くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「命をつなぐバイオリン」「アルマジロ」「ももいろそらを」

命をつなぐバイオリン

「命をつなぐバイオリン」
いわゆるドイツ人によるユダヤ人迫害の物語であるが、とにかくカメラが実に美しくリズミカルかつ流麗で、構図も美しい。バイオリンやピアノの曲に乗せてゆっくりと窓の隙間、木々の間などから移動していくワーキングが絶妙。しかも、クライマックスにはまるでサスペンス映画のように小刻みなカットバックによって一気に緊迫感を盛り上げていきます。反戦映画ではあるけれども一級品のサスペンスとしても傑作でした。

音楽ホールにニーナという少女がやってきて、ピアニストの祖母ハンナに会う。そこへ一通の封筒。中には「魚の主へ、アブラーシャ」とかかれて楽譜が入っている。この映画のテーマにもなっているバイオリン曲である。あわてて、アブラーシャを呼びにやるハンナ。物語は1941年旧ソ連ウクライナへと移る。

ウクライナのコンサートホールでユダヤ人のアブラーシャと幼なじみでピアニストのラリッサが演奏している。すばらしい演奏を客席で聴いているのはアブラーシャと同じくバイオリンを習っているドイツ人のハンナ。彼女はドイツからビールの醸造のため家族でこの地にきている。すぐにアブラーシャとラリッサ、ハンナは仲良しになる。ラリッサはピアノで自分たちの曲を作っている。これがこの映画のテーマ曲となって何度も流れる。実に美しい曲なのです。

やがて、ドイツとソ連が戦争を始め、ハンナたちはソ連の秘密警察に追われる羽目に。しかし彼らを森の小屋に隠したのがアブラーシャたちだった。湖で足の指にパンを挟んで足を着けるハンナ。そこに魚がよってくるのでアブラーシャが「魚の主」とよぶ。

やがて、戦況はドイツのソ連侵攻へと代わり、今度はアブラーシャたちとハンナの立場が逆転。SS大佐に気にいられたハンナたちはことあるごとにアブラーシャたちをかばう。

立場が逆転していき物語がユダヤ人迫害へと移る展開のうまさも見事だが、前半でドイツ人がソ連の軍人に迫害を受ける部分のバランスも実にすばらしく、ストーリー全体を非常に緊張感あふれるサスペンスフルで映画的に仕上げている。

そしてクライマックス。ヒムラーの誕生祝いのためにアブラーシャとラリッサに演奏させることになる。ハンナはストレスから直前に言葉が話せなくなったために彼らだけになるのだが、大佐は二人を助ける代わりに完全な演奏をしろという。その直前にラリッサに精神的なプレッシャーを与え、客席で大佐がじっとラリッサを見つめる。ここでの細かいカットバックがすばらしく、大佐がナイフでリンゴを剥くショット、ラリッサの家族が収容所へ送られるショットがハイテンポで挿入され、極限になったラリッサは演奏を中止する。

そして、現代へ。ラリッサは失敗したとして殺されるがアブラーシャは助かった経緯が語られ、かつて遊んだ湖の畔でアブラーシャとハンナ、そしてハンナの孫のニーナがたたずむシーンでエンディング。

悲惨な物語で、最後の最後は胸が熱くなりじわりと涙ぐんでしまう。しかし、最初にも書いたがカメラワークが本当にリズム感よく流れるし、構図も美しい。さらにストーリー構成のバランスも見事なので娯楽としてのおもしろさもしっかりと兼ね備えている。そのため、作品が映画的な完成度を高め、ある意味傑作に近い出来映えになっているのです。本当にいい映画でした。


アルマジロ
アフガニスタンに派遣されたデンマークの兵士たちの悲惨さをとらえたドキュメンタリーで、カンヌ映画祭批評家週間グランプリ受賞作品です。

4台のカメラが最前線に設置され、確かにカメラの性能もよくなったのでしょうが、揺れを感じないフィックスな画面が中心になるためかドキュメンタリーと言うよりフィクションかと思えるような錯覚に陥ってしまいます。

家族の元を離れ半年間戦地へ行こうとする兵士たちの姿が捉えられて、後は最前線アルマジロでの描写になる。

毎日が退屈な偵察行動だったが、ある日、身近な兵士が攻撃され重傷を負ったり死亡したりするにつけ、迫ってくる敵を殲滅するために小隊がくまれ早朝潜伏するタリバンを攻撃。真横を銃弾が通るカメラ映像もリアルだが、ふつうに前をいく兵士の姿をしっかりとカメラが追っていく映像はまさにエンターテインメントとしての戦争映画の世界である。

そして、まるで戻ってきた兵士たちがまるでゲームのように殺戮の状況を話し合い、笑いあい、もう一度やりたいとさえ語る姿はリアリティを越えた恐怖感がただよう。まさに麻薬のようになった異常な世界である。

