「よりよき人生」
非常にシーンからシーンへの転換がスピーディーで物語がテンポよく進んでいく。そのリズム感がこの映画の最大に魅力であるが、いかんせんストーリーの運び、脚本のエピソードの組立がよくないために、終盤にはさすがにうんざりして疲れてくるのです。その意味でふつうの映画だったかなという感想です。
主人公ヤンがレストランのシェフになるべく訪ねたフレンチレストランで断られるところから映画が始まる。そこで知り合ったナディアと仲良くなる。彼女はレバノンからパリにでてきていてシングルマザーでスリマンという男の子がいる。
三人はすぐに打ち解け、ある日湖畔に出かけたときに一軒の売り出し中のレストランを発見。早速資金を集めて改装を進めるが消防署の許可が下りず借金が残る。当然ナディアとヤンの関係もぎくしゃくし、ナディアはヤンにスリマンを預けてカナダへ仕事を探しに行く。ってこの展開ってどうなの?
この作品、こういうおかしな展開がそこかしこにある。スリマンが万引きしたのをいさめたヤンなのに、終盤、レストランの食材をくすねて売ってみたり、最後は自分の店を言葉巧みに乗っ取った男の金を強奪してナディアにあうためにカナダへ行く。人物像が一貫していない上にストーリーのからみがきっちり組み立てられていない。
結局カナダへ行ったらナディアはだまされて麻薬の売人のぬれぎぬで刑務所に入っている。お金を貯めて保釈してやるからとカナダでコックの仕事を見つけてスリマンとヤンは雪原をスノーモビルで走って歓声を上げてエンディング。
なら最初から資金繰りが逼迫した時点で売ってしまってコックの仕事を探せばすんだ?という話でしょう。愛する息子をほうって外国へ行く母親のナディアもまたおかしい。
レバノンからパリに移住してきたいわゆる貧困層のナディアの境遇とそれにからむこれまた貧困層のヤンのちょっとフランスの国情がからむ物語なのだと思うが、その辺がほとんど理解できないので、ストーリーがちぐはぐにしか見えない。特に未来の希望に感動する話でもない。映像がすばらしいわけでもない。という程度の映画でした。
「愛、アムール」
アカデミー外国語映画賞、カンヌ映画祭最高賞受賞の作品であるが、なるほど賞をとるにはこれほどまでの描き過多になるのかと納得してしまう芸術作品でした。監督は「白いリボン」のミヒャエル・ハネケ監督である。
物語は単純。老年を迎えた音楽家夫婦であるがある日突然妻が病に倒れる。しかも手術もうまくいかず自宅で寝たきりになる。二度と病院に戻りたくないという妻の希望で夫は献身的に妻の介護をするという物語。
映画は一軒の家に救急隊が突入するところから始まる。そして一室を開くとそこに喪服を着て周りを花で飾られてベッドで眠る老女がいた。
そして映画は音楽コンサートの会場で舞台から客席の観客をじっとカメラが見つめる。そこにこの映画の主人公ジョルジュとその妻アンヌがいる。
自宅に帰り、夜が明けて朝食を食べようとすると突然アンヌが固まったように沈黙し、ジョルジュがなにをしても反応しない。あわてて水道の栓を閉じるのも忘れて助けを呼ぼうと服を着替えに部屋を離れると突然水道が止まる音がする。戻ってみるとアンヌはいつもと変わらない。
病院へ行くと頸動脈瑠だということで手術するが5%の失敗例に。そして、自宅で看病が始まる。しかし、日に日に悪化するアンヌ。おねしょをし、ろれつが回らなくなり、とうとう食事も自分でとれなくなる。賢明に看護するジョルジュだが、ある日思わず枕をアンヌの顔にかぶせるのだ。そして、花を買い集めおそらく冒頭のシーンを演出しようとしているのであろう。
途中、二度鳩が家にはいってくる。最初はジョルジュは追い払うが二度目は捕まえる。この鳩はジョルジュに迫ってきた死のイメージだろう。
アンヌを安楽死させ、部屋を閉じて、ベッドに横たわるジョルジュの耳に皿を洗う音がする。行ってみるとアンヌが台所をかたづけどこかへ出かけようとしている。後を追うようにジョルジュも出かける。死んだアンヌがジョルジュを迎えにきたのか。まるでアンヌに迫った死の物語かと思ってみているといつのまにか死はジョルジュにも忍び寄っていたのである。ジョルジュがどこに消えたのかは映画は語っていない。冒頭のシーンで発見されるのはアンヌだけなのだ。
がらんとした部屋に娘のエヴァがやってくる。開け放たれたドア、そしてソファに座る。カメラはそれまで何度となく写したジョルジュの寝室とアンヌの寝室が平行になった入り口をとらえて暗転エンディング。
映画をどう閉じるか。どんな芸術もそうであるがその締めくくりの手腕こそ芸術家の腕の見せ所ではないか。それをまざまざと見せつけられる傑作でありました。でも娯楽映画ではない、芸術映画です。決しておもしろかったと呼べるものでも単純に感動したと呼べるものでもありません。しかし、すばらしい。そんな映画でした。