くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ドリームハウス」「人生の特等席」

ドリームホーム

ドリームハウス
ジム・シェリダンという監督さんは本当にストーリーテリングのうまい人だとつくづく思ってしまいます。サスペンスミステリーでありながら、家族愛を見事に盛り込んでいく。空間と時間、幻想と現実が複雑に絡み合う物語なのに、決して混乱させずにいつの間にか見ている私たちに直接語りかけるように物語を完成させていく手腕は見事。ちなみに脚本が「ボディ・ハント」と同じくデヴィッド・ルーカで、そういわれれば物語の配分がよく似ている気もしますね。

もちろん、映像演出にもこだわりがあるのか前作「マイ・ブラザー」もそうでしたが非常に美しい構図で画面を作っていく。ファーストシーン、ビルに降り注ぐ雪のショットから幕を開けるこの映画、前知識がなければサスペンスだなんて誰も思わない。

今日で会社を退職し仕事人間に区切りをつけて家族の元に戻ろうとするウィルの姿から物語が始まる。美しい妻リビーとかわいい娘二人に向出迎えられる、なぜか不審な人物が家の外にいる気配がある。そして、惨劇があった家であることが説明され、それにまつわって謎を追い求めていく。

犯人とされたピーターを追っていくうちに、実はピーターはウィルであったということがわかり、物語は一気にミステリアスに。果たして家族を殺したのはウィルなのか?それとも真相は。その悲しい展開の中、ウィルには死んだ妻リビーや娘が幻影として見えているという物語に変わる。そして、次第に真相へ。人違いで殺されてしまったピーター(ウィル)の家族。向かいのアンの夫ジャックが妻を保険金殺人するために殺し屋をやとい、指示したのだがたまたま家が向かいだったためにピーターの家がおそわれる。そこへ居合わせたピーターは巻き添えになり自分はピストルに撃たれて重傷となったのである。

アンを演じたナオミ・ワッツは好きな女優さんですが、今回のすっきりと通った清潔な美貌で物語を引き締める。ただ、ピーターとアンの意味ありげな関係は結局明らかになりきらなかったような気がします。このあたりの処理がちょっと曖昧なのは残念。銃弾によるけがのせいか、家族を失った衝撃によるものか、妻や子供の姿がリアルに見えるピーターが何とも切ないし、最後の最後でリビーがピーターに、「一緒にいてほしいけれど逃げて」と燃える家の中で訴えるシーンは胸が熱くなる。

すべてが終わり、エピローグでピーターがつづった「ドリームハウス」という本が書店に並んでいるのを見てエンディング。深読みすればこれまでの物語さえも実は小説の中の世界だったのではないかとさえ思えたりもするが、それは考えすぎだろう。でも、そう思わせるのが映画としてのおもしろさであり、それが映画なのかもしれないと思うと、なかなかの佳作だったといえるかもしれません。


「人生の特等席」
ストーリー展開はかなり強引なところもあるけれども、やはり映画を知っている人間が作るとこういう風になるという典型的な佳作でした。

今回はクリント・イーストウッドは監督を兼務せずに主演のみのとどまっています。しかし、マルパソカンパニーのスタッフで長年イーストウッドに助監督について、製作も勤めたロバート・ロレンツが演出しているので映画として押さえるべき演出のつぼを心得ている。

特にラスト、球団に裏切られ、自分の判断を無視されたガスですが、ちゃんと挽回のために娘ミッキーが今までワンショットしか登場しなかった青年が実は大物ピッチャーの素質があると見抜き、スカウトしたバッターであるジョーを三振に打ち取るという強引ながら爽快なラストで締めくくる。ガスの一発逆転の後、ミッキーにも春がきてハッピーエンド。ガスは「俺はバスで帰る」と小粋なせりふをはいて歩いていくところをカメラがクレーンでとらえる。これが映画の演出である。

おしっこの切れが悪いよぼよぼになった無様なガスの姿から始まるこの映画、これといって目立つような派手な見せ場はない。淡々と描くガスの晩年のややみすぼらしいショット。もちろん野球のスカウトの腕は確かなのだが、寄る年波に勝てず目は緑内障と診断される。しかし、この病気についてはそれほど深く言及せずにストーリーが進むのは正解だった気がする。ここでこの目の病気にこだわると物語が陳腐にkなる。視点は父と子のドラマなのである。このピントがぼけない脚本は、そのあとのそれぞれのエピソードの絶妙の長さの組み立てに生きている。

途中で、ややわざとらしくピーナッツ売りの青年を登場させ、ラストの伏線にしているのはややあざといが、これも観客にラストへの希望を持たせるためのさりげない遊びとして挿入した脚本のうまさである。

新人スカウトマンとして登場するジョニーがなぜラストでミッキーの元にきたのかはかなり強引なハッピーエンドへの展開ですが、これもまた良しとしていいレベルかもしれない。コンピューターを駆使してスカウトする若手が登場、まさに「マネー・ゲーム」を皮肉ったのではないかとさえ思えるが、これも単なるアメリカの時代背景を描いただけのことでそれ以上の意味はないと思える。

それぞれのエピソードとのつながりのバランスがいいためにラストがすんなりと観客の希望をかなえて爽快に終わらせ、劇場をあとにさせてくれる。これが映画なのである。地味ながら良品の一本でした。