「キリマンジャロの雪」
国柄によるものか、人間の道徳感の違いによるものか、根本的な何かが違う。その底辺にあるものを受け入れられないとこの映画を全く受け入れられず拒否してしまう人もいるのではないだろうか。そんな作品に出会いました。ただ、映画としては実によくできた秀作です。
組合の幹部でもある主人公のミシェルは弟の同じく幹部のラウルとリストラのくじを引いているシーンから映画が始まる。そして自らもその名前に入れたためにミシェル本人も解雇され、立場上逃れることができたのにとラウルに非難される。
妻のマリ=クレールはそんな夫を受け入れる。そしてミシェルは自分が解雇した同僚たちを呼んでパーティーを企画、その席で結婚20年目のお祝いに子供たちから多額のお金と旅行券をプレゼントされる。
ところが、ある日ラウル夫婦とカードをしているときに強盗に入られ旅行の金とチケットほかを盗まれる。妹のドウリーアはそのせいで外にもでられなくなる。
ところがそのときにたまたまミシェルがもらった貴重なマンガ本を盗んでいったことから、犯人の子供がバスの中で読んでいるのを見つけたミシェルは犯人が自分が解雇した同僚の若者と判明、警察に密告し逮捕してもらう。
こうしてこの作品の物語が始まる。逮捕させたものの、幼い子供たちを養う若者の姿を身るに付け次第に後ろめたさを感じていくミシェルたちだが、一方のラウルたちはその心の傷から犯人を許せない。一方の犯人の若者もこうなったのはミシェルたちがもっと親身に考えなかったためだとののしる。この犯人の態度が最初はとにかく許せない。
罪を憎んで人を憎まずというが、ここに道徳感の根本的な違いがある。理由は何であれ、間違った行動には素直にまず反省すべきという考えがこのあたりの展開に全くないのである。そしてミシェルはことあるごとに若者に会おうとし、マリ=クレールは家を訪ねて子供たちの面倒を見始める。このあたりは明らかに偽善のなせる行動に見てくるとこの映画は全く受け入れられない。
そして、とうとうミシェルたちはその子供を養子にして若者が出所してくるまで待つことにするのだ。子供たちは反対するが、みんなで食事をする席にラウルたちもやってきてすべてを受け入れることにして抱き合ってエンディング。
リストラの事件の発端から強盗事件へと物語が流れ、同僚に裏切られたというやるせない展開から、次第に物事の本質は何だったのかとテーマが徐々に方向転換していくストーリー構成の見事さは絶品である。そして、結局ミシェルたちの自己満足のような結論で締めくくるが、そこでもう一度この映画を振り返り、なにを訴えたかったか?観客になにを考えてほしかったのかを回顧させる。非常に優れた脚本に二の句もないのであるが、よく考えると、あの若者の身勝手さ、若者の妻の身勝手さの問題には結局ふれずに終わる。そこがどうも納得のいかない部分でもある。
映画としては見事な作品ですが、素直に受け入れられないものがあることも事実。正直、私は好きな映画とはいえません。ラストのミシェルたちの笑顔は虫ずが走りますね。
「星の旅人たち」
俳優のエミリオ・エステベスが監督をしたいわゆるロードムービーである。地平線を画面の下部に配置した構図を多用した画面がとっても美しくしかも雄大で広い。そこへ丁寧に流れるカメラワークが非常にまじめな画面を作り出していきます。
妻を亡くした主人公のトムはある日サンティアゴへ巡礼の旅にでていた息子が事故でなくなった知らせを受ける。トムは息子の意志を継ぐために息子の違灰をもって巡礼の旅にでる。そしていく先々で違灰を残していくのである。途中で知り合った男二人と女性一人とともに様々な人に出会い、様々な地方を訪ねて様々な風習に出会う。これという劇的な物語も展開するわけではないのですが、冒頭にも書いたように画面がとにかく雄大で美しい。
豪華ホテルに泊まってみたり、不気味な宿に出くわしたり、野宿したり、リュックを川に落として危うく流されるところを拾い上げたり、ジプシーの子供にリュックをとられ、取り戻したもののジプシーたちに招待されてジプシーの本当の姿を見せられたりする。
目的地に着いて四人がジプシーに勧められた湾へトムが持参した違灰を蒔き、それぞれの故郷に一人また一人と去っていくエンディングがとにかく胸を打つ感動を呼びます。
たわいのない映画なのにストレートに心に届くなにか不思議な声のような感動。とってもいい映画でした。ただ、せっかくの雄大な画面がミニシアターでは物足りなくて、もう少し大きな劇場で見たかったかなと思います。