くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ニューヨーク、恋人たちの2日間」「反撥」

ニューヨーク恋人たちの2日間

「ニューヨーク、恋人たちの2日間」
とってもハートフルなラブコメディの秀作。ジュリー・デルピー監督の映像センスの良さに終始楽しいひとときを過ごすことができました。

昨年みた「スカイラブ」の監督作品で、「パリ、恋人たちの2日間」の続編ということらしいが、前作はみていない。

映画は人形劇で、主人公マリオンがこれまでの恋物語を語るところから始まる。今はニューヨークに住んで、ミンガスという黒人男性と同棲、それぞれに子供がいる楽しい毎日を送っている。前作の彼氏ジャックとは別れたらしい。

そこへ、パリから父ジャノと妹のローズ、さらになぜか妹の彼氏でマリオンの元彼のマヌーがやってくる。空港で大量のソーセージを持っていたために足止めを食らった後我が家へ。

それぞれ片言のフランス語、片言の英語でちぐはぐながら機関銃のような会話の応酬で描かれていくハイテンポなコメディシーンが実に楽しいし、音楽のリズムに乗せてカット編集していく映像のリズム感もとにかく軽快そのもの。

時折、数カット挿入するニューヨークの町並みが実に美しく撮られているし、ポンポンと先へ先へ進む何気ないストーリーにどんどん引き込まれてしまうのです。これはもうジュリー・デルピーの才能のなさるもの以外にないセンスの良さですね。

勝手放題の父とやや露出強で無頓着なローズ、さらに何かニューヨークを勘違いしているマヌーに振り回されながら、ミンガスとマリオンは必死で自分たちの生活を崩すまいとする。この奮闘ぶりも楽しいが、決して、それぞれの子供たちをないがしろにしない行動もとっても暖かいものがある。

体調の不調が妊娠と思ったマリオンは検査薬でテストするが陰性とでたので捨ててしまう。しかし、反応に時間がいることを知らない。

とうとう我慢できなくなったミンガスの提案でマヌーたちを追い出すことにしたところが、マヌーは警察署の前でマリファナを吸って本国送還、ローズと父がマリオンたちの子供を連れて公園へ。

一方写真の個展はうまく行かなかったマリオンだが、魂は売ることに成功。しかし、その後具合が悪くなったマリオンが魂の買い主を捜すと、なんとヴィンセント・ギャロで、彼は股間に大切にしているという。そんな彼とすったもんだして返してもらおうとしたら、彼はそれを食べてしまう。

失意の中帰宅、父とローズとマリオンは子供を連れて公園へ。残ったミンガスがトイレに行くと、なんと捨てられている妊娠検査薬は陽性に。あわててマリオンを追いかける。マリオンは公園で、絡まって動かなくなった鳩を逃がしてやり、母の魂を解放してやる。

自由になった鳩はマリオンを苦しめた批評家などに糞を落として回るという何とも楽しいクライマックス。

そしてその七ヶ月後、マリオンとミンガスに子供が産まれ、ローズにはニューヨークで彼氏が見つかり、マリオンたちはパリへ行きましたとさ、と人形劇で語るマリオンのシーンでハッピーエンド。

鳩を逃がすところでスローモーションになって、物語と映像のリズムが一気に大団円に流れていくリズム転換が実にすばらしい。ニューヨークのビル群が太陽の日差しにきらきら光るショットが挿入されてラストシーンへ。このあたりのセンスの良さには頭が下がる。女性ならではの繊細な映像とリズム感が生み出す一級品のハートフルコメディでした。良かったです。


「反撥」
目のクローズアップ、斜めに入ってくるクレジットからメインタイトル。そして、カメラがゆっくりと引いていくとカトリーヌ・ドヌーヴ扮するキャロルのショットになる。

こうして始まるこの作品、ロマン・ポランスキー監督の心理サスペンス映画である。

ベッドの上に目を覆われ、なにやら塗られた人間が横たわっていて、その人の手をキャロルが握っている。横たわっている人は死んでいるの?と思ったとたん、声を発する。ここはエステサロンのようである。

導入部から異様なカメラアングルで見せるポランスキーならではの演出に、一気にこの何かをにおわせる物語に引き込まれていく。

キャロルは姉のヘレンと二人でアパート暮らし。ヘレンにはマイケルという恋人がいて、アパートに連れ込んでは情事をむさぼる。潔癖性なのか、男性の歯ブラシなどがあるだけで異常な嫌悪感を見せるキャロル。いったいなぜ彼女はこれほどまでに異常なのか。

キャロルにもコリンという恋人がいるが、なぜかキスをしたら家に帰ってうがいをしないとたまらない。どうみても普通ではないのである。しかし、コリンはキャロルに夢中の様子。

時として、空を見つめるキャロルのシーンが繰り返され、不気味なショットが続く。

そんな状況でヘレンはマイケルと旅行に行ってしまう。一人になったキャロルは、次第に精神に異常を来し始めるのである。

洗面所の鏡に一瞬映る男の姿。壁が突然ひび割れる。ドアの外に人の気配。そして、キャロルは見知らぬ男性に襲われるのだ。もちろん、妄想?である。

食べ物も食べられず、台所の芋は芽をだし、焼いた鳥はテーブルの上で腐敗し始める。エステサロンでも失敗し、無断欠勤を始める。

どんどん緊張感が高まる中、心配したコリンが訪ねてくる。極限状態のキャロルは思わずコリンを燭台で殴り殺してしまうのだ。そして浴槽に沈め、ドアを釘で打つ。壁がゆがみ、粘土のようになる。次々と壁が裂ける。外に聞こえる鐘の音、雑踏の中で、突然ベッドの中に男が現れキャロルを襲う。完全に狂っていく。

アパートの家主がやってくる。家賃の催促だが、金を受け取るも、ネグリジェ姿のキャロルにそそられて思わず押し倒す。ところが、キャロルはカミソリでその男を滅多切りして殺してしまう。

壁からいくつもの手がでてきて彼女をつかむ。オーバーラップして外は雨である。その中をヘレンたちが戻ってくる。そして家にはいると異常な状態の室内。そして、ベッドの下に放心状態で倒れるキャロルを発見。完全に放心状態で屍のようなキャロルをマイケルが抱きかかえて外へ。カメラはゆっくりとかつてキャロルたちがブリュッセルで撮ったという家族写真へ。カメラがキャロルの姿に寄っていく。彼女の目がなにやら横をにらんで見つめている。その先にいるのは父親か?彼女が潔癖性になった原因を暗示するようなラストシーンで暗転エンディング。

さすがにこの手のサスペンスホラーを描かせると独特の手腕を発揮するのがロマン・ポランスキーである。ドアの向こうを開いた画面の構図や、ドアの向こうにたつ隣人のショット、町中に聞こえる雑踏の音などを効果的に挿入した緊張感あふれる演出が際だつが、それよりも、「シェルブールの雨傘」のイメージが濃いカトリーヌ・ドヌーヴがこういうサイコホラーに登場することが一種の見所でもある作品でした。