くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「推理作家ポー 最期の5日間」「東京流れ者」

推理作家ポー 最期の5日間

「推理作家ポー 最期の5日間」
何の変哲もないふつうのミステリーでした。まぁ、期待もしてなかったのですが、まぁあんなものですね。物語もいろんな作家が試みたパターンで、実際に若くして死んでしまったエドガー・アラン・ポーの最後の5日間のミステリアスな期間になにが起こったかをフィクションにしただけの内容。

映像に秀でた演出もされていないし、謎解きのおもしろさにもこれというほどの展開もない。結局、犯人が明らかになっても、胸のすくような感動もない。こう書いてくると本当につまらない映画だったように聞こえるけれど、退屈というわけでもないけどふつうの映画だった。

ポーが描いた小説のとおりに殺人事件が起こる。そのきっかけはポーが愛した女性が拉致されたあたりから物語が本編へなだれ込む。どこかへ生き埋め寸前にされた恋人を救出すべく奔走するポーと刑事。ポーの小説のごとく次々と殺人事件が起こるが、それが恋人の在処を見つける為の伏線というにはちょっと物足りない。結局、自分の命の引き替えに彼女を助けるという物語を書いてその通りに犯人を行動させて、恋人を救出。自分は毒を飲んで死んでしまう。

と、なんかすっきりしないプロットの展開がストーリーの組立に工夫が足りないのかと思えなくもない。自分の命と引き替えに恋人を助ける浪花節的なラストに持っていくまでが妙に薄っぺらいためにラストも生きてこなかったという感じですね。おもしろくなり得たかもしれないけど、ちょっと陳腐なテーマだった気もする。


東京流れ者
「流れ者に女はいらねぇ」「女といると歩けねぇんだ」訳の分からない渡哲也のラストの名台詞で締めくくられる鈴木清順監督の代表作をようやく見る機会があった。

ストーリーはかなりおおざっぱだが、この映画に面倒な物語は必要ないかもしれない。清順美学がちりばめられた一種の映像としての娯楽なのである。サイケデリックな衣装と舞台、次々と変わるネオンサインのような原色のセット、これでもかとおもしろさだけを追求した演出。これは一つの映像としての映画の形なのである。だからはまってしまう。

なんで?というような展開などそっちのけで、やくざの世界なんていうのもどうでもよくて、義理と人情なのか、現代的に変わってしまったやくざの世界なのか、友情なのか、恋なのか、なにもかもが突き飛ばされながら好き勝手に組み立てられた映像の中でどんどん物語が進んでいくのです。

ツィゴイネルワイゼン」が芸術としての鈴木清順美学の一つの完成形だとしたら、この「東京流れ者」はその原点なのかもしれない。テーマ曲を歌いながら現れる主人公。どこからきたのか主人公に助っ人にくる一匹狼の二谷英明、物語の始まりでは義理に熱いとってもいい親分だった男がクライマックスでいとも簡単に主人公の敵になる。思わず苦笑いしてしまうのだが、そんな荒っぽい物語はどうでもいいと思ってしまうのです。これが映像としての映画ですね。

導入部のハイキーで撮られたモノクロシーンからタイトル、そしてカラー映像に。大胆な構図と幾何学的な構図の組み合わせ。原色を徹底した色彩演出。日本的な義理人情の世界がモダンな映像の中で映画として昇華される。いや、そんな理屈は意味ないのかもしれない。それでもこの独特の映像に引き込まれた映画ファンがどれほどいるだろうかと思うとドキドキしてしまうのです。

古き良き日活アクションの世界をきっちりと踏襲しながら自分らしさを前面に押し出してくる鈴木清順の感性、そのおもしろさに酔いしれる一本がこの「東京流れ者」なのだと思います。