くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「カルテット!人生のオペラハウス」「儀式」

カルテット!

カルテット!人生のオペラハウス
ダスティン・ホフマン監督作品として、ちょっと気になる一本をみました。

これがなかなかの映画でした。傑作とまではいかないけれど、小品ながらちょっとした秀作でした。
ストーリーテリングが実にうまいのです。

映画が始まるとオペラ「椿姫」の曲にあわせて、この作品の舞台になる音楽家だけの老人ホームビーチャム・ハウスが映し出される。曲にあわせてテンポよく室内を移して、それぞれの人々のショットをとらえていくファーストシーン。それにかぶるタイトルが本当に心地よい。

そして、本編にはいると、この物語の主要人物がさりげなく紹介されていって、その個性も丁寧に描写される。そこへ、かつての大物オペラ歌手ジーンがやってくるのである。

実はこのホームには彼女のかつての夫レジーが入っていて、彼との苦い思いでのあるジーンはことあるごとにホームにとけ込もうとしない。しかし、このホームは半年後に控えた演奏会ガレに成功しないと閉鎖の危機にみまわれるのである。

ジーンがやってきたことで、かつてのカルテットメンバーだったシシー、ウィルフがもう一度カルテットを組んでガレで歌おうと提案、しかし、ジーンはかたくなに拒否する。

背後にオペラの名曲を流しながら語られる物語が本当に心に素直に響いてくるおもしろさもいいのですが、せりふが実にすばらしいのもこの作品のいいところです。

もともと、ロナルド・ハーウッドの戯曲を自ら脚本にしたものなので、元々あった名せりふなのでしょうが、その挿入場面が絶妙で、そうしたせりふの数々に、そのシーンが生き生きと浮かび上がるから見事。

「あなたが、人生の主役になれるのはあとは葬儀の時だけよ」とシシーがジーンを説得する場面や、クライマックスにかけて次々と語る名せりふに、どんどんラストシーンに引き込まれていく。

ちょっと、痴呆のかかったシシー、いつまでも男性ホルモン満載で品が悪いが憎めないウィルフ、不器用だが、今なおジーンを愛する誠実でまじめすぎるレジーと、それぞれの主要キャラクターの性格付けもきっちり描かれている。

ほとんど無駄なカットやシーンをそぎ落として、ハイテンポで先へ先へ進む物語は、老人ばかりで華やかさが少ない画面なのに、どんどんそのテンポの良さに乗せられてくる。

シシーがジーンのところへお花を届けに行ったところで、ジーンが感情的に花を投げつけ、シシーがワゴンに衝突して転倒。その出来事で、ジーンは自分の行為に反省しカルテット参加を承認する。
そして、ガレの演奏シーンへ小気味良く流れていくクライマックスのリズムの良さはすばらしい。

楽屋で、かつてのジーンのレジーへのこだわりがさらりと解けて、いよいよ四人の舞台の出番の直前、レジーが「結婚してください」とジーンにつぶやいて手を握る。ここで、いつの間にか涙がでてしまいました。

そして、人生の幕がもう一度開くように四人は舞台に立つ。カメラはホームの外にでて俯瞰で建物をとらえ、四人の歌声がかぶってきてエンディング。うまい!このラストの映像感性には頭が下がります。

もちろん、プロのオペラ歌手ではない四人の名俳優に口パクさせるのがはばかられたと言えばそうかもしれませんが、うまく処理しましたね。

名優必ずしも名監督とならないところですが、初監督作品にしては良質の一本に完成していたと思います。良かったです。


「儀式」
なるほど、これは傑作でる。様式美を徹底的に追及し、そこに戦後の日本の旧家のしきたりや家族関係の矛盾を問題意識として突き詰めていく。さらに、戦争に対して、国家権力に対しての風刺さえも盛り込み、大島渚ならではのメッセージも訴えかけてくる。ある意味、大島渚作品の一つの頂点かもしれない。確かに映像美の点では私は「愛のコリーダ」が頂点だと思うが、問題意識の提示やアイロニーをもしっかりと盛り込んだ作品となるとこの「儀式」が上回ると思える。その意味で、大島渚監督の作風のバランスが一番良く完成された作品だと思えます。

美術演出については、桜田家の空間演出がずば抜けてすばらしいし、美しい。日本的な家屋としてセットされているが、そこに家庭的な部分はいっさいない。どこか神格化された神殿のような巨大な広間が、ある時は葬儀の場として、ある時は結婚式の場として、そしてある時は家長の理不尽な振る舞いの場として、そしてまたあるときはらんちき騒ぎをする親族たちの修羅場の舞台となる。

これまで大島渚監督作品で描かれてきた様々なメッセージが次々と、こういった舞台で描かれていく。その圧倒的な展開に、次第に言葉がなくなってくるのである。

物語は主人公満州男が輝道から自分が死んだという一通の電報によって、満州男と律子が東京から故郷の鹿児島へ帰るところから映画が始まる。

その途上で、過去が回想され、古い因習の中で異常な人間関係になっている旧家に育った自分たち、周辺の人々の姿が描かれていく。

ラストは、たどり着いた輝道の家で全裸で死んでいる輝道を見つけ、少年時代の満州男の姿が被さって、シュールなエンディングを迎える。

感性のみで映像表現する部分と、執拗なほどのストレートなメッセージを訴えかける場面、さらにシュールな展開で描かれる場面など多彩な表現が満載の展開をする。大島渚の才能を駆使した作品として完成されており、やや取っつきにくい個性もあるが、見事な一本でした。