くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「青春の夢いまいづこ」「東京の女」「母を恋はずや」

青春の夢いまいづこ

「青春の夢いまいづこ」
学生時代を描いたサイレント映画である。
主人公になるのが堀木商事の社長の一人息子の哲夫。友人の三人の学友と彼らのマドンナになる学校の向かいの洋食屋の娘お繁とのたわいのない物語であるが、屈託のない展開がサイレント時代の小津安二郎の個性を的確に映し出している。

学生が座ってテニスの試合を見ているシーンから映画が始まる。そして、応援している応援団の陽気な学生たち。彼らはある意味、悪友である。試験になればカンニングをし、先生に反抗し、近くの洋食屋の娘お繁をマドンナのように慕っている。

ある日、堀野の父が突然なくなり、堀野は学校を辞めて社長を継ぐことになる。やがて、友人たちも大学を卒業し就職活動するが、元来成績優秀でもない彼らは就職先も見つからず、悪友たちは堀野に就職を頼む。かつては学友として親しかった彼らもどこか社長として接してくる友人たちの態度が妙に寂しい。

そんな折り、お繁ちゃんも堀野の会社に就職させることになり、かつての想いを遂げて、堀野はお繁ちゃんと結婚しようとするが、実はすでに斎木と婚約をしていた。

一度は堀野に気のあったお繁であったが、大学を辞めてから、まさか再びあいまみえると思っていなくて、遠い存在だったと聞かされ、いつも後からついてくるような内気な斎木に引かれていたと打ち明けられ、さらに寂しい思いになる堀木。

友人同士でお繁ちゃんのことも交えて語り合うクライマックスががちょっと切ないながら、ひとときの青春ドラマとしてほほえましいほどに心を打つ。

これもまた小津作品の一本として鑑賞する一本、奥行きのある構図は多々見られるものの、まだまだ、完成の域には達していないが、小津安二郎ならではのユーモアと切なさ、社会に対する視線も見え隠れする映画だったかなと思います。


「東京の女」
仲のよい姉ちか子と弟良一が会話しているシーンに映画は始まる。手前にストーブを配置し奥に人物を配置する奥行きのとるカットが多用される。

良一はこれから学校へ行き、帰りに恋人の春江と会うという。姉は商社に勤め、その後大学教授の家で翻訳の仕事もしているらしい。ところが、姉の会社に警察が調査にくる。勤勉な姿を聴取して帰るが、なにやら不穏な空気が漂う。

春江が活動写真から帰ると警察に勤める兄が良一の姉の仕事のことで悪い噂があると告げる。大学教授のところへ行っているのではなく、いかがわしい飲み屋で働いているというのだ。さらに耳打ちするシーンもあるが、そこのせりふは最後まで不明で、売春をにおわせているかもしれない。

春江はそのことを良一の姉に伝えるべく出向くが、ちか子は不在、良一にそのことを告げるとけんもほろろに追い出される。しかし、その日も遅くなる姉に不審を持った良一は姉を問いつめ、真相を聞き出す。良一の学費のためというものの、姉を許せない良一は飛び出す。

ちか子は春江のところにやってくるが、良一は行方不明。春江の兄から、良一が自殺したと連絡が入る。

新聞記者が春江とちか子を取材にきて、そのあと、特ダネにならないと外にで、彼方へ歩いていってエンディング。

春江に電話が入るシーンで、電話のある家が時計屋で時計がびっしりと並んでいて春江の胸騒ぎを描写したり、良一が飛び出して夜の町を歩くシーンで足のショットが写されたり、ラストで新聞記者が電信柱の張り紙を見たりと、テクニカルなシーンがたくさん見られる。ラストシーンがわかりにくいのはおそらくすべてのフィルムが現存していないためだろう。ハイレベルの映画と思えるのに残念な一本でした。


「母を恋はずや」
これはなかなかの秀作でしたが、残念なことに最初の一巻と最後の巻がないと言うことで本当に残念。

まず保管したテロップが流れる。梶原家の団らんのシーンにみんなで千里が浜へ出かけようと言う話がまとまるが、会社へ出かけた父は突然倒れる。学校へ行っていた貞夫と幸作の兄弟も呼び戻される。教室のシーンからフィルムが始まる。

インサートカットが多用され、手前に物を置いて奥に人を配置してシーンが展開する奥行きのあるシーンが随所に見られる。しかも、雪の場面や雪見障子をあけてカメラが部屋の中を撮ったり、その後締めて障子だけ写したりとかなり技巧的な演出も多々見られる。

物語はこの二人の兄弟とその母千恵子、そして裕福な家庭の没落の物語である。時間がどんどん過ぎていくハイスピードなストーリー展開で、学校から家に帰った兄弟が父の死を知り、父の友人の小父さんとの親交、母との心温まる物語が続く。まもなく兄弟は大学へ行き、二人の仲の良さも描写される。

しかし、次々とシーンが変わり、兄弟が成長するにつれて家を引っ越して、少しずつ小さな家になっていくのである。そして、最後には、家のそばに小さな電車が走る小振りな家にたどり着く。そのころには小父さんも死んでいない。

実は兄貞夫は母の実の子供ではない。何かにつけて実子幸作と比べられているように気にする兄弟だがもちろん母にそんなことはない。母は泣き虫ですぐに鼻が赤くなると兄弟で心配しているせりふもでてくる。

兄貞夫は予科聯に入学の時に戸籍を見て、自分の素性を知ったものの、母の真摯な説得に納得し、その後、弟には気づかせないように心配りして暮らしていくのである。

ある日、幸作が兄の貞夫ばかり大切にすると母にくってかかることがあり、それまで兄が隠していた戸籍のことが知られる。そして、兄は自ら身を引くべく悪態をついて家を飛び出すのだ。

事情を知った弟は兄を連れ戻すべく奔走するも兄はがんとして答えず、場末の飲み屋の女のところに寝起きする。そこに掃除婦でいる飯田蝶子扮するおばさんが、最初に貞夫の大学仲間を助けにいたときもいたのだが、非常にさりげないショットにものすごい存在感を見せるのである。

そして、迎えにきた母も邪険にした兄にたいし、初めて忠告めいた一言をこの掃除婦は言うのだ。と、フィルムはここまでらしく、このあと兄は自宅に戻り、ハッピーエンドになった旨のテロップが流れる。

仲のよい兄弟の姿と、母を慕う姿が実に胸熱くなる描写でひしひしと伝わってくるし、母が見せる子供への愛情も非常に暖かい。この母子の人間的な暖かさの物語とは裏腹に、没落していく大家族の裏寂しさも実に見事に描かれていて、無人のインサートカットや景色を巧妙に挿入し、その場その場の人物の生活場所の描写などが巧妙ですばらしい。

完全版が存在しないのが本当に残念な作品だった。