます。ヒッチコックが「見知らぬ乗客」で描いた交換殺人の拡大版のような展開。一度はためらったウィルだが妻の姿が目に浮かび、その男に復讐を依頼。まもなくして、撃ち殺されたレイプ犯の写真が届く。そして半年後。

あれよあれよと物語がスピーディに展開していく。そして、ウィルの元にある男を始末してほしいと依頼がくる。その男は幼児猥褻画像などの容疑のある男だというが、実はサイモンが関わる私警察の組織が暴走を始めていて、サイモンの支部は自分の気に入らない人間さえ抹殺している現実を追求していた記者だった。と展開していく。

ウィルはその記者殺しの容疑で逮捕されるが、そこの警部補に助けられ、ウィルは単独で記者がつかんだ真相のDVDを入手する。そしてサイモンとの一騎打ちへと物語が進んでいくが、実はこの私警察の組織のメンバーには友人もかかわっていたりする。

そして、無事サイモンを倒し、その隠蔽さえも警部補が飼ってでて、ウィルは無事元の生活へ。そして記者が探った真相を明らかにすべく新聞社にとどけにいくが、そこで受け取った新聞社の男は別れ際「空腹の兎が跳んだ」と合い言葉をウィルに投げて映画が終わる。

めまぐるしいほどハイスピードなストーリー展開。細やかに張り巡らされた複線と小道具に一時も気を抜けないほどに緻密なのだが、肩が凝らないほどに分かりやすい演出になっている。画面からストレートに物語を理解できるし、とにかく単純におもしろいのである。それがこの映画の最大の利点ではないだろうか。ただ、最初から同じテンポで繰り返されるので、ストーリーはどんどん先に進んでいるとはいええいぞうのリズムが変わらないために、悪くいうと単調であるといえなくもない。そこが非常に残念ですが、そんなことはさておいてもとにかくおもしろい映画でした。