くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ヒッチコック」「夏の妹」「無理心中 日本の夏」

ヒッチコック

ヒッチコック
映画ファンにとっては、あまりにもビッグネームとなる映画監督の物語である。その偉大さ故に何百冊、いや何千冊以上もの研究書や実生活を描いた本が存在する。しかし、ひとたびスクリーンの中でその人物を描くとなれば、それはあくまでフィクションの世界の登場人物なのである。したがって、様々な先入観や知識を排除してこの映画を見ると本当に楽しめると思う。

映画作品自体は抜きんでたハイレベルの出来映えではないが、ヒッチコックを演じたアンソニー・ホプキンス、その妻アルマ・レヴィルを演じたヘレン・ミレンの演技が抜群にすばらしく、それ故に心に響いてくる人間ドラマとして完成されていると思います。

物語は「ヒッチコック劇場」の冒頭よろしく、「サイコ」の殺人鬼のモデルとなったエド・ゲインが、兄と庭で作業をしているシーン、兄を殴り殺して、ヒッチコックが登場し語り始めるという趣向で始まる。

物語の中心は、すでに巨匠の名をほしいままにしたヒッチコックが、次回作に選んだ「サイコ」の撮影秘話という形を取る。そこに実生活での苦悩が語られていくのである。

主演の女優にいつも入れ込んでしまう夫ヒッチコックに、ささやかな嫉妬を持つ妻アルマ。何とか夫の気を引くために、真っ赤な水着を買ったりする。しかし、いっこうに自分をみてくれていない気がするアルマは、脚本家のウィットとの共同執筆の中でほのかな浮気心が生まれたりする。

一方のヒッチコックも、妻を愛し、感謝しているにも関わらず、言葉にできず、常に遠くから見つめるように視線を送ると共に、妻がウィットと親しくしていることに嫉妬したりする。

二人の微妙な心の揺れ動きをアンソニー・ホプキンスヘレン・ミレン二人の名優が、実に見事に語ってくれるのだから、それだけでも見応え十分。

時折、幻覚のように、エド・ゲインがヒッチコックの前に現れて悪魔のささやきのようなことをするが、特に際だった演出でもない。

「サイコ」製作にまつわる苦労話にも、特に重点を置いているわけでもなく、それがかえってよかったのだと思う。もしそういった製作裏話にポイントが置かれたら、凡作に成り下がっただろう。それでなくても、この作品で描かれているヒッチコックとアルマの実生活の行き違いは、きっと取り上げている本があるはずなのだから。ちなみにこの映画には原作がるのですから。

とはいっても「サイコ」の撮影裏話が、無視されているわけでもなく、主演女優ジャネット・リーアンソニー・パーキンス起用の話や、シャワールームシーン撮影のエピソードなどにもふれている。上映時にヒッチコックが仕掛けた劇場への警備や、途中入場禁止のエピソードもちゃんと挿入し、映像作品とはいえ、実話を元にしていることにもふれている。

そして、「サイコ」の上映が成功した夜、車に乗るヒッチコック夫妻、夫が妻に「君には本当に感謝している」とヒッチコックが言うと「30年間その言葉を待っていたわ」とアルマが答える。「だから私はミステリーの巨匠なのだ」と答えるヒッチコックのシーンには胸が熱くなった。このラストのために、ここまで描かれた微妙な二人の心の不安定な揺れ動きが一気にまとまる名シーンではないかと思う。

エピローグ、庭で次の作品について語るヒッチコック。肩にカラスが停まる。そう、次の映画は「鳥」なのです。

さて、ここでヒッチコックについての私見を。

この作品で「サイコ」は最高のヒット作であり、最高傑作だと語られるが、正直、ヒッチコックの最高傑作は「サイコ」ではないと思う。確かに、抜きんでたオリジナリティのあるサスペンスホラーですが、やはり「めまい」「北北西にに進路を取れ」などなどがヒッチコックヒッチコックたる傑作だと思えるのです。

