くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「スタンリーのお弁当箱」「25年目の弦楽四重奏」

スタンリーのお弁当箱

「スタンリーのお弁当箱」
踊らないインド映画というふれこみのハートフルムービーを見る。実際は歌のシーンもあるのですが、なんとも妙な気分になる映画でした。

非常に緩いし、シンプルな物語であるが、実にそのメッセージは辛辣なものがあり、かつ出口が見えないという、生々しいほどに切ない作品でもある。全体が黄色の色彩で彩られた演出が、かえって、インド映画を皮肉っているのかとさえ思えるほどにラストシーンはゾクッとするものがある。

脚本を作らず、セミドキュメントの形で描いたフィクションで、子供たちの生の視線をとらえながら、シンプルそのものの物語を細かいカットと、人物の表情をアップでとらえながら描いていく。

学校に通う少年スタンリーはみんなから慕われる人気者であるが、なぜかお弁当を持ってこない。友達みんなが彼に弁当を分け与えて毎日を過ごすが、ここにヴァルマーという、人の弁当を漁りながら文句を言い、持ってこないスタンリーを目の敵にするいけ好かない教師が登場する。そして、彼に反抗するべく子供たちは巧妙な嘘で彼を遠ざけ、スタンリーに弁当を分けるが、それもばれ、ヴァルマーから弁当を持ってこないなら学校へ来るなといわれてしまう。子供たちとヴァルマーのうその駆け引きが非常にコミカルなのだが、どこか陰惨なムードが漂うのが引っかかりながら先を見て行く。

そして、欠席が続くスタンリー。一方で、学生たちのコンサートが近づく。反省の色が見え始めたヴァルマーは学校を去り、コンサートでは大盛況のスタンリー。平和なエンディングかと思われるが、校長が彼を自宅に送りとどけると、実はスタンリーの両親は事故で死に、叔父の元で虐待されながら生活していた現実が写される。なんとも、ここまできてという展開に驚くが、残り物で作った弁当を持っていくようになり、学校では最後まで、母が作った弁当だとうそをつき続けるスタンリーのシーンでエンディング。

いったい、これはどういうものかと疑ってしまうのだが、嘘を突き通すスタンリーに対する切ない思いはわいてこない。ここに、インド社会の底辺の人々の現実が見え隠れする。スタンリーをどうしようもなく見守るだけの校長の姿も、まさにこの国の国柄と呼ばざるを得ない。

軽快なカットと切り替えし、さらに、一見コミカルな展開も見せるストーリーなのだが、なぜかすっきりしないのである。黄色を基調にした画面づくりは美しいが、スタンリーが慕う優しい女先生のほほえみさえもが、どこか冷たく見えてしまう。最後に労働をしているインドの子供たちの人数などがテロップされると、これが言いたかったかと納得してしまう。インドの格差社会の現実を突きつけたような何ともやるせない映画だった。


「25年目の弦楽四重奏
よく私は感想に、人間が描けていないと書くことがあるが、この作品はその人間の心がしっかりと描かれた秀作でした。とってもよかった。しかも、映画としての組立がお手本通りと呼べるほどに基本的にしっかりとされていて、作品として安定感があるのです。

フーガ四重奏という楽団の演奏が今にもはじまるべく四人の奏者が舞台に座り、お互いが目を合わせているシーンから映画が始まる。そして今にも演奏というところでタイトル。

最年長でチェリストのピーターの家で、まもなく迎える楽団の25周年に向けての練習が始まろうとしている。ところが、なぜかピーターの指が追いついていかない。最初はなくなった最愛の妻ミリアムへの想いがいえていないのかと思われたが、病院で初期のパーキンソン病だと診断される。

そして、ピーターは次の演奏会を最後に引退を決意するが、後任に知人のギリアムと組んでいるニナを推薦する。

物語の発端はピーターの病に始まるのだが、ここから、第二バイオリンのロバートがジョギング仲間で楽団のファンでもあるピラールという女性の一言で、第一バイオリンになりたいという野心が芽生え、さらにピラールと一夜を過ごしてしまう。

そのことで、妻でビオラ担当のジュリエットと溝ができてしまう。さらに、ローバートとジュリエットの娘で第一バイオリンのダニエルの指導を受けていたアレクサンドリアは、いつのまにか師であるダニエルに引かれ、愛し合ってしまう。

音楽に対して生真面目一本だったダニエルは、十数年ぶりの感情におぼれていく。

こうして、ピーターの病から発端した物語は、揺るがないものであるはずだった楽団の中に少しずつ波乱を生み出していく。そこに、ピーターがこの楽団に入るきっかけ、さらに四人の結成当時のビデオを見るシーンなどから、人物の過去が描かれていくにつけて、どんどん物語は深くなっていくのだ。そして、その過去のシーンを見るたびに、登場人物たちの心が溶けるように浄化され、新たな旅立ちへと成長していく様も見事に描かれているのである。

アレクサンドリアとダニエルの関係を知ったロバートは激怒し、一方で薬が効いて演奏ができるようになっていくピーターの思惑とそれぞれが逆行していく。

このあたりのストーリー展開の構成のうまさ、さらに、人物それぞれの心の変化や葛藤が実に見事に画面から伝わる。

雪をかぶった町並みや、レトロな橋のショット、向こうにそびえる古い建物から、彼方に見えるビルディング群など景色をとらえたショットも実に美しく、作品をさらに上質なものに変えていく。

そして、あわや楽団崩壊かと思われるシーンのあと、アレクサンドリアはダニエルに別れを告げる。

画面は冒頭に戻る。四人はこれから最後の演奏に入ろうとする。そして、それぞれが一つになり演奏を始める。激しい曲、静かな曲を丁寧なオーバーラップで映し出し、観客がどんどん引き込まれていく中、いよいよ佳境というところで、ピーターは演奏をやめるのである。そして、「これ以上はもう私はついていけません。後はニナ・リーにお任せします」と後任を紹介、自分は舞台を去るのだ。

このシーンは何ともすばらしい。そして、観客の惜しみない拍手の後、演奏が再開されるかと思いきやダニエルが、かつてロバートにすすめられるも堅くなに断ってきた暗譜による演奏をすべく、みずから楽譜を閉じる。ここで、ダニエルとロバートの確執も消える。ほかのメンバーも閉じ、やがて演奏が始まる。そして、四人の心は再び一つになっていくのである。

客席のアレクサンドリアの傍らにピーターが座り、じっと舞台を見つめて、再出発したフーガ楽団の姿を確認し、暗転、エンディング。

全く、見事な脚本である。もちろん、フィリップ・シーモア・ホフマンクリストファー・ウォーケンら熟練俳優による演技もすばらしいが、一つ一つを実に基本に則った教科書のような展開で演出していくヤーロン・ジルバーマンの手腕がさえる。なかなかの秀作でした。本当によかった。