くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ウーマン・イン・ブラック亡霊の館」「夏の終りの日」「地

ウーマン・イン・ブラック

「ウーマン・イン・ブラック亡霊の館」
「国威の女ある亡霊の物語」というベストセラーホラー小説をイギリスのハマーフィルムが映画化した作品で、最初からラストまで非常に素直な正当はホラー映画でした。脚本は「キック・アス」のジェーン・ゴールドマンです。

言い方を変えれば今の時代やや古くさく感じられなくもない。映像に凝ったわけでもストーリー展開を複雑にしたわけでもないのは物足りないといえば物足りない。しかし、順番通りに展開する物語は分かりやすいし、クライマックスもそれなりに見せてくれる。しかし、エピローグが今一つ感動を呼ばないのは主人公アーサーの抱える過去の悲しみ、つまり息子の誕生とともに死んでしまった亡き妻への想いの描写が弱いからではないかと想う。

三人の少女がドール遊びをしている。何かを見つけたようにゆっくりと立ち上がり窓へ進んでそのまま飛び降りてメインタイトル。よくある導入部だが、まじめに作っていくという姿勢を見せるファーストシーンにひきこまれる。

主人公アーサーが郊外にあるイール・マーシュの主人アリス夫人の遺産整理手続きのために遺言書などの書類を確認するために依頼されるが、この仕事をしっかりしないと弁護士が首になるという依頼主のせりふに切迫感がない。そのためアーサーが不気味な館にやってきて恐ろしい目にあうが、帰るに帰れないというせっぱ詰まったものが見えないのがちょっと残念。

汽車が駆け抜ける景色のシーンにはっとさせられる美しさはなかなかの見所でもある。村人たちがアーサーを見る目つきが不気味なのはこの手のホラー映画の常道だが、映画全体のムードに結びつかないのは、B級ホラーに仕上げたくないという監督の欲目が裏目にでた感じでしょうか。

結局、館の女主人の子供を沼から引き出して(なぜ死体がみつからなかったの?こんなに簡単にみつかるのに)引き渡して一件落着かと想えば、アーサーの子供がねらわれ、アーサーとともアーサーも列車にひかれて、愛しい死んだ妻に会ってハッピーエンド??というラスト。

まじめに作られたホラーですが、工夫というのが必要ではないかとも思う一本で、もっとおもいきった表現もちりばめたらスパイスになってもっとおもしろい映画になってた気もする。地味すぎるんですね。でも、退屈はしなかったからいいとしましょうか。


「夏の終りの日」
アンジェイ・ワイダやイェジー・カヴァレロヴィッチ監督の脚本家でもあったタデウシュ・コンヴィッキという人の監督デビュー作。テレビ放映のみだった未公開作らしいです。

浜辺に女が日光浴をしている。空にジェット機が飛んでいる。向こうに一人の青年が女を見ている。少しずつ近づいてきて、会話が始まる。青年が海にはいっていく。ところが姿がなくなるので女が飛び込むと、彼は泳げなかったという。

こうして始まるこの映画は最後までこの二人の会話だけである。お互いの素性を具体的に語るわけでもなく、何気なく想像させる程度の内容が延々と続く。

彼方に広がる広い夏の青空。雲が広がる。波が押し寄せる。その繰り返しは実に美しいが、ストーリーらしいストーリーはない。制作されたのが1958年。この年の前後の映画をまとめればまた見えてくるものがあるかもしれない。

やがて、女がふと目をさますと男がいない。叫んでも答えない。また海にはいったのか?女が海には行っていく。俯瞰で真上から波の押し寄せる波紋の中を女の姿をとらえてエンディング。

景色ととらえ方、画面の構図などの美しさはやはり映画作家のそれであるが、完全に映画祭向けの芸術映画である。素直に語れば退屈な映画と呼べるが、これもまた映像表現の一つの形態であると鑑賞すれば非常に見応えのある一本だった。これも映画。


地下水道
30数年ぶりに見直したアンジェイ・ワイダ監督の傑作であるが、やはりその映像に圧倒される迫力がある。

映画が始まるとワルシャワ蜂起したある部隊がドイツ軍に攻め込まれているシーンに始まる。延々とカメラが長回しで兵士の紹介をしていく。時にぐんぐんとカメラが横に動いたり手前に引いたりとダイナミックに動く。

そして、本部から中央への退却命令が届き、彼らは地下水道へ降りるのだが、ここからは狭い空間の中、不気味なくらいに斜めにカットされた構図に光と影、煙のようなガスが立ちこめる地下水道の中がある意味美しいほどの映像美で描かれていく。

進んでいく兵士の息づかいさえも伝わってくるような接近したショットの数々に汚物が流れる中をその汚物にまみれながら死の間際の形相で進む姿は圧巻という表現以外の何者でもない。

ようやく探り当てた出口は格子がはまっていたり、表にでたとたんにドイツ兵に捕まったり、そして隊長が部下一人と外にでたものの、後の部隊が続いていないと知ってその部下を撃ち殺し、自分は再び地下水道の中へ入っていくショットでエンディング。

名作に迫力があるとしたらこの映画をいうのだろう。そして映像を駆使して描く極限の状況表現のすばらしさにはいつの間にか人間ドラマまで生み出されてくるようである。これが傑作とよく呼んだものだ。やはりすばらしい一本だった。


灰とダイヤモンド
こちらも30数年ぶりに見直したアンジェイ・ワイダ監督の名作である。過去に見たときはこの映画が最高にすばらしかったという印象があったが、今回見直して、あらためてそのすばらしさに度肝を抜かれる。

物語はドイツが第二次大戦で降伏しポーランドが解放された日に始まる。主人公マチェクらがソ連からきた共産地区委員長の暗殺をするために待ち伏せをしているシーンに始まる。ところが、暗殺したのは別人で、ホテルに泊まったターゲットを再びねらうのだが、そこでマチェクは一人の女性クリスティンとであって恋に落ちるのだ。

冒頭の暗殺シーンものどかな草原をバックにし、撃った瞬間に教会のマリア像が見えたり、ホテルのシーンもズームレンズによる奥の深い縦の構図を多用したり、内容が非常に思い社会テーマを描いているにも関わらず随所にみられる映像美はさすがにアンジェイ・ワイダの才能の真骨頂というべきだろう。

階段の下で委員長を待ち伏せるマチェクに階段の模様が移り込んだり、撃った瞬間に夜空に花火があがったり、はっとするほどの名馬面が次々と登場する。

クリスティンとマチェクが廃墟で語り合うシーンでキリストが逆さまになっている像があったり、取り上げていったらきりがないほどである。

そして大好きなラスト。暗殺の仕事を終えたマチェクがたまたまぶつかった兵士に拳銃を持っていることが見つかり追いかけられて撃たれる。ゴミの中に倒れ込んで死んでしまうエンディングは何度みてもすばらしい。これがポーランド映画全盛期の名作ではないだろうかと思えたりもする。本当にもう一度スクリーンで見ることができてよかった。