でも今回の「ヒッチコック」という映画は、伝説に近い巨匠の物語を、丁寧な人間ドラマとして、良質の映画に完成されていたと思います。その意味でも本当にいい映画でした。


「夏の妹」
栗田ひろみがとにかくかわいい。いわゆる彼女の全盛期で、当時人気の石橋正次とのアイドル映画のような色合いのはずなのだが、あけてみればしっかりと大島渚らしいメッセージが見え隠れするという秀作である。

物語は沖縄復帰間もない沖縄、本土から沖縄にまだみぬ兄を探しにやってきた素直子の継母となる桃子と素直子の母と娘の物語。

なぜか、沖縄にいる兄鶴男の母ツルは素直子の父と関係があり、さらに沖縄には国吉という、ツルと関係を持ったもう一人の男がいて、いったい、鶴男はどちらの子供かは不明。それが戦後間もない頃の、沖縄と本土の複雑な事情へと絡んでくる。

いつもの大島組の殿山泰司戸浦六宏佐藤慶小山明子がそろう夕餉のシーンで、一気にそのメッセージが沸き上がってくるところが、大島映画らしい。そしてここから、それまでの兄を捜す素直子の物語から一変して、沖縄という特殊な日本の領土の事情が見えてくるのである。

もちろん、冒頭で、素直子たちを案内する殿山泰司扮する桜田の説明や、ひめゆりの塔を訪れるシーンなどに、この映画のメッセージはかいま見られるが、終盤になってそれが全面になってくる。
という、社会的な部分はもちろん映画の中身を深いものにしているのだが、それはさておいても栗田ひろみがかわいいのである。

ミニスカートと派手なブラウスにみをつつみ、小悪魔的に好き放題に桃子や父、その周辺の人々に話しかける快活な台詞の数々に、どんどん引き込まれてしまう。

ラストは、父と桃子が先に飛行機で帰り、素直子は一人船で帰る。見送る鶴男は、実は素直子は桃子だと勘違いしているのだが、結局素直子本人に告げるものの、栗田ひろみ扮する素直子は信じない?ふりをする。

浜辺で男たちがする猥談もまた楽しく、やや時代色が強いかもしれないが、すべてを栗田ひろみのかわいらしさが、覆い隠してしまう楽しさがある一品でした。音楽も良い、景色もきれい、なんかみずみずしいほどの映画なのに奥が深い。そんな佳作に出会った気分です。


「無理心中 日本の夏」
タイトルが終わると一人の女ネジ子が公衆トイレに入ろうとする。中はらくがきだらけで、制服を着た男たちが掃除をしている。異様な雰囲気とシュールな導入部にまず度肝を抜かれる。

女がいることも無視してどんどん掃除をしていく。ネジ子は高速道路のところで下着を脱ぎ、さまよっているところ、一人の男佐藤慶と出会う。ふたりは制服の男たちに囲まれ奇妙な建物につれて行かれる。

これからやくざの出入りがあるらしいと男たちが集まっている。奇妙な詰め襟の男たちもいる。やたら、抱いて抱いてとせまるネジ子がだんだんうっとうしくなる。

テレビで白人が猟銃を持って無差別殺人をしているらしい。

とまぁ、なんとも訳の分からない展開で、物語もあるようなないような、ほとんど理解の域を越えているのである。ただ、画面の構図は時にドキッとするほど計算されたカットがみられたりするから、明らかに大島渚監督の映画だと理解するが、そのメッセージが最後まで見えてこないのです。

結局、やくざの出入りもなくなり、詰め襟の男たちもどこかへ消え、しばらく男たちは殺すの、やめるのと押し問答を繰り返すが、結局、銃を持って、残った男たちは白人の狙撃手に合流し、警察を相手に銃撃戦を始める。しかし結局みんな殺されていく。17歳の若者に扮した田村正和が本当に青臭いのがおもしろい。

最後にネジ子と佐藤が残り、二人は警官の前でSEX。「無理心中やな」という台詞でエンディング。冒頭のタイトルがしろ抜きだったのに対し黒抜きのタイトルがでて終わる。

最後まで必死でそのメッセージを探ったが、結局理解しきれなかった。解説によると、学園紛争の行く末を暗示したのだそうであるが、さすがに今みるとほとんどその主題は浮かんでこない。まぁ、これもまた大島渚の作品なのだと納得せざるを得ない一本だった。