くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」「アメリカの影」

チャイニーズブッキーを殺した男

「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」
ジョン・カサベテスらしいドキュメントタッチのカメラワークとクローズアップを多用したリアリティあふれる独特のアメリカンシネマ。

主人公コズモを演じたベン・ギャザラがとにかくニヒルでかっこ良く、こんな男がオーナーだったら美しい女性ダンサーも集まってくるだろうなと納得してしまうと。ニヤっと笑う視線の先にあるのはただひたすら自分の店のショーを最高のものにしようというプロの視線。そしてそこにはこの世界で生き抜いてきた彼独特の人生の喜怒哀楽が漂っているようである。

物語はこの主人公コズモがポーカー大会で大負けし多額の借金を作ってしまうところから始まる。見る見る借金がかさむポーカーの場面は本当に手短でここまでの展開が全体のバランスの中では短すぎるほどである。

そして、借金を作ったものの返す宛もなく店の経営を続けているとそこへマフィアの脅しがはいって、そのまま彼らのいうとおり中国人のノミ屋のボスを殺しにいく羽目になる。実はこの中国人はかなりの大物でマフィアたちは最初からコズモを利用しそのままコズモもなきものにするつもりだったとのことで、今度はコズモが命をねらわれる。

けがを負ったまま何とか逃れたコズモは店に戻り傷口を押さえながら次のショーの司会をする。そして一人店の外にでて傷口を押さえる。中ではショーが順調に進んでいてエンディング。果たしてコズモは助かるのか?それは映画としての想像に任せようという趣向である。

全体の時間が長く、中国人を殺してからが実に長いバランスになっている。そのため、つい後半から終盤睡魔におそわれてしまった。もうちょっと畳みかけてもいいように思えますが、ジョン・カサベテスの演出スタイルを崩さずに終盤を締めくくるとすればこうならざるを得ないでしょうか。

光のないところは実に暗くて、それがリアリティなのですが、一方でヘッドライトやネオンで照らされる光のショットがまばゆいくらいにまぶしい。その対比とコズモの物語が独特のこの世界のムードをスクリーンに繰り広げていく。カサベテスファンにはたまらないフィルムノワールの一本だったと思いますが、私はちょっとしんどかった。


アメリカの影」
この映画はすばらしかった。三人の兄弟のひとときの青春のドラマが実にリアリティあふれる生き生きした映像で語られる。ジョン・カサベテスらしいクローズアップの多用はもちろんであるが、即興演出でつづられる若者たちの姿が本当にすばらしいのです。背後にトランペットが流れたりしてまるでルイ・マル監督の名作「死刑代のエレベーター」を彷彿とさせる演出ですが、あの名作と比べても引けを取らないほどの完成度の高さ、カサベテスの映像の個性が結実した傑作でした。

かつては人気があったものの今や落ちぶれた歌手で長男のヒュー。このヒューに寄り添っている大男のマネージャーとの掛け合いもまたおもしろい。そして、毎晩のように友達とナンパをしながらいきまいている次男のベニー。いつもサングラスをかけているいかにも今時の若者の姿がなかなかニヒルでいい。さらに二人の兄にかわいがられ、もう少し背伸びしようとしているかわいい妹のレリア。黒人の血がまざったくっきりとした目鼻立ちの初々しい容貌がとってもチャーミングで作品に華やかさをもたらします。

物語はそれぞれの三人の毎日をさりげなく即興で交錯させながら描いていきます。黒人らしい容貌のヒューと違い、ちょっと白人ぽいベニーとレリアはどこか白人の仲間入りをすることで黒人としての恥ずかしさを感じさせるという若者独特のはにかみが物語の中に見え隠れする。しかも制作されたのが1960年代、まだまだ黒人差別が露骨だったアメリカの姿がかいま見られる演出もリアリティにあふれている。

白人のトニーと初夜を過ごしたレリアが彼女の家にトニーを連れてくる。そこへ帰ってきたヒューの姿をみて、そそくさと逃げるように帰るトニーのシーンが実に残酷である。このあたりの展開は「死刑代のエレベーター」と根本的に違うジョン・カサベテスの視点である。

一方ヒューは今では場末の劇場で本来の歌手の仕事をもらえずに司会の仕事などでつないでいる。そのもどかしさも感じられるものの、いざ兄弟の中に戻ると陽気で頼りになる長男の顔を見せるという描写は本当にほほえましいほどである。

長男のヒューは次のシカゴの仕事へとマネージャーと駅へ。「とにかく、何か考えないといけない」というマネージャーに「まずはこの仕事をしよう」と走っていく。

レリアは紹介された黒人の若者とダンスを踊りながら、トニーとの思い出を断ち切って前に進むかのごとくうなだれる。

そして、毎晩遊んでばかりのベニーが終盤、ナンパした女の子のことで別の若者と喧嘩をし、コテンパンにやられて「もうこんな遊んでばかりいてはだめだ」とつぶやき、その日は友人と別れる。カメラはそんなベニーを俯瞰でゆっくりととらえてエンディング。

それぞれがそれぞれに少しずつ前に前に進んでいく。そんな一瞬をしっかりととらえ、根底に根強い黒人差別へのメッセージを交える。映像は終始、即興によるリアリティを追求するが、時に見せるクローズアップを重ねたカメラは並の監督では生み出せない独創性あふれる構図を画面に描いていく。

どこかやるせないようなベニーの後ろ姿で締めくくられたこの作品のラストは不思議なくらいに切ない感動を呼び起こしてくれました。本当にいい映画でした。