くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夕陽に赤い俺の顔」「さらば拳銃 みな殺しの歌より」「草

夕陽に赤い俺の顔

「夕陽に赤い俺の顔」
寺山修司脚本、篠田正浩監督作品
早いテンポと細かいカットでどんどん見せるストーリー展開のおもしろさに加え、一見シュールだが、とってもコミカルな設定、登場人物のおもしろさ、奇想天外な物語構成にどんどん引き込まれてしまう。

その上、サイケデリックな色彩で演出された画面と、独特の構図でとらえるカメラアングルは、まさに篠田正浩の才能のみでなく、寺山修司の世界であると実感してしまいます。とっても魅力的なアクションコメディの傑作でした。

映画が始まると一人の少年が頭にリンゴを乗せている。そのリンゴに向かって次々と妙な出で立ちの殺し屋らしい人物がピストルやらナイフや等でリンゴを撃っていく。

最後に子供が倒れ、死んだと思わせるがにやっと笑ってタイトル。

水田建設の専務の部屋に呼ばれた殺し屋の元締め大上。殺し屋紳士録なる名簿からまるで組合組織のような殺し屋たちに仕事が振り分けられ、誰が仕事を請け負うかで、競馬の騎手の帽子を撃って決めることに。そこへ素人のガンマニア石田が見事打ち落としたからお話がからまってくる。さらに、水田建設の不正を暴こうとする雑誌の編集者岩下志麻扮する有坂が現れて、物語はどんどん走り出す。

真っ赤な夕陽や、俯瞰の階段、斜めの人物カット、黄色や赤の原色の服を着た人物たち、なにもかもがあふれんばかりの色彩で映像が作られていく。

結局、それぞれが撃ち合いになり、石田は実は覆面の刑事で、殺し屋集団の一網打尽と不正を暴いてハッピーエンド。

途中にちりばめられるウィットに富んだせりふの数々に、シュールな子供たちの登場、ばかばかしいほどの衣装に加えて、ひたすら遊んでいるようなおもしろさを見せる舞台演劇のようなカットも多用され、全く独創性の固まりのような楽しい画面が次々と現れる。とにかくおもしろい、そんな映画に出会いました。


「拳銃よさらば!みな殺しの歌より」
こちらは大藪晴彦原作のハードボイルドである。しかし、須川栄三の演出は寺山修司の脚本と相まって、独特のムードを作り出してくれます。

真っ暗な画面に男の会話が響いて映画が始まる。何かの穴を開くところで画面に光が射す。なんとそこは墓穴で、その穴をのぞく七人の男。どうやら彼らは銀行強盗をし、ここに金と、そのとき使ったピストルを隠したらしいが、開いてみるとない。仕方なく穴を閉じる。

場面が変わると空港へ刑務所帰りの一人の男恭介がやってきて兄貴の耕三の車に迎えられる。耕三の家に行き、懐かしい会話をしているところへ電話。耕三が夜の町にでていくと、路地で車にひかれてタイトル。

耕三の財布に入っていたロッカーの番号をたよりに恭介がロッカーを開くとそこに一丁のピストルが。耕三を殺した犯人は写真に写っている仲間だと思った恭介は、次々とその仲間を探して撃ち殺していくというのが本編。

モノクロームのシリアスな画面で切々と描かれていくクールな展開は、どこか日活アクションを彷彿とされる。

手にしたピストルで鳩を殺したために、刑事がピストルに目を付け、一年前の銀行強盗事件とからめて捜査を始める。例によって、びっこの元ボクサーとして仲代達矢
登場、最後まで恭介の信頼を得ているものの、最後に、サンドバックの中にある金を恭介に見せる。それは耕三が隠していた金である。そして恭介に殺され、恭介も自ら死を選ぶ。外には手がかりを見つけた刑事がやってきてエンディング。

フィックスでとらえるカメラが実に辛辣で、兄貴耕三を信じ、慕っている弟恭介のひたむきな行動をハードに演出していきます。なかなか見応えのあるアクション映画の秀作ではなかったかと思います。


草迷宮
寺山修司の映像詩の最高傑作と評価されるだけあって、実に美しい。物語はあるようでない世界であるが、画面から漂ってくる人並みはずれた映像感性のすばらしさに酔いしれることができます。

赤を基調にしたサイケデリックな様式美の世界ですが、シンメトリーなカットでとらえる古風な建物や室内の様相にレトロチックな登場人物の配置、そこに派手な色彩で彩られた画面の連続、そして時にシュールなジャンプカットを繰り返す展開のおもしろさは、映像芸術の本随であろうかとしびれてしまう。

決して商業映画ではないので、ドキドキワクワクではないけれども、あふれる才能の開花をみるような独特のおもしろさがあります。これも映画ですね。




「迷宮譚」「消しゴム」「一寸法師を記述する試み」
この三本はストーリーというより、フィルムを使った表現の可能性を追求したような作品で、ある意味実験的な意味合いが強いと思う。

寺山修司は要するの芸術家である。映画を表現形態の一つとしてとらえ、その可能性を求める中で自分のメッセージを伝えるための表現を模索する。

この三本についてはその意味で個別に感想を控えました。というか、私レベルの感性では語れないと思うのです。見ることに価値は十分ありますが、映画としての感想は書きづらい。そういう作品だったかと思います。