くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「シャドー・ダンサー」「ある海辺の詩人ー小さなヴェニスで

シャドー・ダンサー

シャドー・ダンサー
ちょっと期待していたのだが、ふつうのサスペンス映画でした。というより、シリアスすぎて重々しい。ミステリアスなおもしろさよりもIRAとMI5との確執、英国とアイルランドの溝を背後に淡々と描いていくために、とにかく全体が非常に地味な作品となってしまった感じです。

時は1973年、アイルランドの首都、一人の少女コレットがビーズの首飾りを作っている。父がたばこを買ってくるように言い、小遣いといっしょにお金をくれる。コレットはそのお金を弟にゆずって買い物に行かせるが、なんと外で暴漢に銃に撃たれて死んでしまう。非難するようにコレットを見る父親のショット。

1993年ロンドン。母親になったコレットが地下鉄を乗り継ぎ、階段に鞄をおいてトンネルに逃げる。非常事態のアナウンスで、彼女が爆弾か何かを仕掛けたことがわかるが、外にでたところで捕まってしまう。取調室で一人の刑事マックが近づいてきて、密告者になれば助けるし身の安全も守ると提案。息子のことを思ったコレットはその申し出に応じる。

ところが、実はIRAの組織の疑惑の目をコレットに向け、元々いた密告者を守るためのおとりであるとマックがかぎつける。

物語はこのもう一人の警察協力者、いわゆるシャドー・ダンサーが誰かというサスペンスへと後半が流れていくのだが、いかんせん、重い。

しかも、密告者を探すケヴィンという男から目を逸らすためにコレットは奔走するのだが、背後に展開するドラマが今一つ深みにかけるために、ふつうの映画にしか見えないのだ。マックの属する警察組織の上層部の謎の描写が弱すぎるのが最大の弱点ではないかとも思える。

そして、マックは真相に近づき、シャドー・ダンサーコレットの母親であると突き止め、彼女に「コレットはあなたを守るためのおとりだ」と告げる電話をする。母親は娘を守るため自らケヴィンに告白して殺される。そして、マックは最後にコレットにあおうとするが、待ち合わせ場所に来ず、車の中の電話が鳴ったので車にはいると爆発。コレットが弟に依頼したものであるとわかる。コレットは子供と外国へ旅立ちエンディング。

淡々としたシリアスなドラマに終始し、映像も特に際だつものは見えないし、ストーリー展開も実にシンプル。つまりは英国とアイルランドの問題が中心であるというメッセージが全面にですぎて、サスペンスのおもしろさが弱くなったのだろうと思える。ふつうの映画でしたね。


「ある海辺の詩人 小さなヴェニスで」
とっても美しい散文詩のような映画に出会いました。とにかく、カメラが本当にきれい。繊細な露出のこだわったのでしょうか、うっすらとした景色さえも画面の中でしっかりと浮かび上がるのです。監督はこれが劇映画デビューとなるアンドレア・セグレ。

主人公シュン・リーがローマからキオッジャの街に向かうときの、バスの窓ガラスにあたる雨摘のしずくのきらきらとしたカット、その後ろに写るシュン・リーの顔のシーン。キオッジャの港の潟の向こうに浮かび上がる雪山のショット。夜の街に明かりが漏れる路地の景色、ショーウインドウ越しに見える店内の様子、シュン・リーが運河に浮かべる灯籠の真っ赤なあかりなどなど、取り上げたらきりがないほどに映像にこだわっている。その上、それぞれの画面の中の構図に、計算された色合いのチラシや調度品を配置した横長の画面もまた秀逸なのです。ここまで繊細な光の演出ができるものかと思えるほどに驚いてしまいました。

イタリアで働くシュン・リーは中国人。どうやら借金を返すために一人で寮のようなところに入って働いているようで、愛する息子を呼び寄せるために仕事をしている。

ある日、雇い主からキオッジャの店に変わるように言われ、一人旅立つ。キオッジャのカフェで働き始めたシュン・リーはその街で詩人と呼ばれるベーピという初老の男と知り合う。中国の詩を愛するシュン・リーとすぐに打ち解けお互いに友達づきあいを始めるが、周りの人間は良く思わず、シュン・リーの雇い主もベーピとつきあうなと警告。シュン・リーは自らベーピに別れを告げてローマに帰る。

ところが、ある日、まだ借金が残っているはずなのに、誰かが払ってくれて息子と再会、一緒に暮らすようになれるのだ。

きっと、キオッジャで一緒だった同僚の女性リュウが払ってくれたのだと、キオッジャに行ったシュン・リーはそこでベーピからの最後の言葉と彼の死を知る。ベーピの遺言通り、シュン・リーに譲ってくれた海の上の小屋を炎で燃やしてベーピを弔うシュン・リーのアップでエンディング。

物語も淡々と展開するので、ある意味静かすぎてたいくつかもしれないが、キオッジャの人々がベーピにつらく当たり始め、シュン・リーの立場が苦しくなると、物語の核が見えてきて一気にクライマックスへ突き進む。前述したようにシーンシーンそれぞれが本当にきれいで、ヴェニスに近いということもあって運河に漂う船のシーンや、一面水浸しになる前半のシーンなどが実に叙情あふれるムードを作品に生み出してくれる。

シュン・リーがどういういきさつで借金を抱えたかなどはいっさい描かず、一見、人の良さそうな人々ばかりだったキオッジャの街の雰囲気がなんとなくぎくしゃくしてくる展開も淡々と進む。ベーピの人生の背景もほとんど語られず、シュン・リーとベーピのどこか孤独な二人が友情、あるいはほのかな恋を漂わせながら心を通わせるドラマが実にしみじみと美しい。

映像と物語が叙情的な詩編としてまとまったすばらしい映画でした。