くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「塀の中のジュリアス・シーザー」「清作の妻」「霧の音」

塀の中のジュリアス・シーザー

塀の中のジュリアス・シーザー
空間演出がすばらしいタヴィアーニ・兄弟の傑作。非常にコンパクトにまとめた物語ですが、ほとんど隙がない展開になっている。もちろん、本物の囚人が劇「ジュリアス・シーザー」を演じるまでを描くドキュメントタッチの構成であるが、監獄の中で至る所で練習する姿を現実の彼ら本人の出来事を取り混ぜて語る演出はどこまでが劇の練習かと疑ってしまう迫力があります。しかも、室内を奥の深いアングルでとらえたり、真上から俯瞰でとらえたり、さらに格子や他の囚人たちの見る姿を交えるカットの挿入が、いったいどこまで空間が広いのだろうと錯覚してしまうのです。

ブルータスが自害する舞台のシーンで始まり、その六ヶ月前、彼らが「ジュリアス・シーザー」の演劇の練習に入る姿を描いていく。そしてラストの冒頭のシーンを繰り返してエンディング。

囚人たちが練習する姿を迫真のカメラでとらえながら「ジュリアス・シーザー」の物語をつづっていく。時に談話室のようなところで、時に廊下で、時に屋外の運動場のような場所で様々なシーンが練習される様子が物語として展開していくのである。

現実の彼らの過去がそのまま舞台の物語に反映し、監獄を外からとらえるシーンでは囚人たちのささやきがこの場の鬼気迫る姿を映しだしていく。

果たしてシーザーとブルータス、さらにオクタビアスらの物語は彼らの現実とどう重なっていくのか。いつの間にかフィクションとノンフィクションさえも一つになっていく映像にスクリーンから目が離せないのである。見事な一本。これが映像として描く演劇の一つの形なのだ。傑作でした。


「清作の妻」
女の業を描かせると絶品の増村保造監督作品。シネスコの画面の右半分左半分に人物を配置した構図を徹底し、見事な緊迫感を生み出していく画面演出を施す。

物語は主人公お兼が呉服屋の妾として過ごす姿から始まる。タイトルが所々に被さり、その主人が風呂場で突然死んでタイトル。物語は田舎の村の実家に戻った兼の人生へと進んでいく。

そこへ、出生していて英雄となった清作が戻ってくる。実直そのものの彼はやがて不思議な縁で兼と夫婦となる。ようやく人並みの幸せをつかんだ兼は清作をはなすまいと、日露戦争で負傷で戻った清作を再度戦場へ出さないために目をつぶす。まさに女の一途な愛を貫く増村映画の真骨頂のテーマである。

一時は恨んだ清作だが兼の愛情に気がつき、二年の刑期を終えてきた兼と二人仲むつまじく畑にでるシーンでエンディング。唐突なラストシーンだが、力強く畑を耕す兼のショットが実に印象的でした。

女性の鬼気迫る情念が胸に迫ってくる迫力はいつものごとくはさすがに増村保造監督の演出がさえ渡り、終盤で村人に袋叩きになる若尾文子扮する兼の姿は圧巻である。

いつもながら堪能させられる秀作だった気がします。良かったです。


「霧の音」
こういうモダンで切ないラブストーリーを描かせると清水宏監督は実にうまい。一人の大学教授の切ないすれ違いの恋の物語を美しい日本アルプスの景色を随所に盛り込みながら静かで美しいハーモニーを奏でるように描いていく。

物語は現代、博士号をとった主人公大沼一彦のお祝いに娘夫婦が北アルプスの山小屋へ仲秋名月を見るためにやってくる。
実は大沼はこの小屋には懐かしい思い出があるのだ。

時は昭和二十二年。戦後の混乱を逃れてこの小屋で高山植物を研究する大沼は助手のつる子と親しくになってこの小屋に来ている。妻とはうまくいかない状態で夫婦の仲は冷えきっている。

こうして大沼とつる子のラブストーリーが始まる。昭和二十二年から三年後、三年ごとつづっていって、そのたびにすれ違いで出会うことのない大沼とつる子のお話よくある展開ながら、美しいアルプスの景色を背後に捉えた静かなカメラワークで次第に見ている私たちに切なさが伝わってくるのです。つる子が結婚した事を知りそして物語は現代へ。

カメラは横のゆっくりと平行に流れるようにワーキングし、静かなながらにどこかしんみりと心にしみる物語を実に美しく描いていくのです。

現代の物語で、つる子が死んだことを最後の最後に知る大沼はつる子の娘と一緒につる子の墓に向かうシーンでエンディング。霧がかかった北アルプスのショットを背景にするラストシーンは実に幻想的で美しい。

中編に近い長さの作品ですが、きれいにまとまっていた佳作でした。こういう映画も今まで見逃していたのも残念な一本ですね。