くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ライク・サムワン・イン・ラブ」「ヴァンパイア」

ライクサムワンインラブ

ライク・サムワン・イン・ラブ
アッバス・キアロスタミ監督が日本を舞台に描く何とも不思議なリズムに彩られた一本でした。

デートクラブの待合い所から映画が始まる。一人の女性明子彼氏らしい男からの電話に応対している声が被さる。狭苦しいような室内によるのネオンが差し込んで、会話があるようなないような雑踏が画面から流れる。

ヒロシと呼ばれるオーナーらしき男(でんでん)が明子のところにやってきて、一人の客を紹介。ヒロシは明子とその彼氏とのトラブルについても一生懸命アドバイスする一方で今夜の客には是非あって見ろとすすめる。

明子の親友のなぎさが陽気なジョークでこの狭苦しい部屋をリアリティあふれるものにしている。秀逸な舞台描写に引き込まれる導入部である。

そして明子は渋々ヒロシの進める客の元へタクシーをとばす。途中、駅で一日待ちぼうけになった上京してきた祖母をみつける。留守電のメッセージで一日中明子に会いたい胸の伝言をタクシーで聞く明子の顔が涙ぐむ。タクシーの運転手を執拗にカメラがとらえたり、電話や雑踏が映像を演出していく不思議な感覚で物語は進行。

やがてタカシという初老の男の家についた明子はタカシの食事のもてなしもそこそこに寝てしまう。翌日、孝の来るまで大学へ。そこはかつてタカシが教えていた大学である。その入り口で恋人のノリアキともめる姿をタカシがじっと見つめる。

背後に学生の雑踏の声、道路を走る車の音がフィクションの中にあるリアリティを醸し出してくる。

ノリアキはタカシに近づき、彼を明子の祖父だと勘違いし親しく会話をした後別れる。その後、明子を本屋へ送ったタカシは自宅で明子からの電話。どうやらノリアキにタカシのことがばれて暴力を振るわれたようだ。

タカシの部屋でなる執拗な電話の数々や隣のおしゃべりなおばさん、ガレージの出口でやたら横断する親子のしょっとなど、室内のみならず外の景色もこれ以上ないほどに窮屈な映像が展開。その緊張感のなかで繰り広げられるタカシの在りし日の妻への想いが不思議と物語の背後で流れている。

もしかしたら、タカシの妻の出身は明子と同じで、そのために自分がエビのスープを作ったのではないか。さらに隣のおばさんの明子への言葉の中で「あんなことがなかったら」という意味に、タカシが妻に対してしたなにか公開を生む出来事への償いを明子に施しているようにも思える。

そして、タカシの家に押し掛けたノリアキは外から狂ったように車を壊しタカシの部屋の窓に石を投げる。その窓が割られるシーンとその場に倒れフレームアウトするタカシのシーンでエンディング。

明子を送った帰りに信号待ちするときに思わず居眠りするタカシのショットがラストのフレームアツオの伏線と考えることもできるかもしれない。?を余韻に残したアッバス・キアロスタミ監督らしいエンディングでした。


「ヴァンパイア」
岩井俊二らしい感覚は伝わってくるのですが、どこかまとまりきらない部分が作品全体をまるで大海にうかぶ小さな島々のごとく分散された美学として未完成に終わったような作品でした。

主人公である高校教師サイモンが際だって物語に存在しないために周辺に集まる自殺願望の少女たちがいつもの岩井俊二監督作品から漂う成熟と未成熟の狭間に不安定に位置する女性のイメージがわいてこない。その結果、それぞれの少女のエピソードが作品全体に散らばっただけになってしまった。極めつけはほとんど無意味に近い蒼井優演じる留学生である。

病弱な母親のカリスマ性も作品にスパイスを与えていないし、クライマックスで警察に捕まる前に、献血をするという展開もそれほどのミステリアスもない。

そもそもヴァンパイアというのはその誕生の頃から一種独特のロマンを漂わせている存在である。その不可思議な不安定さが岩井俊二の感性でどう開花するのかが本当に楽しみだったのですが、カナダを舞台にし、全編英語というロマンティックな設定を作り出したにも関わらず、その必要さが見えない結果になってしまった気がします。期待していただけにちょっと残念。