「みなさん、さようなら」
大好きな中村義洋監督映画で、いままでの伊坂幸太郎原作映画から離れての作品です。
前半部分はいつもの中村義洋監督のタッチで展開していく。団地を愛し、団地から一歩も外にでないで生きていくことを決意する主人公悟が母親に宣言するところから始まるのです。といってもまだ小学校を卒業したばかり、中学校は団地の外なのです。団地の中に同じ小学校の卒業生107人がいて、少しずつ減っていくテロップを流しながら物語が進んでいく。
ところが中盤あたり、実はこの悟が団地をでることができない原因が小学校の卒業式の前日に校内に進入した中学生によって悟の友達が目の前で刺されたことが原因と写されて映画は一気に社会性を帯びてくる。
なぜ団地の中をパトロールするのか、なぜ強くなろうとして大山倍達にあこがれるのか。
そして終盤に児童虐待を受けている外国人少女に出会い彼女を助ける行動へとさらに物語は重さを増してくる。これまでの中村作品のイメージがどこか払拭していく展開に驚くのだが、クライマックス、母の突然の死で団地をでることができるようになり、母の遺言で遺骨を故郷の海に巻きに行くシーンでエンディング。
いつものようなシュールなショットは少ないが、どこか火現実的な装いの物語はやはり中村監督は得意なのだろうと納得してしまう。押しつけがましいメッセージは見られないけれどもさりげなく現代日本のワンシーンをかいま見たような演出が独特のムードで迫ってくるおもしろさを味わうことができるのです。ちょっとかわったちょっとおもしろい一本でした。
「きいろいゾウ」
静かに静かに淡々と物語が進んでいく。廣木隆一監督得意の延々とした長回しによるワンシーンワンカットがさらに平坦なリズムで画面を覆っていく。しかし、その根底に沸々と夫婦のそして男と女のドラマが流れていくのである。そんな力強いものがありながら画面はまるでファンタジーのような描写が徹底される。
映画が始まるといきなり宮崎あおい扮するツマが全裸でお風呂から飛び出し(吹き替え?)居間で小説を書いている向井理扮するムコのところへ。お風呂にかにが飛び込んできておぼれて死んだという。ここから一気にファンタジックな不思議な世界に放り込まれる。
ツマは様々な動植物からの声が聞こえる。というか、雨からも声を聞くのである。そのどこかピュアで童話のような設定がある意味ものすごく切ない。一方のムコは売れない小説家らしい。この二人がいかにも旧家の田舎の一軒家で暮らしている。せりふ回しさえも一風変わった調子で語られ、遊びに来る柄本明扮するアレチ老人も同じような店舗でせりふをしゃべる。
背後に軽いリズムの音楽が流れ、映像全体がまるで雨音のように流れていく。照明演出にもこだわり。まっ黄色なライティングが施されていく。
俯瞰から大きくパンするカメラワークが登場人物の会話を延々ととらえていく。長い、とにかく長いカメラ演出であるが、それが何ともいえない登場人物の間を生み出すから見事。
ムコとツマの濡れ場シーンも軽いタッチながら登場。おそらく宮崎あおいが肌を見せるのは初めてではないかと思う。ムコには背中に鳥の入れ墨が、ツマは子供の頃心臓の病気で体が弱かったことが語られる。そして、差出人不明の一通の手紙がムコに来てから物語は動き始める。
ムコにはかつて思いを寄せた叔母がいて、彼女が自殺したことに罪悪感があって、彼女に似た女性を絵画の個展で見かけて、その女性が描いた鳥の絵を背中に掘っていたということで、その女性の子供が難病で死んで、心を閉ざした女性の心を開かせるために夫がムコに手紙を出して呼んだ。
このころツマとムコはどこかぎくしゃくしてきて、そんなところへ東京へムコが出かけて、ツマの寂しさは頂点になる。でも最後はムコはツマのところに帰ってきてハッピーエンド。
静かかな映像演出の中に漂う不穏な空気がファンタジックな展開の中で不思議な物語として結実した秀作。原作を読んでいませんが、映像として確実に昇華されたいい映画でした。