くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「スマイル、アゲイン」「第七の封印」

スマイル、アゲイン

「スマイル、アゲイン」
前作の「幸せのちから」でもそうだったが、なんともこのガブリエレ・ムッチーニという監督はストーリーテリングの才能に乏しい人である。しかも、今回、脚本もなってないので、さらにひどい。特に中盤までが見ていられなくなってくる。

プロサッカーのスター、ジョージが活躍すする試合のシーンから映画が始まり、けがで引退するところで物語は本編へ。

引退後、それまで家庭を顧みていなかったために愛する妻ステイシーと離婚、週一回、息子のルイスと会うことぐらいしか今のジョージの生活にはなにもない。近年のあまりか映画の特徴として、本編の話を膨らませるために必ず家庭不和の主人公という設定である。いったい、結婚の時の神父の前での誓いは何なのかと思う。

という現状から始まるのに、いったい彼はこの数年、どうやって生活していたの?という疑問からストーリーがスタート。しかも、週一回会う息子はサッカーをしていて、その練習につきあったことから、コーチになる。え?それまで息子にも会ってなかったの?と疑問。

すると、こんどは子供たちの母たちが俄然ジョージに迫ってくる。いったいアメリカの女性たちはどれだけ尻軽なの?と思いたくなる。これは明らかに監督の先入観である。

そして、デニス・クエイド扮する妙な実業家カールも近づいてくるが、これらの取り巻きとジョージのエピソードがとにかく陳腐でめんどくさくなるのである。完全に物語の本筋を無視したこのエピソードの羅列にうんざりしていると、いきなり、ストーリーはジョージが熱意で再度ステイシーを取り戻す展開へ。

デニースというかつての知り合いが、大手のスポーツキャスターの仕事をジョージに紹介してやり、運命は彼にプラスに動き始める。では、前半のおチャラケは何だった?しかも、この手のスポーツドラマの絡んだ映画の常道としてクライマックスは息子の試合シーンで、もういいかと思っていたら、さらにカールが妻の浮気現場の写真だとジョージにつめいるどうでもいいシーンが挿入。今にもうまくいきそうだったジョージとステイシーはまた離れて、それでも、大手のキャスターの仕事のためにコネティカットへ一人旅だったジョージが再び戻ってきてステイシーとハッピーエンド。

じゃあ、ステイシーの彼氏だった男は馬鹿を見ただけ?ジョージに絡んでくる人妻たちの夫はバカばかり?いったい、どんな人間ドラマかとあきれてしまうのである。

私の隣の女性はラストで泣いていたが、どうみても、そんな感情的にはなれない一本。凡作の下という感じの映画だったと思う。


「第七の封印」
これもまた、数年に一度はスクリーンで見たくなる傑作である。

イングマール・ベルイマンの映画は、いわゆる癖になる難解さがある。映画は明らかに群を抜いた傑作ぞろいだが、いかんせん、内容が非常に難しいのが多い。物語はあるのだが、本当に理解したのか不明なところがある。解説本などを見れば神の不在をテーマにしているなどと書かれているが、正直、その真意を理解できたと胸を張れるものではない。この作品もそんな一本である。

どんよりとした雲に覆われた夜明けをバックに、一羽のカラスが飛んでいるのを俯瞰で見上げるショットから映画が始まる。十字軍の遠征からの帰りの主人公アントーニウスが目覚めると、傍らにいかにも人間ではない風貌の男がマントを広げてたっている。そして「私は死である」と告げる。死神と悟ったアントーニウスは目の前にあるチェスでの試合を申し込み、負けるまでは命を長らえるよう頼む。

死神とのチェスで始まる有名なファーストシーン。海辺の景色がモノクロームで不気味に写り、アントーニウスとヨンスが途中、道を尋ねると、なんとそれは目をくり貫かれた死人出会ったりする導入部にまず驚かされる。

人物や枯れ木、広がる海原などを見事な配置でとらえていく画面の美しさは、まさに芸術的で、舞台演出なども手がけるベルイマンならではの構図にうっとりする。

ヨンスとアントーニウスは途中の村で旅芸人の親子に出会い、村で鍛冶屋の夫婦に出会いしながら、一方で死神とのチェスを続けながら旅を続ける。

劇的なエピソードは存在しないが、神のために戦ったアントーニウスたちの神への疑問が、途中にであう魔女の処刑などを目の当たりにして、徐々につのっていく。そして、終盤でチェスに敗れたアントーニウスは覚悟の中自宅へ戻る。そこへ現れる死に神

ゆっくりと画面はそれまでの落ち着いた暗い画面からゆっくりと明るい画面に変化、海辺で子供と遊ぶ旅芸人の親子のショットへ。そして、彼方の丘に死に神に引き連れられていくアントーニウスたちのシーンがシルエットで浮かぶ。

これはもう、レベルの高さ云々ではなく、別格の映像芸術である。唯一無二の至高の世界を体験する。これがベルイマン芸術の真骨頂といえるかもしれない。癖になる難解さ、すばらしい。