くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「スカイラブ」「ホーリー・モーターズ(再見)」

スカイラブ

「スカイラブ」
その寿命を終えて、地球に落下してくる人工衛星「スカイラブ」をその題名に選んだ、とってもファンタジックな群像劇です。

列車に乗り込んでくる両親と子供二人の四人のふつうの家族。指定された席が二人ずつのバラバラなので四人掛けのいすを譲ってもらおうと、乗客に頼むが拒否され、ぼんやりと窓の外を見る母アルベルティーヌ(アンナ)。画面は彼女のアップからそのまま彼女の11歳の少女時代にさかのぼる。

父方の祖母アマンディーヌの誕生祝いに向かう列車の中に場面が移る。時は1979年。人工衛星スカイラブが落下してくるというニュースの中、次々と家族が集まってきて、昼食会がはじまる。

この導入部がとってもファンタジックで、ちょっと小太りながら、必死で大人になろうとするおませなアンナがなんと言っても愛くるしい。ちょっとぼけ気味の叔父さんの行動が、群像劇の合間にスパイスを生み出し、細かいカットの繰り返しで描いていく会話の応酬がテンポよく1970年代の世相を映し出していく。

当時の政治や人々の考え方をさりげない会話の中に盛り込んで、主人公アンナのほのかな初恋さえも切なく挿入した脚本がとっても好感なのです。

監督は女優でもあるジュリー・デルビーと言う人で、女性らしい感性が生み出すちょっとレトロで甘酸っぱい懐かしい時代が、国が違うにも関わらず不思議と胸に伝わってくる。

やがて、パーティが終わり、それぞれが帰っていく。駅で見送る列車のシーンにハイスピードの最新の列車が走り抜けて一気に現代へ。どうしても席を替わってほしいアルベルティーヌがごり押しして席を強引に変えさせ、そのまま家族がトランプを始めてエンディング。何ともわがままな母親だが、これもまたこの映画の味として許してもいいかもしれない。

不思議と懐かしい思いに胸が熱くなる佳作で、今回のフレンチ・フィメール・ニューウェーブの三本のうちで私は一番好きな一本になりました。


ホーリー・モーターズ」再見
あまりにも、評価が高い上に、始めてみたときに、自分的にも全く歯が立たなかったという悔しさから、今回はパンフレットもかって、万全の予備知識でもう一度見に行きました。

なるほど、これはいわゆる映画の歴史の中での一種のエポック・メイキングな作品なのであると納得。
レオス・カラックス監督のたぐいまれな感性が生み出した一つの映像表現なのである。だから、今までの尺度ではおしはかれない。

この映像を受け入れるには、つまり、SF映画で言えば、「2001年宇宙の旅」「スター・ウォーズ」が登場したときの度肝を抜かれる出来事として、映画の歴史の新たなるページを垣間見るものなのである。

決して、娯楽ではないし、かなりの映画の知識もあって初めて理解ができる映像、レオス・カラックスの遊びが見えてくる。観客を無視したという意味では、映画としてはあまりほめられるものではないかもしれないが、それでも、このオープニングからエンディングに至る、めくるめくような陶酔感は並のレベルでは受け入れがたいものなのである。

古いフィルムを見る顔のない観客、そのシーンが終わると、レオス・カラックス本人がベッドに横たわり、傍らに白い犬が寝ている。そして、壁を押し破ると映画館の客席。ゆっくりと犬が歩き、カラックス本人が入ってくる。

カメラが引くと巨大な邸宅。まるで船のデッキを見上げたような様相である。そして、物語?が始まるのである。

次々と別の人物を演じていくオスカーという人物は、いわば遠い未来か、近未来の社会に存在する職業なのである。未来の人々が、こうした架空の人物の間で生活をし、架空の人生を繰り返し繰り返し生きているという設定なのか、様々な想像が入り乱れる。

最初にリムジンが走る高速道路は「惑星ソラリス」のファーストシーンであり、クライマックスでオスカーがかつての妻に呼びかけるショートカットの女性ジーンは、ゴダールの「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグだ。さらに、最後のアポで自宅に戻るところで、出迎えるチンパンジー大島渚監督の「マックス・モン・アムール」である。

それ以外にもレオス・カラックス監督自らの作品へのオマージュも頻出、ラストにいたって、運転手セリーナは白い仮面を付けて消えていく。これ以上の説明は誰かが説明しているので省きますが。

そういったオマージュの数々をレオス・カラックスの独創的な感性で映像として紡いでいくのだから、難解を通り越して形而上学的な観念の世界へとたどり着く。そして、この映画はただ、感じればいいのであり、展開を追いかけるものではないと気がつけば、この作品のものすごさにふれることができるのである。ある意味、並の映像作品と全く違った次元にあるものである。その意味では大傑作かもしれません。