「リア王」
いうまでもなくシェークスピア四大悲劇の一作。黒澤明が「乱」で描いた物語を真正面から映像として取り組んだ傑作である。という解説の元に鑑賞したが、なるほど、これは見事な一本だった。
比喩に富んだシェークスピアのせりふの数々が重厚で完成された映像とダイナミックなカメラ演出で一つの芸術作品として昇華された作品でした。
冒頭の、城に群がってくる人々の群のショットから、リア王が娘たちにその領地を分け与えようとするが一人末娘が反抗する下り。そして娘たちの虐待から逃れるように荒野にさまよいでるリア王が直面する激しい嵐のショットから人々の苦しみを身を持って感じるシーン。そして末娘に出会い、再び戦いをもくろむも、末娘を殺され、自分も悲しみの中、死を受け入れてしまうラストシーンまで、広大なシベリアの大地と厳しい自然のショットを効果的にこのシェークスピア劇の怒濤の物語に利用した作品づくりはただただ頭が下がる。
ソビエト映画でしかなしえない完成度の高いシェークスピア劇映画だった気がしました。
とはいえ、さすがに内容が重苦しいので前半はかなり疲労感があります。物語を知っているのでついていけるとはいえ、全く知らなければかなりのストレス。それもどのシーンも見事に芸術的であるためにさらにどっしりと覆い被さってくるイメージがある。
見終わって、ほっとするほどの緊張感が2時間あまりの物語に込められている。見応えのある映画ですが、一度ではそのすばらしさを理解し得たとはいえず、もう一度ゆっくりと鑑賞したくなる映画でした。
「若き作曲家の旅」
のどかで素朴な叙情的な景色を背景に一人の若者が純粋な研究のために民謡を集めるという旅にでる。その姿の中に、グルジアという国の弾圧的な世情を描くという有る意味とってもシリアスな作品でした。
主人公の若き学生ニコが恩師である教授からの紹介状をもらう下りから映画が始まる。首都を離れて田舎町を進むニコの馬車のそばに一人の男レコが倒れているのを発見、その男を連れて最初の紹介先の医師のところへやってくる。
純粋な探求心のニコはレコの案内であちこちを回り始めるが、なぜかレコはニコのことを革命家の密命を帯びた青年だと勘違いしてみなに紹介してまわるのだ。粗野で豪快なレコの勘違いに最初はつきあっていたものの、どこか危険な空気を感じたニコは一刻も早く町に帰ろうとする。
落ち着いた色彩のどかな田園景色が描かれ、素朴な家々が映されるシーンは非常に美しく静かな映像である。しかしクライマックス、キリストの祭りの時に突然火事が起こり物語は一転。ニコたちは官憲に逮捕され反乱分子として処刑されることになる。たまたま捕まった男たちの中に官憲と同級生がいたために自分を助ける代わりにニコを助けてくれと懇願、なんとかニコだけは助かったものの、急展開するストーリーにあれよあれよという間にラストの処刑シーンへ。人数合わせで通りすがりの男まで連れていかれて銃殺されるエンディングには衝撃であった。
グルジアという国の歴史はほとんど知らないが、平凡な若者の物語として始まった導入部から、次第に緊張感を帯び、政治的な展開でエンディングを迎えるこの作品の持つ美しくも不穏なムードは何だろうと思う。優れた映画ではあるけれども、これもまた重いテーマに終わった一本でした。
「秋のマラソン」
フランシス・コッポラが絶賛したというだけあって、とっても小しゃれた楽しい秀作でした。日本未公開である。
映画が始まると窓から通りを見下ろすショット、ピントが移ると窓辺においた花、タイプを打つ女性アーラ、傍らで翻訳文を語る主人公のアンドレイのショットになる。そして、アンドレイの愛人アーラがアンドレイに抱きついて「子供がほしい・・」と甘えて軽い音楽とともにタイトル。このファーストシーンがとってもリズミカルである。
画面は地下鉄に乗るアンドレイのシーンになる。アンドレイにはニーナという妻がいて、レーナという娘もいる。時々同じ翻訳をするデンマークの学者ビルがやってきて二人でジョギングをする。これがつまり「秋のマラソン」なのだろう。
軽いタッチで始まるラブコメディで、妻に悟られないように四苦八苦するアンドレイのコミカルな姿と、アーラとの関係を壊したくない身勝手なアンドレイの姿が交互に語られ、それが少しずつほころんでどんどん物語が複雑になっていく下りの楽しくも風刺の効いた展開が見事。
アンドレイはアラームのなる時計をつけていて、大学教授でもある彼はあちこちの予定が目白押し。さらにそこに家族の中の約束が絡んできて、その中にアーラとの密会、好きな翻訳の仕事、さらにニーナとの家庭が絡んでくる。時折やってくるビルの存在がスパイスになって、ちょっとコケティッシュでチャーミングなアーラの存在感がストーリーを語っていく下りも楽しい。
アーラのそばにすむ祖父と名乗るおじいさんのキャラクターやアンドレイのお隣さんの飲んだくれのおじさんなどのエピソードがアンドレイの生活に絡んでくるとさらにものあたりは複雑になり右往左往するアンドレイのコミカル行動がほほえましくもまたどんどんエスカレートしてくる。
そして、娘夫婦が遠方へ赴任することになり、それを機会にアンドレイの愛人の存在違を疑っていたニーナがアンドレイに愛想を尽かし去っていき、つじつま合わせで時間がくめなくなりなかなか会ってもらえなくなったアーラも去っていく。希望していた本の翻訳もかつての弟子にとられ、踏んだり蹴ったりのクライマックス。
ひとりぼっちになって自暴自棄になって部屋に戻るアンドレイのシーンでエンディングかとおもいきやアーラから電話があってよりが戻りそうになる。ところへニーナが戻ってきて、またすべてが元に戻っていく予感の中ビルがやってきて二人はジョギングにでてその走る姿でエンディング。
細かい小道具やさりげない仕草にユーモアがちりばめられていて、爆笑こそしないものの、手を抜いたところのない丁寧な演出が実に見事な作品で、傑作と評されても決して大げさではない映画でした。未公開だったなんて信じられません。