「河口」
これまたすばらしい傑作。一見軽いタッチのコメディ風のお話なのに、シリアスに近いくらいのハードボイルドな女と男の物語に引き込まれてしまいます。
特に、山村聡が珍しく、小間使いのような存在でありながら、実は切れ者の男を演じるのが最高であり、主人公を演じる岡田茉莉子の颯爽とした存在感も見事というほかないのです。
映画は岡田茉莉子扮する季枝が、これから、かつて自分を囲った宮原という男の葬儀にいくかどうか迷っているシーンに始まる。霊前の写真が季枝に語りかけて、物語は季枝が宮原のところにやってくるシーンへさかのぼる。
宮原の相談役的な竹林という山村聡演じる器用な男に相談しながら、やがて、宮原と別れ、画商を営むようになる。一見、お気楽なようであるが、絵を見る才能に優れ、人を見る才能にも優れ、世渡りの濃いも薄いも見分ける竹林のアドバイスの下で、次々と男遍歴を繰り返していく季枝の物語が、実にすばらしいのである。
最後の最後に本当に一人の男司を愛して、一緒に旅行に行こうとする季枝だが、すんでのところで、司が奥さんとアメリカに行く話を竹林にされて、旅行を思いとどまり、これから新たな人生をいきようと河口に立つ帰依のシーンでエンディング。
横長の画面の中央に凛として立つ季枝の存在感のすばらしさ、クライマックスで、季枝の心の変化に画面は一気に斜めの構図を多用し、竹林のやや中性的な存在感に深みを与えられて一つの新たな人生へ向かう。
これがいわゆる、傑作と呼べる一本。見事でした。
「ボロ家の人々」
これはもう、どたばた喜劇の珍品。とりとめのない、なんでもあり、どこへ行くのという展開で見せるたわいのない一本でした。
佐田啓二扮する主人公?五味がチンチン電車の中でスリを見つけ、そのすられた男不破と飲むのだが、実はこの男も文無しで、自分のアパートだという家にやってくると、妙な住人が次々とこのボロ家に集まってくる。
そこで起こるどたばた騒動が物語の中心だが、支離滅裂にお話というかエピソードがその場限りでどんどん膨らんでは次の展開と、まとまりが全くない。
とはいえ、俳優陣は有馬稲子やらの中村登作品の常連がしっかりとでてくるのだからこれも古き日本映画ですね。
結局、どたばたの末にこのボロ家は取り壊されて、みんな散り散りにハッピーエンドと、なんのことはないラストシーンにあきれる映画でした。
「暖春」
これはもう白眉の傑作、素晴らしい名作を見たという感動に、自然と涙があふれてきました。こういう映画がまだまだ埋もれているのかと思うと、うれしくなってくるような素晴らしい映画でした。
一軒の小料理屋の表から画面が始まる。スポーツカーが止まっていて、そそくさとせわしない一人の男梅垣のぼんなる青年が出入りしている。そこへ山形勲扮する山口が訪ねてきて、実はこの小料理屋の女主人佐々木せいの知り合いだということで、奥へ入る。そしてこの家の娘で岩下志麻扮する千鶴が帰ってきて物語が始まる。
この山口は千鶴の父親と緒方という男と三人が大学時代の親友同士で、かつて舞妓だったせいの旧知の友人でもある。そのため、千鶴も山口をおじさんと呼んで親しんでいるのである。
東京へ出て見たい千鶴は山口に頼んで東京へ行くことになり、そこで自動車会社の重役になっている緒方のおじさんとも再会。そこに、緒方の会社の長谷川なども絡んで、千鶴の本当の父親は実は?というようなエピソードや、長谷川の恋人のエピソードを絡め、千鶴の物語が進んで行くのである。
なんと言ってもすばらしいのは岩下志麻の演技であり、初めての東京で、長谷川に連れられて深夜まで飲み歩き、緒方の妻あや子に絡むシーンのかわいらしいことといったらない。和服を着ると目の覚めるほどの美人であるのに、愛らしいほどにかわいい女を見せるこのシーンの素晴らしさは絶品。さらに、夫の女遍歴を何事もないようにいなす山口の妻ふみ子を演じる三宅邦子も見事なもので、ちらちらと鋭い視線を送って、ぴりぴりした演技の中にどこか暖かい視線を見せるあや子を演じた乙羽信子にしても絶品。
さらに、山形勲や緒方を演じた有島一郎のちょっと知的な存在感も作品全体を非常に上品な大人のドラマに仕上げている。
一見自分の父親のことを気にしない風の千鶴だが、さりげなく母親に「本当の父親は?」と聞くあたりの揺れ動く女心の描き方もすばらしい。
成島東一郎カメラもまた素晴らしく、どぎつい色彩を極力押さえた落ち着いた中間色で統一された画面がなんとも上品な作風を頼際立たせるのだからもう言うことなし。
一歩間違うと、ただのいけ好かない若者にしかならない長門裕之扮する梅垣のぼんもまた、一歩引いた演出で非常に好感度抜群の存在感をみせ、終盤で小料理屋を切り盛りした後で、あっさりと帰って行くあたりは、これが本当に人の心を知った監督の演出の才能だとうならせます。
そして、クライマックス、千鶴と梅垣のぼんの結婚式のシーン。山口と緒方が自分の娘のように千鶴を見つめ、そんな男ふたりの若き日の女遊びを暖かく、落ち着いた貫禄で見守るそれぞれの妻の存在感、さらに千鶴が母に最後の挨拶をする場面の品のよいカメラアングル。このあたりからは、自然と涙が頬を伝い、なんともいえない作品の完成度に感動するとともに、それぞれの人物の物語になんともいえないドラマを感じて、さらに胸が熱くなる自分がいました。
非の打ち所のない作品、映画、というのが時々ありますが、そんな作品に出会った気がします。名作、傑作、これこそが日本映画の真髄です。