くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「魔女と呼ばれた少女」

魔女と呼ばれた少女

紛争の耐えないコンゴ民主共和国を舞台にした、一人の少女の残酷ながら、人間の生と死に焦点を当てて見事に映像として描いた、アカデミー外国語映画賞ノミネートの作品を見てきました。

物語の展開は非常に幻想的なショットがたくさん挿入されているのに、あまりに衝撃的なストーリーが語られていく。しかし、その衝撃的な物語がこの映画の中では、リアリティを通り越して普通の世界に見えるのだからある意味、ぞくっとしてしまうのです。

映画はいきなり主人公の少女コモナが、おなかの赤ん坊に語りかけるシーンに始まる。しかも「私はあなたを愛することはできない」と断った上で、彼女はあまりにも残酷な物語を語り始めるのです。

12歳、この主人公コモナがその年齢の時に悲劇が始まる。反政府軍のグレートタイガーの部隊がコモナの村を襲撃、そして、その部隊長はコモナに両親を銃で撃ち殺すように命ずるのです。おそらくコモナの両親が反政府軍の敵と見なされた為なのでしょうが、そんな説明など全くなく、実の娘に両親を殺させる。両親はためらうコモナに「銃を撃て」と言い、コモナは引き金を引く。そして、コモナは反政府軍へ。

反政府軍で行動をともにするコモナは、ある樹液を飲んでからというもの、幻覚で、両親を始め死んだ人々が見えるようになる。しかも、政府軍が待ちかまえている場所がわかるようになるのです。このあたりは、あえてシーンで説明するのではなく、コモナの独り言と会話の中に描写していく。

コモナをことあるごとに味方するのが、金髪の少年マジシャン。いつも行動をともにする二人の間に何かの感情が生まれた様子が見て取れます。

やがて、コモナは魔女と呼ばれるようになり、グレートタイガーの部隊で重宝され、そのリーダーであるグレートタイガーから銃を送られ、グレートタイガーの魔女として行動するようになる。

特に際だった映像ではないのですが、埃でかすんだような落ち着いたカラーで統一し、殺伐とした映像と、コモナの独り言で物語が描かれていく。それもくどいわけでもなく、淡々と進んでいくのも、ある意味非常なリアリティを生み出すのです。

13歳、コモナとマジシャンたちが政府軍を迎え撃ったあと、マジシャンはコモナに、一緒に逃げようと言う。いずれグレートタイガーは魔女を殺す。今までもそういうのをみてきたと語るのである。

死んだ人々が白塗りの顔になってコモナの前に現れるのも、全く不自然なく、当たり前のように存在するショットが次々とあらわれ、樹液による幻覚かと思えるが、幻想的な映像として作品に深みを与える。

そして、マジシャンはコモナに結婚を申し込むが、コモナは「白い雄鳥を見つけてきて」と難題を与える。マジシャンが一生懸命雄鳥を探し、みんなに笑われながらもとうとう見つける下りが、とってもピュアでほほえましいシーンとなる。この中盤の展開が物語全体の悲惨な世界をひととき和ませるという構成のうまさはみごと。

マジシャンは信頼する、肉屋と呼ばれるおじさんのもとにコモナをつれていき、二人は結ばれる。いつ死んでもしかたない毎日で、銃を片手に走り回る二人にも関わらず、コモナの難題をかなえるまで二人は抱き合わないという余りに純粋なラブストーリーがまたいい。

ところが、グレートタイガーの部隊がコモナたちをみつけ、マジシャンは殺され、コモナは再び部隊へ。そして、部隊長の慰みものとなるコモナは、自分の体内に毒の実を仕込んで部隊長を殺す。そして、肉屋の叔父さんのところへ逃げるのである。コモナのおなかには部隊長の子供が宿っている。

14歳、夜になると幻覚を見、両親を埋葬しないとこの幻覚は消えないと判断したコモナは肉屋のおじさんの元を離れ、自分の村へ。途中、一人で赤ん坊を産み落とし、村に帰って埋葬し、もう一度、肉屋のおじさんのところへ戻るべく、通りがかりのトラックに乗ったシーンでエンディングとなる。

私にはほとんど知識のないコンゴ共和国の現状を背景にした、一人の少女のわずか二年の残酷な物語なのですが、生きると言うことの意味、生と死のメッセージをしっかりと描ききったカナダ人の監督キム・グエンの手腕はすばらしいものがある。

厳しい現実に生き、当然のように銃を撃つ少女、しかし、一方で淡い恋にも心を揺らす乙女でもある。現実の厳しさと、切ない物語が切々と訴えかけてくる人間ドラマのすばらしさに、いつの間にか画面から目を離せない自分がいました。良い映画でした。秀作ですね。