半年後、母国に帰った彼らのシーン、そして再びアフガンに出かけたというテロップの後エンディング。

ふつうにフィクションの戦争映画だといっても違和感のない映像が冷酷なほどに人間の怖さを感じさせるドキュメンタリーの秀作だったと思います。


「ももいろそらを」
見るかどうか迷っていたが友達に勧められて見に行ったのですが、何ともこれは久しぶりに目にした青春映画の傑作でした。

モノクロームとほとんどワンシーンワンカット長回しの映像、小気味よいほどに洗練された会話のテンポの良さ、毒があるようであまりにも現代的女子高生のモダンと呼べる表現にも変わってしまうみずみずしさが最高。

タイトルが終わると一人の女子高生いづみのアップ。なにやらきょろきょろしている。足下に分厚い財布が落ちている。さんざん迷った末に拾ったものの30万の大金が。警察に届けるか迷っているままにそのまま鞄へ。そしていつもいく釣り堀で親しい印刷屋のおやじに20万貸し付けてしまう。この導入部の軽快なこと。一気に今時のというか、どこかさめたような一瞬の世界に引き込まれてしまう。ぶつぶつとつぶやくいづみのせりふの生き生きしていることもまたすばらしいのです。

そして、クラスメート薫と蓮実と出会い、落とし主の高校生のところへと出かける。

主人公のいづみは新聞記事に採点をするのを趣味のようにしているちょっとすっとんでるけれども今時という言葉がぴったりの女子高生。靴の後ろを踏んで、ミニスカートをはいて、リュックの中にはでっかい手鏡と携帯電話くらいしか入っていない。友達の蓮実と薫は一見親友に近いほどの親しさだが、いつ壊れてもおかしくないほどに危うい感じの会話が繰り返される。

落とし主は金持ちの男の子でしかもイケメン。すっかりその気になる蓮実はこの男子高校生佐藤に惚れてしまう。とりあえず財布を返したがあとからお金の足りないことがわかりいずみのバイト先のボウリング場へ。ここで町の新聞を作ることを持ちかけられていずみは佐藤に蓮実に気を持たせるようにいって引き受ける。

新聞を作る理由は佐藤の彼女?らしい入院している和美に日々の様子を伝えたいからだと言う。

こうして佐藤といずみたち四人のよくあるようでどこか非日常のようになる毎日が始まる。延々とした長回しだが、たぶん何度もリハーサルを重ねたらしい演出は決して会話がぶれることがなく淡々としかも軽快にテンポよく展開していく。これがとにかくみずみずしい雰囲気を醸し出してくるのです。エロチャットでバイトをする薫の描写、やたらリーダーぶってその場を仕切る蓮実、そんな二人に良いようにされながらもくっついていくいづみの存在感、こういう現代的な少女たちの雰囲気を敏感に感じ取った脚本もまた見事なものです。

この作品がデビューという小林啓一監督の感性もいいですが、女子高生を演じた三人の演技も本当にすばらしい。

ほどなくして、佐藤が蓮実に連絡を取らなくなったのに気を悪くしたいづみが佐藤が言っていた和美の入院している病院に行って和美が実は男の子で、佐藤もホモセクシャルだとわかる。この展開は意外ながらもどこかありそうなところがこの作品全体のムードからして不自然ではないのもまたいい。

そこでいづみは蓮実に佐藤をあきらめさせるべく芝居を仕組むがそれが蓮実に失恋の打撃を与えてしまい、どこか自分が罪悪感にとらわれる。このあたりの構成も本当にしっかり錬られている。

ところがしばらくして、和美が病院でベッドから落ちて死んだことがわかる。落ち込んでいる佐藤の為もあり、和美が生前言っていた桃色の空をつくるべくいづみは印刷屋に返してもらったお金で色の出る玉を買ってきて焼き場で焼いてもらう。印刷屋が商売が回復したのはいづみたちが作っていた新聞の印刷料であったりとなにもかもが絡んでくるあたりも実にいい。

煙突からピンクの?煙が。「和美!」と叫ぶ佐藤といずみ。ふつうならこのまま感動のラストだが、煙は途中で止まってしまい。しらけた二人が見つめるショット、いずものくしゃみ、「きったねぇ」という佐藤の言葉でエンディング。

タイトルにピンクの煙が出るクレジットが現れて映画が終わる。

うん、このラストもとってもしゃれている。これが映画だなぁと思う一方で、非常に繊細な感性で描かれていく日常の女子高生たちの素顔がこれもまた本当にピュアに魅力的。この映画に主人公たちの親はぜんぜん出てこない。唯一大人は印刷屋の気のよさそうなおっさんだけというのもまた映画的でいいなぁ。本当にいい映画に久しぶりに出会いました。